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歪曲許さぬ思いは一つ/遺族の願い切実

2007年09月29日 | スクラップ
2007年9月29日(土) 朝刊 26・27面





書かれるのはつらい それでも教科書に事実を 戦争を起こさぬため/山城美枝子さん

 「書かれるのは本当はつらい。でも事実を教科書にはっきりと書いてほしい」。座間味村の「集団自決(強制集団死)」で助役兼兵事主任だった父親・宮里盛秀さん=当時(33)=ら家族五人を亡くした山城美枝子さん(66)が、二十九日宜野湾海浜公園で行われる「教科書検定意見撤回を求める県民大会」に参加する。教科書記述から軍強制が消された現状と、軍に抗えなかった沖縄戦時下とを重ね、「時代が逆戻りしている」と危機感を抱く。記述が復活し「集団自決」の事実が全国で知られることを願う。(謝花直美)

 一九四五年三月二十六日座間味村・産業組合の壕で、役場職員とその家族ら六十七人が「集団自決」に追い込まれた。美枝子さんは、父母、七歳、六歳、十一カ月のきょうだい三人を失った。一人残され、常に家族のことを思いながら生きてきたが、公の場で語ることはこれまでなかった。

 平和への願いは強く、これまでも普天間包囲行動や米軍ヘリ墜落の抗議集会には孫の手を引いて参加した。今年三月、日本軍の強制が削除された検定結果が明らかになった後も、父・盛秀さんが、兵事主任として軍からの命令を住民に伝える立場だったため、「集団自決」問題について話すことには迷いがあった

 しかし、沖縄戦の歴史を歪曲させないという怒りが県民の間にわき起こったことに「後押しされているように」思えた。

 九月本紙で、住民に「集団自決」の軍命を伝え、自らも子どもたちを手にかけなければならなかった父親の苦悩への思いを語った。「家族から一人残されたことは、父が思いを託すため」とも考えるようになった。

 美枝子さん自身、「集団自決」の記述に触れることで、心をかきむしられ、涙が止まらなくなる。子どもを抱き締め号泣した父親の心痛がありありと感じられるからだ。「書かれることも本当はつらい」。それでも、教科書には軍強制の記述をしっかり書くべきだと主張する。「事実は事実として受け止めなければならない。そうでなければ、時代があの時と同じに戻るのではないか」と懸念する。

 大会には、座間味村出身の夫功さん(74)とともに参加。記述復活はもちろんのこと「県民大会で全国の一人でも多くに戦争の醜さが伝えられれば」と期待する。



     ◇     ◇     ◇     

復帰前闘争つながる 「怒り」再び 「島ぐるみ」今回も/中根章さん


 全四十一市町村や県議会二度の意見書可決などを経て、開かれる「教科書検定意見撤回を求める県民大会」。沖縄戦を体験し、一九五〇年代の土地闘争や七〇年代の復帰闘争、九五年の県民大会などに参加した元県議の中根章さん(75)=沖縄市=は「史実改ざんに抗議する大会は復帰前の『島ぐるみ』の闘争とつながっている」と強調。「史実の歪曲を絶対に許してはならない。体験者、子、孫の世代が一斉に立ち上がってほしい」と話している。

 五〇年代半ば、米軍の強制的な土地接収に、県民の怒りは頂点に達していた。五六年七月、那覇高校で開かれた「四原則貫徹県民大会」は、十五万人が集まった。

 「すき間もないほどびっしりと人が運動場を埋めた。先祖代々の土地を奪われ、繰り返される事件や事故。民衆が一斉に抗議した瞬間だった」と振り返る。

 教科書検定の撤回を求める県民大会については「沖縄戦で日本軍の強制は『集団自決(強制集団死)』以外にもあった。日本兵は住民に捕虜になるより死ぬことを選ぶように教えてきた。この史実を否定することはできない」と憤る。

 大会には家族や知人ら六十人と参加する。「復帰前と同規模の住民が参加し、思いを一つにしたい」と話す。



沖縄タイムス
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