現在の下海印寺方丸付近にあった下海印寺遺跡では、
縄文時代から古墳時代の集落跡が確認されています。
小泉川が流れ、居住に適した環境の中で、継続的にムラ(集落)が
形成されていたことが分かりました。
河岸段丘上につくられた集落跡からは、約1万3000年前の
縄文時代草創記の石器(有茎尖頭器)や
約1万年前の土器(押型文土器)が出土しました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/69/8d/590cae4b17ff3f6ea6df4b6d98cfacd4.jpg)
(縄文時代石器)
更には、約3500年前の縄文時代後期の集石遺構や土器を埋納した遺構、
土杭、柱穴などを伴う集落が広がっていたようです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/18/38/4bfb3d3b27fbf0bb441f0be016b59931.jpg)
(集石遺構)
また、古墳時代後期になると竪穴住居や掘立柱建物をもつ
大規模な集落へと発展した様子も伺えます。
製塩土器もまとまって出土しており、瀬戸内海沿岸の地域とも
交流が盛んだったと考えられています。
説明板は京都縦貫道側道の歩道にあります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6e/4f/573697578914e17fb8aa3665ea65080f.jpg)
縄文時代から古墳時代の集落跡が確認されています。
小泉川が流れ、居住に適した環境の中で、継続的にムラ(集落)が
形成されていたことが分かりました。
河岸段丘上につくられた集落跡からは、約1万3000年前の
縄文時代草創記の石器(有茎尖頭器)や
約1万年前の土器(押型文土器)が出土しました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/69/8d/590cae4b17ff3f6ea6df4b6d98cfacd4.jpg)
(縄文時代石器)
更には、約3500年前の縄文時代後期の集石遺構や土器を埋納した遺構、
土杭、柱穴などを伴う集落が広がっていたようです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/18/38/4bfb3d3b27fbf0bb441f0be016b59931.jpg)
(集石遺構)
また、古墳時代後期になると竪穴住居や掘立柱建物をもつ
大規模な集落へと発展した様子も伺えます。
製塩土器もまとまって出土しており、瀬戸内海沿岸の地域とも
交流が盛んだったと考えられています。
説明板は京都縦貫道側道の歩道にあります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6e/4f/573697578914e17fb8aa3665ea65080f.jpg)