1184年に兵庫県の一ノ谷で源氏と平家という2つの武家一族の大きな
戦いがありました。熊谷次郎直実は源氏に属していました。この戦いで
直実は平家を海岸に追い詰めました。舟に乗って逃れようとして馬に
またがった侍を見ました。直実はその侍に叫びました。「こっちに
もどってこい。敵はここだ」と。侍としての誇りを証明するために、
その侍は岸に戻ってきました。直実は飛び掛かって、取っ組み合いに
なり、二人とも馬から落ちてしまいました。直実は経験豊かで、
腕力もあったので、簡単に打ち負かしました。殺そうとして兜を取って
みると、まだ17歳くらいの若者であることに気が付きました。大変
若かったけれとも高貴な人に見えました。直実はこの若者が自分の
息子と同じぐらいの年なので、命を奪うのをためらいました。
逃がしてやろうと考えましたが、別の源氏の者が捕まえて、殺す
だろうと思いました。ためらいながらも、この青年を殺し、その後
弔いました。このことがあってから直実の人生観が変わりました。
人生の空しさを悟って、お坊さんになることに決めました。でも、
これまでの沢山の人を殺してきたので、お坊さんになれない
だろうと心配しました。直実は有名な僧侶の法然に教えを請いました。
法然は「仏さまはすべての人を救ってくれる。過ちを悔いれば
仏さまはあなたを助けて下さる。」と言われました。直実は法然の
下で修業を終えてから、「余生を静かな所で仏様をずっとお祈りし
続けたいのですが出来ますか?」と法然にききました。法然はお寺を
粟生という所に建てるように勧めました。現在、長岡京市に
ある光明寺と言われるのがこのお寺です。(長岡京市昔話より)