長岡京市観光協会のブログ

長岡京市の出来事を紹介します。

祇園祭りと早良親王 その弐

2013年07月08日 | 情報

翌年、天皇の側室、その母、姉数名が突然死、天皇の母も死亡

790年ー天皇正室死亡、京は天然痘が大流行

日本紀略には「街には死体の山」と記されているそうです

794年ー天皇家の祖先を祀る伊勢神宮が全焼

皇太子、安殿親王は病気。

陰陽師により、「早良親王の祟り!」という事になります

この時から桓武天皇の大後悔の日々がはじまります

すぐに淡路島に使者を送り、墓を建立しますが

6月に長岡京に鉄砲水が発生し、7月には大地震が起こり

逃げる様に平安京へと移って行きます


<長岡京市乙訓寺の早良親王供養塔>

残念ながら平安京にも早良親王の怨霊はしっかりついてきます

身内の急死や、800年3月には富士山までも大噴火し

火山灰が太陽光を遮り一日中夜の様だったと・・・

追い詰められた桓武天皇は、早良親王を天皇にし

「崇道天皇」として墓から骨をとりだし八島寺に納めて手厚く祀り

淡路島には大寺院を建立します

桓武天皇死の直前には、種継事件で罰せられた者は全員無罪

位や役職もすべて元にもどしています

平安京の北には上御霊神社、南には下御霊神社

どちらも主祭神は早良親王です

京の鬼門(丑寅、北東)には親王のみを祀る崇道神社を建立

全国の国分寺で月7回も鎮魂のお経を読ませ

国をあげて謝罪をしますが、桓武天皇ついに亡くなってしまいます

この後も早良親王は、菅原道真ら八所御霊と共に

平安京の空に永く君臨し続けることとなります


<乙訓寺の空海(弘法大師)像>

811年ー嵯峨天皇(桓武天皇の子供)が空海の力を

借り何とかしようと、乙訓寺の別当に任じます

空海は早良親王の苦しみを慰めるために現在

乙訓寺の秘仏になっている、八幡大菩薩「合体大師」を作り上げます

863年ー早良親王らの御霊会が行われることになります。


これが御霊会の起源です

御霊会ー思いがけない死を迎えた者の御霊による祟りを防ぐための儀礼

869年-流行した疫病が八坂神社の祭神牛頭天王の祟りで

あるとして御霊会を行う、祇園御霊会の始まりです

970年以降恒例の祭祀となり現在に至ります


*注:八所御霊ー藤原氏によって踏み倒され恨みを持って亡くなったひと達