大正寺の門を出て、北東へ50mほどの住宅街の中に
8世紀から9世紀頃に乙訓寺の瓦を焼いていた窯跡があります。
古代の瓦生産の様子を知る上で貴重な史跡です。
その道を北に少し行くと「赤根神社」があります。
この神社はかつて石田家の敷地内に建つ石田家氏神で
あったそうです。応仁の乱で焼失し、1616年石田瀬兵衛が
再建したと伝えられています。江戸時代中期以降は今里地区の
鎮守社となりました。木々に覆われ、ひんやりとした参道は
これからの季節の癒しスポットになりそうです。
すぐ東側の天神池の前には、今里地区の若者が奈良県の大峰山に
参拝の折、道中の安全と修行の成就を願って身を清めた禊場跡があります。
昭和40年頃まで、女人禁制で実際に使用されていたといわれています。
井戸脇の祠堂の中には修験道の開祖とされる「役行者」の石像が
安置されています。めったに見られない風景に出会えるコースです。
8世紀から9世紀頃に乙訓寺の瓦を焼いていた窯跡があります。
古代の瓦生産の様子を知る上で貴重な史跡です。
その道を北に少し行くと「赤根神社」があります。
この神社はかつて石田家の敷地内に建つ石田家氏神で
あったそうです。応仁の乱で焼失し、1616年石田瀬兵衛が
再建したと伝えられています。江戸時代中期以降は今里地区の
鎮守社となりました。木々に覆われ、ひんやりとした参道は
これからの季節の癒しスポットになりそうです。
すぐ東側の天神池の前には、今里地区の若者が奈良県の大峰山に
参拝の折、道中の安全と修行の成就を願って身を清めた禊場跡があります。
昭和40年頃まで、女人禁制で実際に使用されていたといわれています。
井戸脇の祠堂の中には修験道の開祖とされる「役行者」の石像が
安置されています。めったに見られない風景に出会えるコースです。