若い時には響かなかったが、今だから心を打つこともある。
20代前半は、何も恐れるものはなかった。
20代後半は、自分の無力さを知る。
30代前半は、生きがいとは?やりがいとは?何か考える。
30代後半~、生きる意味とは?生きるとは何か?を考えている・・・・・
三浦綾子の本には、「生きるとは何か?」のひとつの答えが示されている。
「氷点」
三浦綾子の代表作なので、読まれた方も多いと思うが、
「人間の原罪」がテーマであると、三浦綾子は語っている。
私が読み終わって感じたことは、「人は自己中心的である」ということ。
自分を許せても、他人は許せない。
最近「他人に、期待してはいけない」ということを悟った。
私が従業員に言わなくても、気づいてやってくれると期待するのが間違いで、
期待してやってもらえないと、悲しかったり、腹が立ったりする。
そんな気持ちになるんだったら、自分でやればいい。
そのうち自発的にやってくれるようになる従業員もいる。
そういう人に感謝をして、長く働いてもらえるように職場環境を考えなければいけない。
「続・氷点」
「続・氷点」のテーマは、「罪の許し」
罪を犯さない人間は、ひとりもいない
「氷点」と比べると、ややくどい人間関係で面白さは前作に劣るが
最後の残り37ページから、猛烈に引き込まれる。
人は自分を正しいと思いたい・・・・・
低い正義感の人間は、他人を見下げる
三浦綾子とは、何者なのか?
この三浦綾子自伝の「道ありき」三部作で、知り得る。
三部作の第一作「道ありき 青春編」
青春編といっても、24歳から37歳までの結核とそれが原因の
脊椎カリエス(結核性脊椎炎)での闘病生活が書かれている。
入退院を繰り返し、退院しても絶対安静で、自宅で寝たきり。
過酷な闘病生活だが、前川正との出会い、そして死別
そして三浦光世との結婚までを、青春としている。
読んで感じたことは、心と体は全く別であるということ。
体を鍛えまくって強くなっても、心は鍛えられない。
無論体が強くなれば、肉体的頑張りはできる。
内柴正人・・・
二度のオリンピックにて、柔道で金メダルを獲得したが
その後大学の柔道部女子部員に対する準強姦にて、逮捕される。
奥大介・・・・
サッカー元日本代表だが、妻に対して家庭内暴力、脅迫にて逮捕される。
最近のこれら例をみても、すぐにわかる。
脊椎カリエスは激痛を伴うので、絶対安静と薬を飲み
いつ治るかもわからない中で、激痛で寝返りもできない。
自分でトイレにも行けないので、枕元に簡易トイレをおいて
ひたすら耐えるという生活の中で、私だったら
常に穏やかな顔で過ごせるだろうか?
「青春とは自己鍛錬による、自己発見のときだ」
三部作の第二作「この土の器をも 結婚編」
結婚編は、37歳で三浦光世と結婚して
結婚生活とは何か?
家庭を築くとは、どういうことか?
夫婦のあり方はどうあらぬかを、自己に問い続けながら書き綴ってある。
夫婦は相思相愛が望ましいが、相手を思いやることが大切と思う。
ただ打てども響かない相手や運命共同体ではないうすっぺらい関係なら
はじめから結婚などしない方がいい。
三部作の第三作「光あるうちに 信仰入門編」
三浦綾子は、クリスチャンである。
ただ人は、聖人君子ではありえない。
クリスチャンの家で育ち、幼い時から日曜学校に通っていた
バリバリのクリスチャンである前川正との出会いにより
三浦綾子は心の持ちようが変わり、30歳で洗礼を受けている。
信仰入門編は、人間はいかに罪深く、弱く、愛がなく、不自由な・・・
そして虚しい存在であるか述べられている。
これらは私もすでに分かっていたことだが、分かりやすく書かれている。
聖書の中には、なかなかいい教えがある。
私は、横柄な人や横柄な組織が大嫌いだ。
そのような態度・対応を取られると、駄目だとわかっているが
ついつい怒ってしまう。
「謙遜」
もっと心を謙遜にし、低い低い姿勢で身を屈めなければならない。
「塩狩峠」
三浦綾子の代表作で、販売部数も「氷点」に次いで多い。
実在したクリスチャンの長野政雄をモデルにして、書かれている。
三浦綾子の本の登場人物は、自身の知人にモデルがいることが多い。
テーマは、「犠牲」である。
鉄道職員として、塩狩峠で人命救助のため、殉職の死を遂げた。
読みはじめから、随所に心洗われるような話ばかりだ。
電車などで、見ず知らずの人がヤクザなどに絡まれていたら
私は見てみぬふりをせず、「やめろ!」と言えるだろうか?
自分が絡まれるのを厭わず、即座に言える勇気があるだろうか?
「一粒の麦、地に落ちて死なずば、唯一つにて在らん」
「天北原野」
天北原野(サロベツ原野と猿払原野のこと)と樺太を舞台に
太平洋戦争の敗戦時を時代背景にして、苦難に耐えて生きる庶民に光を当て
苦難の意味を、考えさせられる。
「泥流地帯」
「続 泥流地帯」
テーマは、「苦難」である。
貧しくても父親がいなくとも、耐えて明るく誠実に生きる拓一・耕作兄弟
大正15年の十勝岳大噴火による泥流は、一瞬にして兄弟のすべてを奪う。
「なぜ?」
真面目に生きる人に、「なぜ?」これほどまでに苦難が降りかかるのだろうか?
真面目に生きても、報われないのだろうか・・・・・・
確かに今の世の中、ひとがいい人の方が馬鹿を見る傾向にある。
悪い人の方が、長生きしたり、お金を持っていることが多い。
無論、長生きしたら、幸せかどうかはわからない。
お金を追っても、きりがない。
真面目に生きるとは、無意味なのか?
人生の報いとは?
「ひつじが丘」
題名は札幌市の羊が丘の地名から取っている。
人を愛するとは何か?
三浦綾子の他の本にも度々示されているが、
好きと愛することは、違うということ。
「岩に立つ」
この本のモデルは、三浦夫妻の家を建てたクリスチャンの棟梁である。
一本気で、無法者にも膝を屈しない。
人間らしく生きる一人の棟梁。
「身を殺して、霊魂をころし得ぬ者どもを、懼るな」
三浦綾子が生涯に著した本は、小説の他に、語録や随筆などを合わせると
82点ありますが、これをすべて読破するのは
相当の三浦綾子マニアでないと、無理でしょう(笑)
上記の本であれば、どれも外れは無いと思います。
治るかどうかわからない病の人や医者にサジを投げられた人に
ぜひ三浦綾子の本を、読んでもらいたい。
必ずや何か力を、もらえるえます。
苦しいときこそ、顔をあげろ!胸を張れ!