山野井泰史を、知っていますか?
国内最強、世界でも屈指のクライマー(だった?)
1965年生まれで、現在46歳
小学生の時に見た映画に感化されて、
中学生で日本登攀クラブに入会して、クライミングを始めている・・・・・
それから現在に至るまで、クライミングのことしか頭に無い
愛すべき「山バカ」である。
こんな岩壁に寝床を確保して、
寝るというのですからね・・・・・
その山野井泰史を知りえる2冊を、読んでみた。
一冊目は・・・・
「凍」
2002年のヒマラヤ、難峰ギャチュン・カン北壁(7952m)に
妙子(妻)と二人で挑んだ壮絶な闘いの結末と奇跡の登山行を
ノンフィクション作家の沢木耕太郎が、描いている。
いくら素材が良くても、料理人の腕が悪くては、駄目なように、
さすがノンフィクション作家らしく、登山の極限状態の描写が見事で
一気に読めてしまう。
二冊目は・・・・
「垂直の記憶」
山野井泰史本人が、
2002年のギャチュン・カンの奇跡的な生還の詳細や
自らのクライミング半生を振り返り、
激しい登攀への思いと未来への夢を、綴っている。
2002年のギャチュン・カン下山時に、吹雪に捕まり、
何度も雪崩に遭い、低酸素症によるものか、疲労によるものか、
二人とも、視力がなくなってしまう。
登ったら、降りなくてはならない。
基本的に下りは登りより、難しくなり
体力も落ちてくる・・・・
視力がなくなっているので、ハーケン(岩の割れ目に、打ち込む釘)を
何処に打つか判断するために、素手で割れ目を探さなければ打てない・・・・
凍傷覚悟で、小指から使っていくが
凍傷で感覚がなくなると、薬指を使って・・・・
氷壁なので、座るのがやっとの状態でビバーク(露営)するので
ブーツを脱ぐことも、紐を緩めることも、アイゼンも外せない状況なので、
右足指も、5本凍傷になってしまった・・・・
指5本、足5本、合計10本を、凍傷で切断することになった。
けれども、妙子は指10本すべて凍傷で、切断している・・・・
足の指は、以前に8本切断しているので・・・・
合計18本失っている!
山野井が日本で、一般的にほとんど無名なのは、
山岳雑誌に、山行記録を載せることがあっても
積極的にテレビや一般雑誌に出ることがなかったからです。
登山費用はすべてを、自分達で賄っている為
名前を売って、スポンサーを見つける必要がなかったからである。
最近は、よく雑誌のコラムなどに、出ていますが。。。。。
↑ 冬の富士山の荷揚げの仕事もしていました。
1991年~2002年までの10年間で、250回以上登ったらしいです。
重さ30kg以上の荷物を、冬の富士山山頂まで運び上げることは想像を絶します・・・・
これぞ本当の強力!
夏は、ヘリコプターで荷揚げできますが、
冬は現在も、富士山山頂の測候所に人がいるので、
人力での荷揚げが、行われています。
8合目以上では、滑落・強風が怖いですね!
「山に行くことには関してはお金をかけるけど、ほかの事はどうでもいいです」
の言葉どうり、かなり質素な生活しているようです。
私は質素な生活できませんが、堅実な生活をしたいと思います。。。。
2008年 奥多摩の自宅近くの登山道を、
ジョギング中に熊に襲われ、腕と顔を咬まれて、重症を負った。
山野井自身による詳細は・・・↓
http://www.tokyo-np.co.jp/gakujin/yamanoi/yam2008121201.html
妙子はファイティングポーズではなく、指がないからそう見えるのだが、
これで料理など家事すべて、畑仕事などをこなしている・・・・
以前のような先鋭的なクライミングは出来ないが、
山野井夫妻は現在も限界に向かって、クライミングを続けている。