今週末の17日から6月8日まで、島田市ばらの丘公園で「2008島田ばらの丘フェスティバル」が行われます。園内はつぼみから開きかけた花が多く、これから見ごろです。
詳しくは>>>こちら。
写真は温室内の様子です。
詳しくは>>>こちら。
写真は温室内の様子です。
昨日のブログで「ひだるの神」の話から民俗学に興味を持ったお話しましたので、今日はその「ひだるの神」についてお話しましょう。
「ひだるの神」は山道や峠道などで旅人に取り憑き、空腹感や疲労感を与える妖怪とされています。山道を長時間歩いていると急に足が動かないほどの疲労感に襲われたり、異常な喉の乾きや空腹感を覚えたりすると、昔の人は「ひだる神に憑かれた」と考えていました。そのままにしておくと死に至ることもあるので、非常に恐れられていました。
このような状態になった時には、水や食べ物を口にすると「ひだるの神」から逃れられるとされていて、昔の旅人は山道や峠道を歩くときには十分な食べ物を持ち、もし途中でそれを食べることがあっても、「ひだるの神」を祓うために必ず一口分は残しておくようになったといわれています。
現代の科学において「ひだるの神」は、山道を登ることによる急激な血糖値の低下で起こる障害ではないかとされていますが、そのような科学的な根拠のない時代に、人々がそれを妖怪の仕業と考えることは当然のことかもしれません。
ところが、その妖怪を追い払うための方法を編み出し、その方法が現代の科学的な原因と対策に沿っているところが昔の人々のすごいところです。
この「ひだるの神」の話で「昔の人々の知恵」をもっと知りたいと思ったことから、私は民俗学に惹かれるようになり、教科書に出てくるような貴族とか武将のことはあまり興味がわかなくなりました。
今日の写真は東海道金谷坂。「ひだるの神」とは関係ありません。
3日間続けた「郷土研究」のカテゴリー。ひとまずこれで終えて、また機会をみてお話しましょう。
「ひだるの神」は山道や峠道などで旅人に取り憑き、空腹感や疲労感を与える妖怪とされています。山道を長時間歩いていると急に足が動かないほどの疲労感に襲われたり、異常な喉の乾きや空腹感を覚えたりすると、昔の人は「ひだる神に憑かれた」と考えていました。そのままにしておくと死に至ることもあるので、非常に恐れられていました。
このような状態になった時には、水や食べ物を口にすると「ひだるの神」から逃れられるとされていて、昔の旅人は山道や峠道を歩くときには十分な食べ物を持ち、もし途中でそれを食べることがあっても、「ひだるの神」を祓うために必ず一口分は残しておくようになったといわれています。
現代の科学において「ひだるの神」は、山道を登ることによる急激な血糖値の低下で起こる障害ではないかとされていますが、そのような科学的な根拠のない時代に、人々がそれを妖怪の仕業と考えることは当然のことかもしれません。
ところが、その妖怪を追い払うための方法を編み出し、その方法が現代の科学的な原因と対策に沿っているところが昔の人々のすごいところです。
この「ひだるの神」の話で「昔の人々の知恵」をもっと知りたいと思ったことから、私は民俗学に惹かれるようになり、教科書に出てくるような貴族とか武将のことはあまり興味がわかなくなりました。
今日の写真は東海道金谷坂。「ひだるの神」とは関係ありません。
3日間続けた「郷土研究」のカテゴリー。ひとまずこれで終えて、また機会をみてお話しましょう。
昨日追加した新カテゴリー「郷土研究」。
私自身は大学を出てからは、仕事が忙しく関わることはほとんどありませんでした。ところが、今年になって仕事がらみの用事で牧之原市役所に出かけたとき、偶然にも高校時代の恩師で部活動の顧問であった先生が、文化センター主催の歴史関係のセミナーをしていることを知りました。
聞けば昨年退職されたとのこと。なぜか急に高校時代の部活動を思い出し、セミナー受講の申し込みをしました。恩師は日本史の先生で、日本史の授業よりもそこから飛び出す「歴史の裏」の話や「民俗学」の話が面白く、6時間の授業が全部「日本史」であったらと思うほどでした。
一般的に歴史系の学問は、簡単に史実の研究する「歴史学」、遺跡を発掘する「考古学」、生活や風習、民話、信仰などの民間伝承を研究する「民俗学」に分かれています。
私は、この先生から聞いた「ひだるの神」の話から、民俗学にたいへん興味を持ち、大学4年の時に「研究室に残る」かどうかまで、はまってしまったのですが、結局のところ民間企業に就職しました。
ま、そういう心残りがあったかもしれませんが、「郷土研究」のカテゴリーでは、セミナーで学んだことや今までに得たものを小出しにしていきたいと考えています。
さて、今日の写真は島田市金谷の茶畑にぽつんとある道標(みちしるべ)。
この近くには3箇所くらいこのような道標があります。1604年に大井川の洪水で島田宿が流され、復興するまでの11年間、東海道が別の場所に移った際の道沿いにあることから、その時の物かもしれません。何かが彫ってありますが、一目ではわかりません。そこでパソコンの出番。コントラストを低めにして文字をペイントすると下の様になりました。「これより○日坂 右 左」と読めます。○の時は「字」「宇」「○丁」のように見えますがこれ以上はわかりません。右・左の字の下ににも何かあったのでしょうが、風化して欠けていて残念です。
私自身は大学を出てからは、仕事が忙しく関わることはほとんどありませんでした。ところが、今年になって仕事がらみの用事で牧之原市役所に出かけたとき、偶然にも高校時代の恩師で部活動の顧問であった先生が、文化センター主催の歴史関係のセミナーをしていることを知りました。
聞けば昨年退職されたとのこと。なぜか急に高校時代の部活動を思い出し、セミナー受講の申し込みをしました。恩師は日本史の先生で、日本史の授業よりもそこから飛び出す「歴史の裏」の話や「民俗学」の話が面白く、6時間の授業が全部「日本史」であったらと思うほどでした。
一般的に歴史系の学問は、簡単に史実の研究する「歴史学」、遺跡を発掘する「考古学」、生活や風習、民話、信仰などの民間伝承を研究する「民俗学」に分かれています。
私は、この先生から聞いた「ひだるの神」の話から、民俗学にたいへん興味を持ち、大学4年の時に「研究室に残る」かどうかまで、はまってしまったのですが、結局のところ民間企業に就職しました。
ま、そういう心残りがあったかもしれませんが、「郷土研究」のカテゴリーでは、セミナーで学んだことや今までに得たものを小出しにしていきたいと考えています。
さて、今日の写真は島田市金谷の茶畑にぽつんとある道標(みちしるべ)。
この近くには3箇所くらいこのような道標があります。1604年に大井川の洪水で島田宿が流され、復興するまでの11年間、東海道が別の場所に移った際の道沿いにあることから、その時の物かもしれません。何かが彫ってありますが、一目ではわかりません。そこでパソコンの出番。コントラストを低めにして文字をペイントすると下の様になりました。「これより○日坂 右 左」と読めます。○の時は「字」「宇」「○丁」のように見えますがこれ以上はわかりません。右・左の字の下ににも何かあったのでしょうが、風化して欠けていて残念です。
新しいカテゴリー「郷土研究」を追加しました。内容の硬軟から言えば「硬++」かもしれませんが、お付き合いください。
さて私、小学校時代の課内活動は「郷土研究クラブ」、高校の部活動は「郷土史研究部」そして大学のサークルは「郷土研究会」、計9年間の間「郷土研究」の活動をしてきました。
これら所属したクラブの名前はほぼ同じですが、やっていたことはすべて異なります。小学校はどちらかと言えば史実に基づいた郷土の歴史についてと考古学。高校は郷土の産業と結びついた実証研究(たとえば炭焼き、機織など)、そして大学は民俗学です。
もともと社会科は苦手ではありませんでしたが、小学校時代に司馬遼太郎の大河ドラマ「国盗り物語」を見てから歴史に惹かれるようになりました。
ただ、このカテゴリーで紹介するのはそのような武士や貴族などのことではなく、その時代に生きていた一般の人々の暮らしと、大井川周辺の出来事。焦らず急がずぼちぼち掲載してまいります。
写真は中條金之助景昭の像。島田市初倉地区谷口原に建っています。中條景昭は徳川の旗本で明治になってから、痩せ地であった牧之原に入植し開墾を指導した人物の一人です。詳しくは画像をご覧ください。
さて私、小学校時代の課内活動は「郷土研究クラブ」、高校の部活動は「郷土史研究部」そして大学のサークルは「郷土研究会」、計9年間の間「郷土研究」の活動をしてきました。
これら所属したクラブの名前はほぼ同じですが、やっていたことはすべて異なります。小学校はどちらかと言えば史実に基づいた郷土の歴史についてと考古学。高校は郷土の産業と結びついた実証研究(たとえば炭焼き、機織など)、そして大学は民俗学です。
もともと社会科は苦手ではありませんでしたが、小学校時代に司馬遼太郎の大河ドラマ「国盗り物語」を見てから歴史に惹かれるようになりました。
ただ、このカテゴリーで紹介するのはそのような武士や貴族などのことではなく、その時代に生きていた一般の人々の暮らしと、大井川周辺の出来事。焦らず急がずぼちぼち掲載してまいります。
写真は中條金之助景昭の像。島田市初倉地区谷口原に建っています。中條景昭は徳川の旗本で明治になってから、痩せ地であった牧之原に入植し開墾を指導した人物の一人です。詳しくは画像をご覧ください。
合併する前の島田市の花は「バラ(薔薇)」でした。
いま市役所の周りには色とりどりのばらが咲いています。
それぞれ種類(品種)があるのでしょうが、私には「赤いバラ」「白いバラ」としか表現できないのが残念です。
いま市役所の周りには色とりどりのばらが咲いています。
それぞれ種類(品種)があるのでしょうが、私には「赤いバラ」「白いバラ」としか表現できないのが残念です。
「ポカリコーナーとは、ある一瞬意識が空白になり、予期しない行動をした記録の集大成である」・・・
と、大げさに書いてみましたが、いわゆるよくやる「ポカ」を紹介する情けないコーナーです。私がよくやるポカのレベルが皆さんの共感を得る程度のレベルであることを祈ります。
月に1度のこのコーナー、今回は「あわて食い」の巻。
ここ7~8年、情けないことにゆっくり昼ごはんを食べたことがありません。パッと買って、パッと食べ、食べながらもう頭の中は午後のことを考えてます。いや明日のことを考えていることも多いのです。20分以上時間をかけて食べれば、満腹中枢を刺激して食べ過ぎることもないのでしょうが、流し込んでいては体重は増えるばかり。そんな訳で食べ終わってから調味料や具材に気づくことが多いのです。
上の写真は、”コンビニでホットドッグを買って、ホカホカのところをあわてて食べ、食べ終えてから袋を丸めたところでマスタードとケチャップに気が付いた”の図です。しかもこの日はせっかく付けてくれたお手拭も未開封のまま。
他にもよくやるのが「ざるそば」や「明太子スパゲッティ」に付いている刻み海苔。「何か味気ないな~」と感じながら食べ終えたところで蓋に刻み海苔がついたまま。「味気ないのは」カップラーメンにスープを入れ忘れて食べるのも同じ。「確か味噌ラーメンのはずだったよな~、何で塩味なんだろう」と半分くらい食べたところで気が付きます。
次は絶対に忘れないようにと思いつつ、食べ物にはすぐ喰らいつく。
お恥ずかしい話ですが、一口食べる前にまずは深呼吸でしょうか。
と、大げさに書いてみましたが、いわゆるよくやる「ポカ」を紹介する情けないコーナーです。私がよくやるポカのレベルが皆さんの共感を得る程度のレベルであることを祈ります。
月に1度のこのコーナー、今回は「あわて食い」の巻。
ここ7~8年、情けないことにゆっくり昼ごはんを食べたことがありません。パッと買って、パッと食べ、食べながらもう頭の中は午後のことを考えてます。いや明日のことを考えていることも多いのです。20分以上時間をかけて食べれば、満腹中枢を刺激して食べ過ぎることもないのでしょうが、流し込んでいては体重は増えるばかり。そんな訳で食べ終わってから調味料や具材に気づくことが多いのです。
上の写真は、”コンビニでホットドッグを買って、ホカホカのところをあわてて食べ、食べ終えてから袋を丸めたところでマスタードとケチャップに気が付いた”の図です。しかもこの日はせっかく付けてくれたお手拭も未開封のまま。
他にもよくやるのが「ざるそば」や「明太子スパゲッティ」に付いている刻み海苔。「何か味気ないな~」と感じながら食べ終えたところで蓋に刻み海苔がついたまま。「味気ないのは」カップラーメンにスープを入れ忘れて食べるのも同じ。「確か味噌ラーメンのはずだったよな~、何で塩味なんだろう」と半分くらい食べたところで気が付きます。
次は絶対に忘れないようにと思いつつ、食べ物にはすぐ喰らいつく。
お恥ずかしい話ですが、一口食べる前にまずは深呼吸でしょうか。
今日は子供の日。
私の子供時代は「交通戦争」と呼ばれた時代。育った地域で信号機といえば国道1号に数ヵ所あっただけで、他の道路にはありませんでした。東海道線に警報機も遮断機もない踏切があった時代です。
この横断旗、最近では金属製の入れ物はあっても旗がない横断歩道が多くなりました。当時信号機のついていない横断歩道はたくさんありましたので、どこの横断歩道にもこの横断旗はありました。登校のときは学校側に旗がたまっていくので、後から来た子は旗を使えなかったり、ふざけてランドセルに刺して帰ったりと、懐かしい思い出もあります。
さて、今日のお話は、先日久しぶりにこの横断旗を振って道を渡っている小学生(兄妹)を見かけました。ここまでならどこでもある話ですが、その小学生の兄妹は渡り切った後で、この旗を手前に持ってまず私の車に深々と一礼、そして「回れ右」をして反対車線で止まっている車に深々と一礼したのです。
これには正直驚きました。「ありがとう」と言って渡る小学生はよく見かけますが、どの動作を見たのは初めてでした。これはこの兄妹だけなのかなと思っていると、少し離れた横断歩道でも渡り切った3人組の小学生が同じように深々と一礼するのです。きっと小学校でしっかりした指導が行われているのでしょう。たいへん清々しい光景でした。
それに対して私はどうか、もちろん横断歩道では歩行者優先ですが、さも「止まって当然」のような態度で渡っていないか、そんな姿をこの小学生が見たら何と思うか、たいへん恥ずかしい気持ちになりました。
深々と一礼した小学生たち。すばらしいことなので学校を紹介します。多分最初の兄妹が菊川市立小笠南小、3人組は菊川市立小笠北小の小学生だと思います。拍手
※写真は私の育った近くにあった横断旗です。
私の子供時代は「交通戦争」と呼ばれた時代。育った地域で信号機といえば国道1号に数ヵ所あっただけで、他の道路にはありませんでした。東海道線に警報機も遮断機もない踏切があった時代です。
この横断旗、最近では金属製の入れ物はあっても旗がない横断歩道が多くなりました。当時信号機のついていない横断歩道はたくさんありましたので、どこの横断歩道にもこの横断旗はありました。登校のときは学校側に旗がたまっていくので、後から来た子は旗を使えなかったり、ふざけてランドセルに刺して帰ったりと、懐かしい思い出もあります。
さて、今日のお話は、先日久しぶりにこの横断旗を振って道を渡っている小学生(兄妹)を見かけました。ここまでならどこでもある話ですが、その小学生の兄妹は渡り切った後で、この旗を手前に持ってまず私の車に深々と一礼、そして「回れ右」をして反対車線で止まっている車に深々と一礼したのです。
これには正直驚きました。「ありがとう」と言って渡る小学生はよく見かけますが、どの動作を見たのは初めてでした。これはこの兄妹だけなのかなと思っていると、少し離れた横断歩道でも渡り切った3人組の小学生が同じように深々と一礼するのです。きっと小学校でしっかりした指導が行われているのでしょう。たいへん清々しい光景でした。
それに対して私はどうか、もちろん横断歩道では歩行者優先ですが、さも「止まって当然」のような態度で渡っていないか、そんな姿をこの小学生が見たら何と思うか、たいへん恥ずかしい気持ちになりました。
深々と一礼した小学生たち。すばらしいことなので学校を紹介します。多分最初の兄妹が菊川市立小笠南小、3人組は菊川市立小笠北小の小学生だと思います。拍手
※写真は私の育った近くにあった横断旗です。
2日続けて新幹線の座席のお話をしましたので、今日はゆったりと空の座席についてお話しましょう。
ご覧の写真は伊丹空港。最近ではローカル便だけでなく伊丹:福岡などの幹線でもプロペラ機が活躍しています。プロペラ機は天候の悪いときはちょっと不安になりますが、晴れているときは飛行高度が低いので眺めは抜群。スピードもゆっくりなので旋回しているときなどは歩いている人もわかります。
さて、今や飛行機の座席はインターネットで指定することが可能になり、飛行コースに沿って右側左側などと予約時に選ぶことができますが、プロペラ機の場合は当日空港で指定してもらいます。(すべてのプロペラ機がそうなのかは不明です・・・ごめんなさい)
この日は写真の36人乗りのサーブ機です。この飛行機は左1人がけ+右2人がけのシートなので、体型上「1人がけ」のシートを希望しました。ところが係員のお兄さんは曇り顔。どうも「1人がけ」の方は席が埋まっている様子。何箇所かに電話しながら「・・・・で許可願います」という声が聞こえます。
以前聞いた「沖縄の離島の中には空港カウンターに体重計があって、全員測定してから席を振り分ける」という話が私の頭の中をよぎります。
(検索サイトで「粟国空港 体重計」や「波照間空港 体重計」で検索してみてください)
もしかして100kg近い人が乗るからそれを申請しているのでは?と心配になってしまいました。そして数分後に渡された搭乗券が「1A」です。
ちょっとひっかかり気味でタラップを登ると、あの申請の意味がわかりました。「1A」の席はタラップを登ったところ。正に出入口だったのです。CAさんが折畳み椅子を下げて後ろ向きに座ると、膝がくっつくくらいのところです。そこでCAさんが「もしよろしければ1B/1Cの席は空いていますので、こちらへどうぞ」と隣の2人がけの席を案内してくれました。やれやれ体重のことではなかったのか?と一安心。
その後は目的地出雲まで、神戸市街や中国山地、日本海などを眺めながらゆったりとした空の旅をしました。最後にCAさんの「本日も皆さまのご協力、ありがとうございました」のアナウンスが印象的でした。
ご覧の写真は伊丹空港。最近ではローカル便だけでなく伊丹:福岡などの幹線でもプロペラ機が活躍しています。プロペラ機は天候の悪いときはちょっと不安になりますが、晴れているときは飛行高度が低いので眺めは抜群。スピードもゆっくりなので旋回しているときなどは歩いている人もわかります。
さて、今や飛行機の座席はインターネットで指定することが可能になり、飛行コースに沿って右側左側などと予約時に選ぶことができますが、プロペラ機の場合は当日空港で指定してもらいます。(すべてのプロペラ機がそうなのかは不明です・・・ごめんなさい)
この日は写真の36人乗りのサーブ機です。この飛行機は左1人がけ+右2人がけのシートなので、体型上「1人がけ」のシートを希望しました。ところが係員のお兄さんは曇り顔。どうも「1人がけ」の方は席が埋まっている様子。何箇所かに電話しながら「・・・・で許可願います」という声が聞こえます。
以前聞いた「沖縄の離島の中には空港カウンターに体重計があって、全員測定してから席を振り分ける」という話が私の頭の中をよぎります。
(検索サイトで「粟国空港 体重計」や「波照間空港 体重計」で検索してみてください)
もしかして100kg近い人が乗るからそれを申請しているのでは?と心配になってしまいました。そして数分後に渡された搭乗券が「1A」です。
ちょっとひっかかり気味でタラップを登ると、あの申請の意味がわかりました。「1A」の席はタラップを登ったところ。正に出入口だったのです。CAさんが折畳み椅子を下げて後ろ向きに座ると、膝がくっつくくらいのところです。そこでCAさんが「もしよろしければ1B/1Cの席は空いていますので、こちらへどうぞ」と隣の2人がけの席を案内してくれました。やれやれ体重のことではなかったのか?と一安心。
その後は目的地出雲まで、神戸市街や中国山地、日本海などを眺めながらゆったりとした空の旅をしました。最後にCAさんの「本日も皆さまのご協力、ありがとうございました」のアナウンスが印象的でした。
昨日に引き続き新幹線ネタです。
今日は途中の駅から自由席に座るコツを伝授します。途中駅から座ることは始発駅に比べ数段難易度が高いのです。なぜなら座席が何席空いているのか新幹線が到着するまで分からないから。といっても客観的データは同じ。前日のブログの通りまずは偶数号車を狙います。
そしてここからが途中駅に有効なコツ。車両の前後、どちらの乗車口に並ぶかです。一般的に階段などがある駅の中心に近い方のドアに降りる人が集まる傾向があるので、駅の中心に対して遠い方の乗車口に並びます。特に上り2・4・6号車の場合は並んでいる前を自分が乗る車両が通り過ぎますから、空いている席を窓越しに探すことができます。
そして、グループ客の少ない列に並ぶのも始発駅と同じコツ。そして途中駅ではこれに、キャスター付のスーツケースを持っている人の少ない列が加わります。キャスター付のスーツケースは乗るときに一度持ち上げ、そして新幹線の通路に沿うように引いていかなければならず、車内に入るまで時間がかかります。
できれば荷物を持った人が少ない列に並ぶのがよいのですが、荷物を持った人が多い場合には、その持ち方にも注目してみましょう。
そして車内に入ったらできるだけ早く空いている席を見つけて座ること。
車内の中ほどに空いているように見える席も、いざその席まで行ってみると、子供が座っていたり、すごい格好で寝ている人がいたり、トイレに出かけている人の席だったりします。そして気づいて振り返ったときには先頭で乗車したのに、席がすべて埋まっていることも。
こんな悲しい結果にならないように早めの決断が大切です。
以上いくつかのコツを並べてみましたが、それでも席を確保できなかったあなた!!
(いや私かも)、機会があれば最後のコツをいずれお伝えします。その時までお楽しみに!
今日は途中の駅から自由席に座るコツを伝授します。途中駅から座ることは始発駅に比べ数段難易度が高いのです。なぜなら座席が何席空いているのか新幹線が到着するまで分からないから。といっても客観的データは同じ。前日のブログの通りまずは偶数号車を狙います。
そしてここからが途中駅に有効なコツ。車両の前後、どちらの乗車口に並ぶかです。一般的に階段などがある駅の中心に近い方のドアに降りる人が集まる傾向があるので、駅の中心に対して遠い方の乗車口に並びます。特に上り2・4・6号車の場合は並んでいる前を自分が乗る車両が通り過ぎますから、空いている席を窓越しに探すことができます。
そして、グループ客の少ない列に並ぶのも始発駅と同じコツ。そして途中駅ではこれに、キャスター付のスーツケースを持っている人の少ない列が加わります。キャスター付のスーツケースは乗るときに一度持ち上げ、そして新幹線の通路に沿うように引いていかなければならず、車内に入るまで時間がかかります。
できれば荷物を持った人が少ない列に並ぶのがよいのですが、荷物を持った人が多い場合には、その持ち方にも注目してみましょう。
そして車内に入ったらできるだけ早く空いている席を見つけて座ること。
車内の中ほどに空いているように見える席も、いざその席まで行ってみると、子供が座っていたり、すごい格好で寝ている人がいたり、トイレに出かけている人の席だったりします。そして気づいて振り返ったときには先頭で乗車したのに、席がすべて埋まっていることも。
こんな悲しい結果にならないように早めの決断が大切です。
以上いくつかのコツを並べてみましたが、それでも席を確保できなかったあなた!!
(いや私かも)、機会があれば最後のコツをいずれお伝えします。その時までお楽しみに!
今の私にはちょっと縁遠いですが、明日からGW後半です。新幹線に乗ってお出掛けの方もいらっしゃるでしょう。いや最近はGW、盆正月でなくとも、休日の夕方東京駅を出る新幹線は、結構混んでいます。
さて、今回はその「新幹線自由席に座るには」の巻。
まずは始発駅から乗るときのコツです。客観的なデータから言えば、新幹線は車両によって定員(座席の数)が異なります。形式にもよるのでしょうが普通席で定員が多いのは2号車、4号車、6号車などの偶数の車両です。だいたい100席あるでしょうか。3号車、5号車、7号車などの奇数の車両はトイレがある分、3列分15席定員が少ないようです。先頭の1号車は運転席があるので偶数の車両に比べ30席程度定員が少なくなります。従ってまずは偶数の車両の所に並ぶことになります。
一般的に新幹線には出入口が2ヵ所ありますので、計算上並んだ50人以内に入っていれば座席は確保できるでしょう。しかし並んでいる人の属性によって50人以内でも座れない場合があります。同じ50人でも並んでいる人が家族連れやグループ客の場合、大きな荷物を抱えた人がいる場合は、車内の入り口付近で場所決めや座席の回転などが始まってしまうため、スムーズに乗車できないケースがあります。私の経験上、特に3人、5人、7人のグループの場合は時間がかかります。
とすれば、ベストなのは偶数号車で個人や2人連れの50人以内に並ぶことでしょうか。いやそれでも座れなかったこともありますから、最後は運かもしれません。そんな気苦労をするようなら、最初から指定席をとったほうがよいのかもしれませんね。では次回は途中の駅から乗るときのコツを伝授しましょう。
さて、今回はその「新幹線自由席に座るには」の巻。
まずは始発駅から乗るときのコツです。客観的なデータから言えば、新幹線は車両によって定員(座席の数)が異なります。形式にもよるのでしょうが普通席で定員が多いのは2号車、4号車、6号車などの偶数の車両です。だいたい100席あるでしょうか。3号車、5号車、7号車などの奇数の車両はトイレがある分、3列分15席定員が少ないようです。先頭の1号車は運転席があるので偶数の車両に比べ30席程度定員が少なくなります。従ってまずは偶数の車両の所に並ぶことになります。
一般的に新幹線には出入口が2ヵ所ありますので、計算上並んだ50人以内に入っていれば座席は確保できるでしょう。しかし並んでいる人の属性によって50人以内でも座れない場合があります。同じ50人でも並んでいる人が家族連れやグループ客の場合、大きな荷物を抱えた人がいる場合は、車内の入り口付近で場所決めや座席の回転などが始まってしまうため、スムーズに乗車できないケースがあります。私の経験上、特に3人、5人、7人のグループの場合は時間がかかります。
とすれば、ベストなのは偶数号車で個人や2人連れの50人以内に並ぶことでしょうか。いやそれでも座れなかったこともありますから、最後は運かもしれません。そんな気苦労をするようなら、最初から指定席をとったほうがよいのかもしれませんね。では次回は途中の駅から乗るときのコツを伝授しましょう。