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大井川の風

春夏秋冬、四季それぞれの風をお届けします。
富士山静岡空港をはじめ大井川流域のさまざまな
情報を掲載しています。

商人の心 積小為大 受け継がれる報徳思想

2010-07-20 23:00:00 | あきんど入門
毎月20日は「あきんど入門」をお届けしています。今日は報徳思想の中の「積小為大」について考えます。「積小為大」とは小さなことが積み重なって大きくなるということ、意訳すれば大きなことを成し遂げるためには小さなことを怠らずこつこつと勤めていくということです。尊徳は続けてこう述べています。

およそ小人の常、大なる事を欲して小なる事を怠り
出来難き事を憂いて 出来易き事を勤めず
それゆえ終に 大なる事をなすこと能わず
百万石の米といえども、粒の大なるにあらず

私が考えるに、この2行目にあることが重要です。
難題をかかえて「できない」「やれない」と嘆いてばかりで、簡単にできることまでしなくなる・・・。だから「簡単なことを疎かにしないように」という意味だと思いますが、では簡単なこと、出来易いことなら何でもいいかというとそうではありません。無駄な「小」は積み上げても崩れます。「小」は「大」につながる、「大」の目的にかなう「小」でなければならないのです。それを見極めるためには、やはり事前のプランニングが重要なのです。それを抜きに「小」が積みあがるとは思えないのです。


さて・・・・
1ヵ月で1万人の人に来訪してほしい。2年前にブログを再開して半年たった頃、何となくそんなことを思いました。私的なネタだけのブログでも良かったのですが、敢えて火中の栗を拾うかのように様々な議論が繰り返されていた「静岡空港」をメインに据えて、今日までブログを続けてまいりました。

今思えばそれは正しい選択だったと思います。
そして、多分今日、IPベースで通算の来訪者200,000人を達成すると思います。これもひとえにご理解ご支援ご協力をいただいた皆さまのお蔭です。本当にありがとうございました。そしてPVも来週には600,000に達します。これからも静岡空港と空の話題を中心に「大井川の風」はページを重ねてまいります。
積小為大からちょっと話はそれましたが、今後ともよろしくご支援のほどお願い申し上げます。

※明日から3日間は富士山静岡空港の今!をお届けします。

商人の心 道歌で伝える哲学 受け継がれる報徳思想

2010-06-20 22:00:00 | あきんど入門
こちらの一冊「二宮尊徳に学ぶ経営の知恵」は以前紹介した小田原の二宮神社で購入したものです。尊徳はかなりの著作を残していますが、現代を生きる私にとっては言葉遣いや時代背景など、まだまだ知識が不足して読みこなすことができません。こちらの本は尊徳の思想と哲学を、現代の社会にわかりやすく落とし込んだこので、非常に読みやすくなっています。

さて、この本の中に「道歌」に見る尊徳の哲学の思想という章があります。道歌とは教訓の意味が込められた和歌のことですが、当時もこの思想と哲学をさらに分かりやすく広めるためにこのような工夫がなされたのでしょうか。

それでは、その道歌のひとつをご紹介します。
「見渡せば 遠き近きは なかりけり おのれおのれが 住みかにぞある」


書籍の解説によれば、暑い地方に住む人が涼しいのを喜ぶのは「涼しい」ことが好きなのではなく、暑い地方に居るからである。寒い地方に住む人が暖かいのを喜ぶのは、「暖かい」ことが好きなのではなく、寒い地方に居るからである。論争と言うのは、立脚地を定めないところに起こるもので、相手の立場を考えれば、基本的に論争など起こらないということの意味です。

ただ相手の立場を考える・・・つまり観点を変えるためには、どれだけ「我(が)」を取り除くことができるかということが大事で、「人間の成すことが行き詰ったり失敗したりするのはことごとく"我"によって引き起こされる。"我"を取り去ればすらすらと行く」とも言っています。

なかなか意味が深い歌です。こんな歌を尊徳は300余りも作っています。機会があればその他の歌も紹介していきたいと思います。
産業能率大学出版部刊 大貫章著 二宮尊徳に学ぶ経営の知恵 より

※明日からは久しぶりに、お弁当を品出しいたします。

商人の心 【番外編】 車内販売の達人

2010-04-20 23:00:00 | あきんど入門
毎月20日は「あきんど入門」をお届けしています。昨年8月からは二宮尊徳の報徳思想についてご紹介してまいりましたが、最近"ものすごい人"に出会ったので、今日は報徳思想をお休みして番外編をお届けします。

首都圏のJR線のグリーン車にはGA(グリーンアテンダント)と呼ばれる係員が乗車しています。グリーン券(カード)の検札の他、ビールやお茶、お菓子おつまみを入れた小さなバスケットを持って車内販売を行っています。今回出会ったGAさんは、今までの中で最強?(最高)のセンスを持った方でした。

ある夜の総武線、東京へ向かう車内です。千葉駅を過ぎるといつものようにGAさんがバスケットを持ってやってきました。普段ならニコニコしながら通過していくのですが、今日は歩くスピードが極端に遅いのです。
まず、最初にご婦人が声を掛けました。どうやらお菓子が売れた模様。そのやりとりを見ていたと思われる次の男性、「水はあるかな?」。ここではミネラルウオーターが売れました。


やりとりが済むとGAさんはゆっくり歩きながら「お飲み物はいかがですか」と席を見渡します。次の席でも何やら売れました。そして2人連れのビジネスマンの席(写真左中央)の少し前で一声、「アルコールもご用意しております」。少し前から2人が「いやいや!お疲れお疲れ!」と話していたのを聞いていたのでしょうか。見事なセールストークです。もちろんその席でビール2缶が売れました。「おつまみはいかがですか?」との声に、今度はその後ろの席(画面右中央)から声が掛かりました。「な~んだいろいろあるんだ」・・・その席ではおつまみが売れました。もちろん先ほどの2人連れもおつまみを購入。


達人のGAさん、確実に一席ごと何かを売っています。この車輌でロスは無いと思われます。そして次は・・・私の席。パソコンを広げて資料を入力しておりましたが、ふと顔を上げた瞬間に目が合いました。

いよいよ来たか・・・と思っていると、すかさず「お飲み物はいかがですか?」と声を掛けてきました。「パソコンを打っていれば仕事をしているように見えるし、まぁアルコールを薦められることはないな」とタカを括っていました。「結構ですよ」と言おうとした瞬間にGAさんを見ると、指先はすでに缶コーヒーを掴んでいました。

※その後はどうなったかご想像にお任せいたします。

商人の心 未来のための推譲 受け継がれる報徳思想

2010-03-20 17:30:00 | あきんど入門
毎月20日は「あきんど入門」をお届けしています。今日は昨年12月の続きで報徳思想の根幹の一つ「推譲」について考えます。

まず「勤労」を行い、その結果としての消費行動が「分度」という説明をいたしました。収入に見合った生活を送ることを「分度を立てる」と呼びます。そして分度が立ったならば、次の段階として分度の余りを将来のため、そして子孫のために、さらには地域や国のために譲っていく。その譲る行動が「推譲」と呼ばれる思想です。写真の分度袋には「自己・子孫・一族のための推譲」とあり、内訳には預貯金、株式をはじめ事業資金、保険、教育費が入っています。「推譲」は難しいことではなく、日々の消費行動を経て残った財貨を、将来のために準備をすることなのです。


では、なぜ「推譲」が大切なのでしょうか。二宮尊徳は、「推譲」は人間が励んで得た結果であり、その点では単なる贈与とは違うと言っています。「勤労」「分度」「推譲」というサイクルを維持することに価値があるのだと説いています。
そしてもう一つ、何か事が起きたらこの「推譲」から支出することも説いています。現代では万一の時には借入をして対応することもできます。しかし借入は一時的にはうまく対応できるようで、実際には返済がありますから、返済分が日々の分度に加わることで、長い間収支のバランスを欠くことになります。またインフレ傾向の時は、物価の上昇とともに収入も増え返済も楽になってきますが、現在のようなデフレ局面では、収入が減っても返済の金額は変わらないので、分度への影響はたいへん大きなものになってきます。

尊徳は飢饉に備えて普段から米を備蓄したり、田畑の改良を行ったりしました。そしていざ飢饉の時には備蓄していた米を放出して、餓死者を出さずにその年を乗り切りました。尊徳は「飢饉の時には雑草を食べればよいというが、飢えはしのげても、その草が原因で必ず病気が蔓延し病死するものがでる。」と説いています。現代に置き換えると、「様々な支援制度によって収支は一時的に凌げても、後々それが必ず尾を引く」ということになるでしょうか。

推譲からどんどん話が膨らみましたが、つまり「景気が良いときに何をするか、何をしてきたか」ということ。・・・本当に身につまされるお話です。

※明日はまた空の話題に戻ります。

商人の心 報徳博物館 受け継がれる報徳思想

2010-02-20 21:30:00 | あきんど入門
毎月20日は「あきんど入門」をお届けしています。先月に引き続き今月も尊徳ゆかりの小田原からです。

こちらはJR小田原駅。しばらくぶりに途中下車したらとんがり屋根の駅舎はなくなって、大きな駅ビルが出来ていました。


この小田原駅から歩いて15分。途中小田原城址や報徳二宮神社を抜けてお城の南側に出ると、そこに「報徳博物館(小田原市南町1-5-72)」があります。


疲弊した幕末の社会を再建するため、二宮尊徳(金次郎)が行った「報徳仕法」という人づくり、国づくりの思想とその業績を後世に伝えるための博物館です。中には尊徳ゆかりの品々をはじめ、「報徳仕法」の解説や尊徳亡き後の「報徳思想」の展開などが詳しく展示されています。

その一つに元神奈川県副知事で報徳博物館の元館長、掛川西高出身の佐々井典比古氏が、報徳の考え方をわかりやすく表現した「万象具徳」という詩がありますのでご紹介します。

どんなものにも よさがある
どんなひとにも よさがある
よさがそれぞれ みなちがう
よさがいっぱい かくれてる
どこかとりえが あるものだ
もののとりえを ひきだそう
ひとのとりえを そだてよう
じぶんのとりえを ささげよう
とりえとりえが むすばれて
このよは たのしい ふえせかい

報徳博物館のサイト>>>こちら


商人の心 報徳二宮神社 受け継がれる報徳思想

2010-01-20 23:30:00 | あきんど入門
年も改まりました。今年も1ヵ月に1回のペースで「あきんど入門」をお届けしてまいりますので、よろしくお願いいたします。昨年後半は「受け継がれる報徳思想」として二宮尊徳の経済理論ともいうべき「報徳訓」をはじめとした報徳思想をお届けしてまいりましたが、今日はちょっとお休みして小田原に出かけます。

こちらは、戦国時代は北条氏、その後は大久保氏の居城だった小田原城。小田原駅から歩いて10分くらいの距離にあります。


その小田原城の一角に報徳二宮神社があります。


小田原市内で生まれた二宮尊徳は、苦労の末に生家の再興を果たし、地主として経営をしながら、小田原藩内の旗本へ奉公して財政立て直しを行い、その手腕を買われて遠隔地の知行所経営を行いました。


没後には、尊徳の報徳思想を受け継ぐ人々の手で、この小田原の地に報徳二宮神社が建てられました。


その報徳二宮神社でちょっと変わったものを発見しました。社務所で売られている金太郎飴ならぬ「きんじろう飴」(作っているのは浅草の金太郎飴本店です)。ご存知と思いますが二宮尊徳の子どもの頃の姿が、学校で見かけるあの金次郎像。苦労の日々を過ごした幼少時代の金次郎、「そんな苦労は苦労じゃない」と軽く流してしまうようなクールな味の飴でした。



商人の心 「分度袋」その2 受け継がれる報徳思想

2009-12-20 23:30:00 | あきんど入門
毎月20日は「あきんど入門」をお届けしています。

さて、先月もお届けした「報徳分度袋」。分度とは勤労によって生じる消費行動のことです。もちろん勤労の範囲内であることは言うまでもありません。なお、この袋の説明文は以下の通りです。
(原文のまま現代かな遣い)
「まず1ヵ月の生活費を別紙の予算表に従って分割してお金を各袋の費目に従って封入しておきます。必要ごとに費目袋から費目を間違えぬように支出します。」「例えば米を買う場合は必ず飲食費の米の袋より出し、被服費等より出さぬこと。かかることをすると必ず間違いを生ずる原因となります。」


さて、今日ご紹介するのは残る分度袋です。「慰安費」とは聞きなれないですが、内訳には「茶・菓子・コーヒー・酒・煙草」とあります。いわゆる嗜好品ですね。その隣に「娯楽」の項目があります。他の袋には事細かに内訳があるのにもかかわらず、唯一この「娯楽」の項目だけは内訳が白地のままです。これには深い意味がありそうです。


そしてこちらの袋、今までご紹介してきた袋は予備費を除いてすべて「経常費」となっていますが、左から2番目の袋だけ「自譲費」となっています。

袋に入れるものは「自己・子孫・一族のための推譲」とあり、内訳には預貯金、株式をはじめ事業資金、保険、教育費が入っています。この聞きなれない「推譲」とはいったいどんな意味なのでしょうか。次回、再び考えます。
<つづく>

商人の心 「分度袋」その1 受け継がれる報徳思想

2009-11-20 23:30:00 | あきんど入門
毎月20日は「あきんど入門」をお届けしています。

さて、掛川市の大日本報徳社にある仰徳記念館。その廊下には「報徳分度袋」の掲示があります。大きな袋と費目ごとの封筒、まずはこの袋の説明文を読んでみます。※分度については前回の「あきんど入門」をお読みください。

(原文のまま現代かな遣い)
「まず1ヵ月の生活費を別紙の予算表に従って分割してお金を各袋の費目に従って封入しておきます。必要ごとに費目袋から費目を間違えぬように支出します。」


「例えば米を買う場合は必ず飲食費の米の袋より出し、被服費等より出さぬこと。かかることをすると必ず間違いを生ずる原因となります。」

確かにそのとおり間違いを生じますね。

ちなみに飲食費の袋は一・二・三とあり、一は米麦などの主食、二は野菜・魚などの副食、三は醤油・味噌・塩などの調味料に区分けされています。


こちらの教養費は袋の中で3つに分かれています。新聞・図書の修養費、子どもの学費や小遣いなどの教養費、そして旅行費です。ちょっと意外なものは旅行費が教養費であること。普段の環境から離れる旅行は多くのものを学べる機会ということでしょうか。また通信は交際費です。電話も普及していない頃ですので、通信はもっぱら手紙のやり取りのことでしょう。そんな区分けに時代を感じてしまいます。今では携帯ひとつでいろんなことができますので、通信も交際費の範囲を大きく超えています。<来月に続く>

※明日は「富士山静岡空港の今!」に戻ります。

商人の心 「分度」生活 受け継がれる報徳思想

2009-10-20 00:00:00 | あきんど入門
毎月20日は「あきんど入門」をお届けしています。

さて、掛川市の大日本報徳社にある仰徳記念館。明治時代に建てられた有栖川宮邸の一部です。写真のようにガラスも昔のまま、大切に保存されています。
そして、その廊下には「報徳分度袋」の掲示があります。

「分度」とは、前回ご紹介した「勤労」の結果として生じる収入の範囲内で消費を行うことです。要するに少し余る程度に暮らしていくということで、これを「分度を立てる」といいます。

この「報徳分度袋」には次の説明があります。(原文の現代仮名遣いです)


「生活を整頓し向上せしめるためには報徳の分度生活を行う外に方法はありません。分度生活とは如何なるものか、一口に云えば天分に順(したが)った暮らし方をするのであります。即ちその家の収入が仮に千円あればその収入に応じた暮らし方をするのです。つまり九百円で暮らし八百円で暮らすのです。すると必ず百円なり二百円なり残ります。この残ったものは明年に譲り子孫に譲り或いは村や国家に推譲するものとなるのです。」

極めて簡単なことなのですが、それがなかなかできません。
そのことが次のくだりにあります。

「分度を樹(た)てるには相当の資料と技術と熟練を要する訳で始めからうまくいきませんから、その準備生活としてこヽに分度袋なるものを作り御利用を御奨めし、次第に本格的な分度生活に入って頂き度いのであります。」

恐れ入りました。「始めからうまくいきませんから・・・」とは、確実に現実を見ています。

次回はその分度袋をひとつひとつ見ていきましょう。


商人の心 二宮金次郎と「勤労」 受け継がれる報徳思想

2009-09-20 21:30:00 | あきんど入門
像のモデルはご存知、報徳思想を広めた二宮金次郎(後の二宮尊徳)です。

皆さんが通った学校にはこの像があったでしょうか?ちなみに私の通った学校にはありました。戦前になぜこの像が全国の学校に造られたかは、多くのサイトに掲載されていますので詳しくは割愛するとして、戦後GHQから撤去命令がなくそのまま残されたり、戦中の金属供出で無くなった像を再建したりできたのは、二宮尊徳の考えが軍国主義に基づくものではなく、経済思想であったからといわれています。

さて、報徳思想の根幹には「勤労」「分度」「推譲」の教えがあることは以前お話しました。このうち「勤労」についてはこの二宮尊徳が唱えた「天道」「人道」という考えがあります。

「天道」とは四季や天候などの自然現象のことで、これは皆に平等にいきわたります。それに対して「人道」は、人間が自分の意思で行うことです。
例えば、植物が芽を出し日光と水と土の力で成長して実をつけるのは、自然の法則「天道」です。それに対して、どんな植物の種をまくのか考えること、蒔いた種がより成長するように水を引いたり雑草を刈ったり、肥料をまいたりすることは人間がすることです。これを「人道」といいます。

「人道」はあくまでも人間がすることですから、怠けて手間を掛けずにおくこともできます。しかし、せっかく蒔いた種に手を掛けず「天道」にまかせて放置しておけば、秋に収穫できなくなるかもしれません。そうなると次の年は生活が立ち行かなくなりますね。

「天道」は自然の摂理ですので、何百年たっても変わることはありません。しかし「人道」は怠れば必ず廃れていきます。報徳思想では、この「人道」を保持継続する行いこそが「勤労」であり、仕事をすること、そして継続して行うことが尊いと説いています。




金次郎は、このように薪を背負って本を読んではいなかったという説が有力ですが、報徳思想の「勤労」の考え方がこの像のイメージにつながったことはわかります。

▲JR掛川駅北口の「二宮金次郎像」

商人の心 報徳訓 受け継がれる報徳思想

2009-08-20 23:00:00 | あきんど入門
毎月20日は「あきんど入門」の日です。

先月からは静岡県は掛川から新しいシリーズ「受け継がれる報徳思想」をお届けしています。今日は「報徳訓」。掛川市の大日本報徳社の中にある仰徳記念館にこの報徳訓の掛け軸があります。漢字ばかりでちょっと難しそうですが、内容はごくごく当たり前のことが書かれています。
ただ、その当たり前のことが継続して出来ないのが人間(いや私だけかも?)の悪いところ。今日はその報徳訓を簡単に読み下してみましょう。


最初から6行目(”自己勤労”)までは、「あなたがこの世界にいるのはお父さんお母さんがいたからです」「あなたが豊かでいられるのは、お父さんお母さんが励んできた善行のおかげです」「あなたの子どもたちも豊かにするためには、あなたが仕事に励む(自己勤労)ことです」と、ざっとこんなことが書かれています。

そして後半6行(”身命長養”から)は、「長生きするためには衣食住が足りていなければなりません」「衣食住の源は田畑山林(仕事)にあります」「田畑山林(仕事)はみんなで行うことにより価値を生み出します」。

そして緑の部分「今年の衣食住は去年の仕事の結果です」「来年の衣食住は今年の頑張りによるものです」。

最後に「徳(いわゆる努力)は必ず報われるとこを忘れてはいけません」の言葉で締められています。

過去の努力不足をどこかに忘れて、今が悪いのは現在に原因があると思いがちです。この緑の部分は私の心に突き刺さります。来年になって「ああ今年はいい1年だ」と思うためには、今の努力が大切であること。そしてこれから仕事を続けるためには、毎年同じことを考え行動すること、それは試練でもなんでもなく時の流れを歩んで行くための常識だとこの掛け軸は私の心に伝えてくれました。

商人の心 経済門道徳門 受け継がれる報徳思想

2009-07-20 23:30:00 | あきんど入門
毎月20日は「あきんど入門」の日です。

先月までは富山県から売薬さんの「商人の心」をお届けしましたが、今月からは静岡県は掛川から新しいシリーズ「受け継がれる報徳思想」をお届けします。

さて、写真の門(・・・写真は少し時季はずれですが・・・)は、静岡県掛川市にある掛川城の近くの静かな町並みの中に立っています。向かって左側が「経済門」右側が「道徳門」。「入場門」や「退場門」そして「大手門」くらいはくぐったことがありますが、この2つの門柱にはどのような意味があるのでしょうか?

この門柱は1909(明治42)年に出来たもので、ここ掛川に本拠を置く「大日本報徳社」の入口にあります。現在は静岡県教育委員会が所管する社団法人大日本報徳社で、報徳思想の普及と全国各地の報徳社の統括をしています。

「思想」というと堅苦しい感じがしますが、実際には「経済学説」「経済思想」といえるものです。そして、その思想を最初に広めたのは通称「二宮金治郎(金次郎)」と呼ばれた江戸後期の農政家「二宮尊徳」です。今では少なくなりましたが、全国各地の小学校にある「薪を担いで本を読んでいる」あの像のモデルです。


二宮尊徳は「経済」と「道徳」の融和を考え、「至誠」「勤労」「分度」「推譲」などの考え方を世に広めました。そのひとつひとつを現代社会に置き換えていくと、PDCAサイクル(plan do check action)や顧客満足度の向上、無借金経営など、企業の体質強化のための思想につながっていくのです。

私も起業してから5年が経ちました。常に目標を上に置き、会社を大きくすることだけに力を注いできました。しかし見た目の伸びに比べ、出来上がったものは砂上の楼閣、昨今の金融危機による不況でいかに会社の体質が大切かを思い知りました。

「積小為大・・・大事を為さむと欲せば、小なる事を怠らず勤むべし 小積もりて大となればなり」という考え方もこの報徳思想にはありますが、次の5年、この「報徳思想」を紐解きながら、もう一度原点に帰り「小なること」を着実に実践していきたいと考えています。




商人の心 越中富山の薬屋さん 薬膳料理

2009-06-20 23:30:00 | あきんど入門
薬膳料理とは生薬を中心にカラダにいい食材を使って、病気を予防し健康な生活をすごすための料理です。


富山ではこの薬膳をメニューにしたお店がいくつもあります。もちろん薬膳専門店もあります。こちらは池田屋安兵衛商店の2階にある「薬都」のメニューのひとつ。この他古代米や高麗人参などを使った予約制の「健康膳」があります。


池田屋安兵衛商店は富山製薬の発祥といわれる反魂丹を作る会社です。


さて、昨年10月からお届けしてきました「あきんど入門 富山の薬屋さん」シリーズ。人々の移動が制限されていた江戸時代から、見知らぬ他国で良薬を広めてきた売薬さんの姿を追ってきました。


「薬を調合する道具」「薬を包む紙」「薬を運ぶ鉄道」「薬を作るための電力」など薬を通じて様々産業が興った富山県。
この売薬さんの活躍は、またいつか再びお届けすることとして、来月からは別の場所から「あきんど入門」をお届けします。

明日からは「空」のカテゴリーに戻ります。

商人の心 越中富山の薬屋さん 物流と貿易摩擦の解消

2009-05-20 23:30:00 | あきんど入門
毎月20日は「あきんど入門」の日です。

さて、先月の「あきんど入門」では、17世紀フランスのジャック・サヴァリーの著書「完全なる商人」の中から、商人の理想像は「信用・信頼」「良い商品」「市場の調査」「記帳」の要素を果たすことだとご紹介しました。今日はその要素の「良い商品」と「市場の調査」をご説明します。

本日のタイトルで「貿易摩擦の解消」と述べましたが、なぜ売薬が貿易摩擦なのか疑問に感じた方もいらっしゃるでしょう。もちろんこれは現代ではなく江戸時代のお話。江戸時代は藩内の産業を保護するため、他藩から来た商人はあまり歓迎されませんでした。そこで富山の売薬さんたちは藩内を事前に調査して、その藩に足りない物や珍しい物(もちろん薬とは全く関係のない物です)を紹介することで、その藩内での商売を許されていくのです。例えば蝦夷でとれた昆布を薩摩に運ぶといったことです。また諸藩との貿易摩擦を避けるために、その藩の特産物を別の藩に紹介することもしました。
さらに各藩の地元の薬屋さんとの競合を避けるために、城下などの目立つところを避けて商売をしました。このような現地調査と摩擦解消に配慮することで、売薬さんたちは日本全国で信用を獲得し、末永く商売をすることができたのです。


(▲写真は富山市東岩瀬の廻船問屋のある町並み)
さらに漢方を学び、全国から薬草などを集め「よい商品」作りをしたことが、売薬さんの価値を高めました。
このように売薬さんが広い視野を持つことができたのは、現在の富山港が北前舟という江戸時代の巨大物流ルートの寄港地になっていたことです。これによって北海道から九州までの物資を集めることができ、さらに明治以降は日本海を経由して朝鮮半島や中国、ロシアからもさまざまな原料が運び込まれました。


そういう意味で外とつながる交通網というのは、産業を興す重要な要素であると感じます。6月開港の富士山静岡空港も「人」のみならず「物」も集まる拠点になってほしいと思います。そして空港から数百年先まで続く産業が生まれたらと願ってやみません。

写真は現在の富山港。積み出しを待っているのはナンバーを外された中古自動車。乗用車だけでなく特殊車両の需要も多いようです。

明日からは「再び富士山静岡空港の今!」をお届けします。

商人の心 越中富山の薬屋さん 行商員心得十則

2009-04-20 23:30:00 | あきんど入門
毎月20日は「あきんど入門」の日です。

今日は昨年12月に紹介した富山県民会館分館「薬種商の館 金岡邸」に掲げられていた"富山売薬業の特徴"の一節からです。

17世紀、フランスのジャック・サヴァリーは著書「完全なる商人」の中で、商人の理想像を描いています。この商人の理想像とは「信用・信頼」「良い商品」「市場の調査」「記帳」の要素を果たすことだと定義しています。

さて、こちらの写真は富山県売薬同業組合の「行商員心得十則」。
このニ、三、五は「完全なる商人」の「信用・信頼」を得るために必要不可欠な心得です。そして四はまさに「記帳」そのものです。

この心得は、江戸時代から売薬さん達の経験を積み上げてできたものだと推測できます。それがフランスで著された「完全なる商人」と一致することは、偶然とはいえ何か気高さを感じます。商売の基本は洋の東西を問わないということですね。

次回は「完全なる商人」の残り2項目(良い商品・市場調査)と富山売薬とのつながりをご紹介します。