本日は8月15日に掲載予定だった記事をアップします。
毎年この頃には、大井川周辺における戦争関連の記事をお届けしていますが、今年はこの場所…仮称「風の郷」からです。>>>場所こちら
「風の郷」とは、空港ティーガーデンシティー構想に基づき設定された"富士山静岡空港をめぐる4つの道"のうち、島田市と牧之原市に点在する「風の道」の中のポイントです。

私の世代だと旧金谷中学校跡の方がわかりやすいでしょうか。今の金谷中学校に統合移転する直前に、このグラウンドで試合をしたことを覚えています。

戦中、この場所は海軍の金谷送信所が置かれていました。どのような施設だったのかは詳しいことはわかりません。近くに高射砲陣地もあったとのことです。(写真下中央=1946年米軍撮影=国土地理院国土変遷アーカイブ=8/21は午後にメンテナンスがあり、リンクできない場合があります。)
その後新しい教育制度のもとで金谷中学校になるのですが、払い下げにあたっては当時の金谷町の方々が、資金の裏付けに必要な郵便貯金をするなど、様々な苦労があったと聞いています。
夏草に囲まれているのは昭和20年代に卒業された方の記念園と刻まれた石碑。何か花壇や植物園があったのでしょうか。

金谷中学校が、当時同じ町にあった五和中学校と統合されて、この場所から離れたのは1977年。その後最近までこの場所は農林水産省の管轄を経て独立行政法人種苗センター金谷農場となりましたが、その種苗センターも岡山県にある西日本センターに統合され、今は島田市の管理になっています。

そして、今度は「風の郷」に生まれ変わろうとしていますが、そんな昔があったことを残しておくことも大切ではないかと思いました。

写真を写したのは、ちょうどスタンプラリーの最中でした。(先着順に商品がもらえるパーフェクト賞コースは終了しています。抽選コースは応募可能のようですので、空港公式サイトをご確認下さい。)
毎年この頃には、大井川周辺における戦争関連の記事をお届けしていますが、今年はこの場所…仮称「風の郷」からです。>>>場所こちら
「風の郷」とは、空港ティーガーデンシティー構想に基づき設定された"富士山静岡空港をめぐる4つの道"のうち、島田市と牧之原市に点在する「風の道」の中のポイントです。

私の世代だと旧金谷中学校跡の方がわかりやすいでしょうか。今の金谷中学校に統合移転する直前に、このグラウンドで試合をしたことを覚えています。

戦中、この場所は海軍の金谷送信所が置かれていました。どのような施設だったのかは詳しいことはわかりません。近くに高射砲陣地もあったとのことです。(写真下中央=1946年米軍撮影=国土地理院国土変遷アーカイブ=8/21は午後にメンテナンスがあり、リンクできない場合があります。)
その後新しい教育制度のもとで金谷中学校になるのですが、払い下げにあたっては当時の金谷町の方々が、資金の裏付けに必要な郵便貯金をするなど、様々な苦労があったと聞いています。
夏草に囲まれているのは昭和20年代に卒業された方の記念園と刻まれた石碑。何か花壇や植物園があったのでしょうか。

金谷中学校が、当時同じ町にあった五和中学校と統合されて、この場所から離れたのは1977年。その後最近までこの場所は農林水産省の管轄を経て独立行政法人種苗センター金谷農場となりましたが、その種苗センターも岡山県にある西日本センターに統合され、今は島田市の管理になっています。

そして、今度は「風の郷」に生まれ変わろうとしていますが、そんな昔があったことを残しておくことも大切ではないかと思いました。

写真を写したのは、ちょうどスタンプラリーの最中でした。(先着順に商品がもらえるパーフェクト賞コースは終了しています。抽選コースは応募可能のようですので、空港公式サイトをご確認下さい。)