劇場彷徨人・高橋彩子の備忘録

演劇、ダンスなどパフォーミングアーツを中心にフリーランスでライター、編集者をしている高橋彩子の備忘録的ブログです。

新国立劇場 オペラ「ニーべルングの指環」第3日『神々の黄昏』

2010-03-31 01:19:21 | 観劇
ワーグナーの楽劇「ニーべルングの指環」第3日『神々の黄昏』@新国立劇場オペラパレス


キース・ウォーナー演出による、いわゆる“トーキョー・リング”チクルス完結編の再演。
どういうわけか、初演の中で一番最近(04年)上演されたはずのこの第3日の記憶が薄い。
1作目から張り巡らされたさまざまな伏線がどうまとまるかに
意識が行っていたせいかもしれないし(その点での成果は思ったほどではなかった)、
04年の観劇チラシファイルを見返しながら記憶を辿るに、
個人的にいささかくたびれていた時期だった気もしなくもない(苦笑)。

【人間への“転落”】

とはいえ、改めて再演を観ると、やはり視覚的に良くできていて面白い。
巨大なトネリコの木が横たわり(つい鶴岡八幡宮の大銀杏を思い出してしまった......)、
映写機を模した装置が掛かる中で、3人のノルンが糸ならぬ映画のフィルムをたぐる冒頭から、
おもちゃの家のような岩室でのジークフリートとブリュンヒルデの短過ぎる蜜月、
近代的で冷たい雰囲気が漂うギービヒ家での謀略、
酸素を吸入する瀕死のアルベリヒと息子ハーゲンの対話(ハーゲンはアルベリヒを窒息死させる)、
ブリュンヒルデの激しい怒りと復讐、英雄ジークフリートのある意味あっけない最期、
そして、指環がラインの乙女たちに返還され、ジグソーパズルの欠けた一片が戻る映像に至るまで、
すべての場面で、インパクトに富んだハイセンスな絵作りが徹底して行われている印象。

いろいろ挙げ始めるときりがない。ジークフリートが第2日で着ていたS(Siegfried)の
スーパーマンTシャツをブリュンヒルデが着て、
ブリュンヒルデのBの字のシャツをジークフリートが着ていた、とか、
初演時に目を見張ったジークフリートの旅のCG映像は今回はさほど目を惹かなかった、とか。
中でもブリュンヒルデとジークフリートの愛の巣やブリュンヒルデの愛馬グラーネを矮小化し、
神に愛された特別な2人が人間らしく“転落”するさまを象徴的に描いている点は秀逸。
果たしてジークフリートとは本当に英雄だったのだろうか? 英雄とは一体、何だろうか?
――そんな思いもよぎる。彼が成し遂げた偉業といえば、
剣を鍛え、大蛇を倒して宝を手に入れたことと、炎を乗り越えてブリュンヒルデを得たことだけ。
しかも、そのどちらをも、いとも易々と手放してしまうのだ。

現代人が映写機を取り囲むラストシーンはやはり好みではないが、意図に納得はできる。
ウォーナーが描く神々の黄昏とは、耽美からほど遠く、殺伐とした風景だ。

【ゴージャスな楽曲に酔う】

聴覚的にも、さまざまなモチーフが絡み合いながら紡がれるこの第3日は
メロディアスでゴージャスで、極めて聴き応えがある。
連日の寒さもあって、千秋楽のこの日、客席のそこここで咳が・・・。
しかし、舞台およびオケピットはパワフルだった!

今回はなんと言っても、ブリュンヒルデのイレーネ・テオリンと、
ジークフリートのクリスティアン・フランツを讃えたい。
厚みのある声で長丁場を堂々と歌いきり、素晴らしいドラマを造形してくれた。
ダン・エッティンガー指揮・東京フィルの演奏も劇的(管には目をつぶる、もとい耳を閉じる)。
従って、殊に第3幕の「ジークフリートの葬送行進曲」と「ブリュンヒルデの自己犠牲」は
視覚的にも聴覚的にもまさに圧巻であった。

グンターのアレクサンダー・マルコ=ブルメスターの都会的でどこか脆弱なたたずまい、
ハーゲンのダニエル・スメギの暗く酷薄な雰囲気も、このプロダクションに合っていたと思う。
ヴァルトラウテのカティア・リッティングはもう少し声量がほしかった。
ノルン(竹本節子、清水華澄、緑川まり)や、
ラインの乙女(平井香織、池田香織、大林智子)の合唱は精妙な調べ。
グートルーネの横山恵子のクリアな声も印象に残った。

                 * * *

さて、この2~3月は、9時間超の『式能』、約6時間のトーキョー・リング『ジークフリート』、
8時間超の蜷川演出『ヘンリー六世』、そして6時間超の『神々の黄昏』と長時間の観劇が続いた。
ようやくそれらも一段落、と思いきや、うっかり(?)4月頭、つまり今週末の
東京のオペラの森『パルジファル』のチケをゲット。予定上演時間は6時間だ。
私の2010年長時間観劇シーズンはまだ続く。

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