新国立劇場の、ワーグナー作曲・楽劇「ニーベルングの指環」序夜『ラインの黄金』に続き、
第1日『ワルキューレ』のゲネプロにおじゃまする。
もちろん、『ラインの黄金』と同じくキース・ウォーナー演出だ。
演出も歌手も大変素晴らしい。02年の初演も観ているが、今回は満を持しての再演、
しかも3月の『ラインの黄金』後、ほどなくの上演ということも手伝ってか、
プロダクションとして高い集中度と充実ぶりがうかがえた。
ダン・エッティンガー指揮のもとでオケはうなるようにドライヴし、
歌手陣はこれでもかとドラマティックな歌声を響かせるのだ。
◆目と耳を刺激しまくるあれこれ
殊に、豊かで柔らかな美声が魅力のジークリンデ役マルティーナ・セラフィンと、
ヒロイックな歌声のジークムント役エンドリック・ヴォトリッヒによる、
春の訪れと兄妹の再会を喜ぶ1幕クライマックスでの2重唱は聴き応えたっぷり。
このほか、勇ましい戦乙女ブリュンヒルデ役のユディット・ネーメット、
『ライン~』に引き続いてのヴォータン役ユッカ・ラジライネン、
フリッカ役エレナ・ツィトコーワなど、粒がそろった布陣だった。
視覚的には、1幕は室内劇なので比較的地味なイメージも抱いていたけれども、
屋根から赤い矢印(実はトネリコの木)が派手に突き刺さったウッドハウスの中で、
刻々と変わる照明が音楽とともにドラマを申し分なく彩っていたことを特筆したい。
映画「地獄の黙示録」で有名な3幕の「ワルキューレの騎行」の場面は、
初演時にも話題になったインパクト大な設定に。
心なしか、ワルキューレたちの演技が以前より激しくなっていたような・・・?
全体的に「見覚えはあるけどこんなに面白かったっけ!?」と新鮮な驚きをおぼえる舞台だった。
劇場の機構をフルに生かしたダイナミックな装置が、優れた歌い手たちと出会った結果だろう。
◆それにしてもヴォータンって
さて、改めて興味深いのは、神々の長ヴォータンというキャラクターだ。
城を築くために巨人と契約を交わし、サブプライムローンのごとき危機を招く人物。
すべてを手中に収めているようでいて、実は肝心なものはひとつも手に入れておらず、
見慣れた世界にうんざりしたと言いながら、しょっちゅう驚いたり嘆いたりしている神。
娘や息子を愛し、愛されながらも、彼らを手放す運命から逃れられない無力な存在。
だがふとした瞬間に、すべての出来事の糸を裏で引いているのは彼のようにも見える。
なお、ギリシャ(ローマ)神話のゼウス(ジュノー)ばりの恐妻家だが、
キース・ウォーナー演出では、妻のフリッカが彼にメロメロなのが印象的だった。
どうもこのキャラクターの曖昧さ自体が(神話がもとにあるとはいえ)本作品の、
観客をドラマに引き込む仕掛けとして機能しているようにも思う。
5時間半の長丁場(本番はもう少し短いはず)だったが、退屈することもなく堪能した。
第1日『ワルキューレ』のゲネプロにおじゃまする。
もちろん、『ラインの黄金』と同じくキース・ウォーナー演出だ。
演出も歌手も大変素晴らしい。02年の初演も観ているが、今回は満を持しての再演、
しかも3月の『ラインの黄金』後、ほどなくの上演ということも手伝ってか、
プロダクションとして高い集中度と充実ぶりがうかがえた。
ダン・エッティンガー指揮のもとでオケはうなるようにドライヴし、
歌手陣はこれでもかとドラマティックな歌声を響かせるのだ。
◆目と耳を刺激しまくるあれこれ
殊に、豊かで柔らかな美声が魅力のジークリンデ役マルティーナ・セラフィンと、
ヒロイックな歌声のジークムント役エンドリック・ヴォトリッヒによる、
春の訪れと兄妹の再会を喜ぶ1幕クライマックスでの2重唱は聴き応えたっぷり。
このほか、勇ましい戦乙女ブリュンヒルデ役のユディット・ネーメット、
『ライン~』に引き続いてのヴォータン役ユッカ・ラジライネン、
フリッカ役エレナ・ツィトコーワなど、粒がそろった布陣だった。
視覚的には、1幕は室内劇なので比較的地味なイメージも抱いていたけれども、
屋根から赤い矢印(実はトネリコの木)が派手に突き刺さったウッドハウスの中で、
刻々と変わる照明が音楽とともにドラマを申し分なく彩っていたことを特筆したい。
映画「地獄の黙示録」で有名な3幕の「ワルキューレの騎行」の場面は、
初演時にも話題になったインパクト大な設定に。
心なしか、ワルキューレたちの演技が以前より激しくなっていたような・・・?
全体的に「見覚えはあるけどこんなに面白かったっけ!?」と新鮮な驚きをおぼえる舞台だった。
劇場の機構をフルに生かしたダイナミックな装置が、優れた歌い手たちと出会った結果だろう。
◆それにしてもヴォータンって
さて、改めて興味深いのは、神々の長ヴォータンというキャラクターだ。
城を築くために巨人と契約を交わし、サブプライムローンのごとき危機を招く人物。
すべてを手中に収めているようでいて、実は肝心なものはひとつも手に入れておらず、
見慣れた世界にうんざりしたと言いながら、しょっちゅう驚いたり嘆いたりしている神。
娘や息子を愛し、愛されながらも、彼らを手放す運命から逃れられない無力な存在。
だがふとした瞬間に、すべての出来事の糸を裏で引いているのは彼のようにも見える。
なお、ギリシャ(ローマ)神話のゼウス(ジュノー)ばりの恐妻家だが、
キース・ウォーナー演出では、妻のフリッカが彼にメロメロなのが印象的だった。
どうもこのキャラクターの曖昧さ自体が(神話がもとにあるとはいえ)本作品の、
観客をドラマに引き込む仕掛けとして機能しているようにも思う。
5時間半の長丁場(本番はもう少し短いはず)だったが、退屈することもなく堪能した。