12月1日(日)、いよいよ師走に入ってしまった今日、高松市牟礼の栗山記念館で行われた柴野栗山207年祭に参加しました。
9時に行くと、私の席が用意されていて、釈奠の儀式が行われました。これは儒教で行われる伝統的な儀式で、栗山祭の場合は、栗山像に向かって餅や魚などを供えて、みんなで拝礼するものです。私も名前の呼ばれて栗山像に拝礼させていただきました。写真の屏風は栗山の書で、壁の「尊像」は英明高校の創始者の山川波次(号は梅斎)の書です。
そのあと、10時から岡山大学名誉教授で、西山拙斎顕彰会会長でもある廣常人世先生の講演会が1時間ほどありました。演題は「栗山先生の機知」といい、主として栗山の漢詩の解説の話でした。先生は、今年度、「栗山詩集」の解説本を出版されたので、その記念講演も兼ねています。参考までに西山拙斎の略歴を書きます。
西山拙斎 (にしやませっさい) 享保20~寛政10 (1735~98) 64歳
備中の生まれ。名は正、字は士雅。大阪で古林見宜に医学を、岡白駒に儒学を学ぶ。のち那波魯堂に入門。安永2年、郷里で開塾。朱子学を奉じ、詩文や和歌にも優れ、伴蒿蹊・柴野栗山らと親交があった。阿波藩と加賀藩から藩儒として招かれたが断った。
栗山の詩は、蘇東坡や韓退之の影響を受け、機知のきいたものが多いことがわかりました。なお、廣常先生は、私が4月に出版した『後藤芝山の書』の内容に関して、解釈の誤りなどを指摘してお手紙を下さった先生です。とてもありがたく思って夏にはお礼状を出しました。今日、はじめてお会いできましたが、漢学者らしい風格のある先生でした。
栗山記念館には「楷」の木があります。これは漆の仲間で、秋には真っ赤に紅葉しますが、ちょうど今日は天気もよく青空に映えてあまりに美しかったので思わずシャッターを切りました。右下には、栗山の詩碑とレリーフがあり、左下には栗山堂碑があります。これは讃岐の有名な漢学者で書道研究家でもある黒木欽堂の書になるものです。
楷の木は、小枝が同じ位置から両側に同じ角度、ほぼ等間隔に出ます。楷書の様なので楷の木といい、折り目正しい儒学の精神をよく表現しているというので、孔子のお墓をはじめとして、中国の儒学の関係する場所には良く植えられているものです。日本でも大正時代に中国から輸入し、東京お茶の水の昌平黌跡、つまり今の湯島天神の庭や岡山の閑谷学校の庭に植えられています。
栗山は昌平黌で長く学び、日本の朱子学再興に貢献した人物です。それを記念して、栗山堂にも移植されたとのことです。楷の木に関しては下記のサイトをご覧ください。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%82%A4%E3%83%8E%E3%82%AD
祭の後は、高松市歴史資料館へ行って、藤澤東畡展の図録の校正をしてから帰宅しました。