詩人PIKKIのひとこと日記&詩

すっかりブログを放任中だった。
詩と辛らつ日記を・・

アーサー・ビナードと菅原克巳

2020年06月08日 | 最新の詩
今まで取り上げてきた反骨者列伝は、ある程度その著作を読んだ日本人だったけども、いかんせんすでに亡くなられた人々ばかりだった。それで今回は、まだ一冊もその著書を読んでいないアメリカ人の詩人・物書きだけれども、同時代人ということで取り上げてみたい。
ネットで読むことができた唯一の彼の詩はー

    ことば使い

「吠えろ」と怒鳴り
「芸になってない」
と鞭打つ。

一行の
輪抜け跳びを
何回もさせる。

いくらおとなしく
馴れているようでもやつらは
猛獣。       ――詩集『釣り上げては』から――



彼がもっと好きという詩人菅原克巳との出会いは、小熊秀雄を介してだった。
それが彼を、日本人の誰よりも、反骨に詩人へと変貌させたのではと思う。


    マクシム  菅原克己

誰かの詩にあったようだが誰だか思いだせない。
労働者かしら、
それとも芝居のせりふだったろうか。
だが、自分で自分の肩をたたくような
このことばが好きだ、

〈マクシム、どうだ、
 青空を見ようじゃねえか〉

むかし、ぼくは持っていた、
汚(よご)れたレインコートと、夢を。
ぼくの好きな娘は死んだ。
ぼくは馘(くび)になった。
馘になって公園のベンチで弁当を食べた。
ぼくは留置場に入った。
入ったら金網の前で
いやというほど殴(なぐ)られた

ある日、ぼくは河(かわ)っぷちで
自分で自分を元気づけた、

〈マクシム、どうだ、
 青空を見ようじゃねえか〉

のろまな時のひと打ちに、
いまでは笑ってなんでも話せる。
だが、馘も、ブタ箱も、死んだ娘も
みんなほんとうだった。
若い時分のことはみんなほんとうだった。
汚れたレインコートでくるんだ
夢も、未来も……。

言ってごらん、もしも、若い君が苦労したら、
何か落目で
自分がかわいそうになったら、
その時にはちょっと胸をはって、
むかしのぼくのように言ってごらん、

〈マクシム、どうだ、
 青空を見ようじゃねえか〉


ぼくの大好きな菅原克巳の詩「ソスン君のロープ」はー

 なぜ、ソスン君に/ロープをかけなかったのか。/女は青、男は白、/それぞれの囚人服の上に/青いロープがかけられてきたのに、/なぜ、ソスン君にだけかけなかったのか。

 ソスン君のお母さんは顔を伏せ、友だちは息をつめる。/ソスン君は眼鏡ごしに/こっちをさがして/ただ、チラと微笑んだきり。ソスン君の手は/瘤のようになってしまった。/ソスン君のまつ毛のない瞳は/夜も閉ざすことはできぬ。/ソスン君の肉の溶岩は/のどもとまで這い出し、/眼鏡は白ひもで/耳のない頭にくくりつけられてある。

 なぜ、ソスン君に/ロープをかけなかったのか。/なぜ、みんなと同じように/青いロープをかけなかったのか。/ソスン君の傷あとが/今はいたましい、とでもいうのか。/ソウルの第一審、/死刑の判決は二分で終る。/そして/ロープをかけなかった/ソスン君の背後に、/もう一つの/ロープの輪を垂らす

アーサー・ビナードが日本人以上に面白くて、首尾一貫してると思えるのはー
彼の憲法九条や、エコ・ダイエット・ファーストフード等についての「時代遅れ」(ほんとは時代最先端なんだけど・・)の考えや、ビキニ環礁での水爆実験で被爆した第五福竜丸についての本や発言をネットで読んで以来、目が離せない・・同時代でもっとも反骨の詩人・物書きではと感じる。
◆詳しくはー「ここ」
◆リンク集でリンクしてるぼくの日本語・日本文学の師匠の記事はー「ここ」
◆「ブラザー軒」菅原克己を歌う高田渡の映像はー「ここ」


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