詩人PIKKIのひとこと日記&詩

すっかりブログを放任中だった。
詩と辛らつ日記を・・

私のシネマ宣言 映像が女性で輝くとき~人生の転機に立つ〜(抄) 高野 悦子

2020年08月03日 | ドラマ


 第一回東京国際映画祭は一九八五年の五月末に行なわれたが、国際映画祭として、その歴史と規模において世界一を誇るのはカンヌ国際映画祭である。そのカンヌ映画祭が毎年、五月中旬に行なわれているのと重複を避けるためにか、第二回東京映画祭の期間は初夏から初秋へと移され、八七年九月末に開催が決まった。この第一回から第二回までの約二年半は、私にとって大きな転換期ともいうべき歳月だった。人生を変えるような出来事がつぎつぎに起きたのである。

 私の父高野與作は、一九八一年六月十四日、腹部大動脈瘤破裂のため八十二歳で死んだ。とつぜんの父の死を私はなんの心の準備もないままに迎えた。私の若いころ、父は出張が多くいつも留守だったし、父が家でのんびり過ごすころになると、今度は私が外国留学や仕事で留守がちになった。私は父とゆっくり話しあった記憶がない。

 それでも岩波ホールの運営について、ときどき父の意見を聞いた。「いくらよい仕事をしても赤字ばかりでは仕方がない。五円でもよいから黒字にする努力が必要だ」と言った父のことばはいつも頭に残っていて、六年目にわずかながら岩波ホールが黒字になったときは、ほんとうにうれしかった。

 もっと父のことを知りたいと願うようになった矢先の父の急死である。葬儀のとき、私は父の友人の弔辞で、父が私の想像以上に立派な仕事をした人間であることを知った。住職がつけた父の戒名は「黒龍院釋作城居士」である。これは戦前から敗戦まで、旧満州の鉄道建設に従事していた父が、黒龍江の岸辺、黒河に鉄道が達したとき、まるで荒野に城を築いたようにうれしかったと話していたからだという。

 私はなにげなく聞きながしていた父の話を急に思い出した。

「敗戦直後、関東軍司令官から、水豊ダム、鞍山の製鋼所、撫順炭鉱や重要鉄道施設の爆破、鉄道関係図面の焼却が命令されたが、それを阻止した。たとえ死んでもそんなことはやるべきではない。エンジニアは建設するもので、決して破壊をしてはならない」

 父の青春のすべては、満州の鉄道づくりに捧げられたのだ。その鉄道に乗って黒龍江のほとり、黒河の地に立ってみたい、父が一生でいちばんうれしく感じた場所に、私も立ってみたい。こうした思いに私はとりつかれてしまった。

 黒河は中国とソ連の国境の町、日本人は近寄ることのできない場所である。それでも黒河の土を踏み、父を弔いたいという私の心に芽生えた夢を、私は断ち切ることができなかった。ところが、その夢が四年後に実現した。私と長姉岩波淳子に黒龍江省から招待状が届いたのである。私たちが希望した行程、大連から大石橋、瀋陽、撫順、吉林、ハルビン、チチハルを経て黒河までの六千キロを、父が建設した鉄道に乗って旅をしてもよい、しかも、旧知のハルビン医科大学名誉校長于維漢先生が、全行程を案内してくださるという願ってもない好条件だった。

 一九八五年六月九日、第一回東京映画祭が無事に終わり、私は二週間ぶりに帰宅した。国際女性映画週間の予想以上の成功に私は満足だった。しかし、そのすばらしい余韻を味わっている暇もない。私はあわてて中国行きの支度にとりかかった。五日後の六月十四日、父の四回目の命日を済ませると、私は中国民航で成田から北京へと向かった。いま、生まれ育った中国東北地方へと旅立つ。この思いは私を異常なまでに興奮させた。

 中国旅行は万事順調だった。七月七日、念願の黒河の地に立った姉と私は、野で摘んだ花束に父の好物だった菊正宗をたっぷりかけて河に流し、父の死を弔った。すっかり満ちたりた気分になった私は、さあ、これからもっとがんばろうと決意して帰国したのだが、そんな私に新潮社の大門武二氏が、この中国旅行をまとめた『黒龍江への旅』という本を書くようにと勧めてくださった。

 それはごく簡単な作業のように思われた。私の胸のなかには書きたいことが山のようにあったし、資料も充分すぎるほどそろっていた。しかし、筆をとり原稿にとりかかった矢先の九月末、母が病に倒れたのである。

 心臓発作ではないか。私は救急車で日本医科大学付属病院の集中治療室に母をかつぎこんだ。幸い心臓発作ではなかったが、三日後に胆嚢炎と診断された。小指大の石が動いて胆道が詰まったのだという。この九十年間、胆嚢に石があるなど夢にも思わなかったと母は言う。若ければ簡単に手術ができるが、私は、母に痛い思いをさせたくない。ただただ薬で治ることを祈る毎日だった。本を書こうという気持ちは吹き飛んでいた。いちばんに読んでもらいたい母が危篤なのである。

 無事、胆嚢炎を散らして、母が集中治療室から老人科の病室に移ったのは、入院して十五日目だった。だが、ほっとする間もなく背中に床ずれのようなものができた。一大事とばかり、私は母の背中をさすったりたたいたりした。それがヘルペスであることがわかったのは一週間後である。右胸から背中にかけて帯状ヘルペスができたのだ。ヘルペスはとても痛いという。それをたたかれながら、母は一度も「痛い」とは言わなかった。

 ヘルペスは命に別条ない。でも、治るのに一カ月はかかるという医師のことばに、私たち家族は「がんばってね」と身動きのできない母をただ励ますばかりだった。しかし、食欲を失った母はみるみるうちにやせていった。それでもがんばり通せたのは、母が立派な体格をしていたからであろう。母の身長からすると五十二キロぐらいが標準のようだが、母の体重はそれより二十キロもオーバーしていた。だが、古くからの主治医の武見太郎先生は、「あなたは若いころから太っていた。人間だれでも最後には自分の肉を食べて生きのびるのだから、無理なダイエットはしないほうがよい」とよく母に言っていた。武見先生の言われた通り、母は自分の体で生きのびた。二カ月後に退院したとき、母は五十キロ台の体重になっていた。

 一命をとりとめた母の帰宅を私は喜ぶべきだが、絶対安静が続いたせいか、母は手洗いにも立てない完全な寝たきり老人になっていた。リハビリのために養護施設に母を入れるか、自宅療養にするかの二者択一を迫られたとき、私は迷わず自宅療養を選んだ。二十四時間の看護のため、家政婦さんにも来てもらった。しかし、老人問題は女性問題といわれるように、私には母の看護と仕事の両立がつらかった。妻や娘、あるいはお嫁さんがいたらどんなに助かるだろうと、つくづくまわりの男性がうらやましかった。

 百円と百万円を間違えるようになったらおしまいだ、九十歳なのだから静かに寝かせてあげたら、と言う人もいた。だが母は、入院までは家をとりしきっていたのだ。私には諦めがつかなかった。

 また、歩けなくなった、起きてご飯が食べられなくなった、と問題はいろいろあるが、いちばん困ったのは、病院でおむつを使っていたために、おむつなしの生活ができなくなったことである。明治生まれの女性は、とりわけそういうことにこだわる。誇り高い母にとっておむつは致命的だと思うのだが、それも私にはどうすることもできない。

 私は出勤前、眠っている母を起こしていちいち注文をつけ、夜中に帰宅するとまた眠っている母をゆり起こし、医者や家政婦のことばを言って聞かせた。「お母さま、ぼけないで」と叫びながら、私は悲しくて涙をこぼした。しかし母は頑固におし黙り、白い目で私を見上げるばかりだった。

 母の病気で困っていたちょうどそのころ、私は羽田澄子監督の「痴呆性老人の世界」(八六)を見た。それはいわゆるボケ老人を収容する病院のドキュメンタリー映画だが、そこにはいろいろな症状の老人たちが出てくる。もうぼけてしまったと思われていた老女たちが、家族や周囲の人々の深い理解や愛情で記憶を取り戻す一方、ぼけたぼけたといわれることによってさらに病状が悪化する。そんな様子を見事にとらえた作品だった。

 耳が遠くなったために会話がわからず、それが痴呆だと誤解されてしまうこと、記憶が薄れるのは現在であって、過去は鮮明に残っていること、またその鮮明な過去から、現在の忘れられた記憶がよみがえることがある。つまり一見ぼけて何もわからなくなっているように見えても、いきいきとした豊かな感情は残っているのだから、老人たちの人間としての尊厳を大切にしなければならないことを私は学んだのである。画面にはっきり映し出された・説得より納得・という文字に私ははっとした。

 私が今まで一生懸命やってきたことはなんだったのか。医師、看護婦、家政婦、手伝いと、母の面倒をみてくれる人たちの意見をそのままに、母を説得ばかりしていた。朝早く、夜遅く、眠っている母を無理やり起こしては、まわりの人が私に訴えたことばかりをくり返し母に言っていたのである。ああしてはだめ、こうしてはだめ、ああしなさい、こうしなさいと。

 母は私のことばに一度も納得したことがないのではないか。私は一度も母の意見や希望を聞いたことがなかったのではないか。たいへんなことをしていた。母の気持ちを私はゆっくりと聞かなければならない。・説得より納得・という文字は、私の心に深く刻みついた。

 その翌日から私は母との付きあい方を変えた。仕事はなるべく自宅でできるように岩波ホールのスタッフの人たちに都合してもらい、母の看病は私が自分でするようにした。母とゆっくり話しあい、母のペースに合わせて母の望むことを知ろうとした。私の言うことがわからないときは、紙に書いた。はじめ母は足腰が痛いといって体を動かしたがらなかった。私が体にさわるのもいやがった。しかし、私は「ごめんなさい」と謝りながら、母の手足をさすることから始めた。そして次第に背中や腰をさすった。食事も私がつくった。母はなかなか口を開けてくれなかったが、「私が一生懸命つくりましたから、まずいでしょうけれど食べてください」とくり返し頼んだ。半日頼んでいたら、母は「食べてあげる」と言って口を開けた。

 次は、熱い湯で絞ったタオルで体を拭くことに成功した。大病でやせたとはいえ、母の体は九十歳の老人とは思えぬほど肉づきがよく、色白で美しかった。しかし、その背骨は折れ曲がり、骨の一部が直角にとび出ていた。

 私は、子どものころ住んでいた大連のことを思い出した。生後間もない私を抱いた母は、人力車の事故で車からほうり出されたとき、私をかばうために背骨を傷めた。それをカリエスと医師に誤診され、長い期間ギプス生活を強要されて、母の腰はすっかり曲がってしまった。若いころはそれでも不自由はなかったが、七十歳を過ぎると、後遺症で歩けなくなった。こんな体で母は長いあいだ、私の帰りを明け方まで待ち、私の面倒をみてくれていたのだ。私の身代わりになって健康を失った母の、こんなおそろしい状態を少しも知らなかった私、痛がる母をどなっていた私、私は心から母に対して申しわけなく思った。今度は私が母のために働く番である。「かわいそうに、痛いでしょう」と私はとび出した腰の骨をそっと拭いた。母がやっと口をきいた。「少しも痛くありません」

 驚いたことに一週間もすると、母は起き上がって自分で用をたし、食事もとるようになった。私が心を入れかえただけで、母は元気になった。

 ある日、岩波ホールから帰った私は、家政婦さんからこんな報告を受けた。母がベッドのまわりをはいずってリハビリに励んでいたというのである。「私が死ぬと悦子が一人になってかわいそうだ」と言いながら。

 私はこのことばを聞いてまた目がさめた。父が死に、母が病に倒れたから、私はがんばろうと思った。しかし、私の体からは「お母さまのためにがんばっているのよ」と、金銭的にもたいへん、肉体的にもたいへんという恩着せがましい匂いがプンプンただよっていたのではないだろうか。病身の母は日ごろから、九十歳まで生きれば何も思い残すことはない、もう父のもとに行ってもよいとよく言っていた。だから、母の生きる理由はただ一つ、一人残される私があわれということだ。老骨に鞭打ってがんばっているのは母のほうだった。それなのに私は少しもそれを理解せず、母をどなったり無視したりしていた。そんな憎らしい娘のために、母が生きる理由も希望もなくしたのは当然である。私はいまさらながら母の強い愛を知り、子を思う親の気持ちがありがたかった。そして、私はこうして母の世話ができることを、神から授かった私の幸運と考えるようになったのである。

 それまで私は、岩波ホールで上映したエキプ・ド・シネマ作品のおかげで、さまざまな勉強をしてきた。世界の国々にたくさんの友だちもできた。それだけでも充分なのに、今度はこうして上映作品によって母を助け、私自身も幸福になることになったのである。

「痴呆性老人の世界」は一九八六年五月に岩波ホールで封切られ、大きな反響を呼んだ。いまでも貴重な老人問題の映画として、全国的にくり返し上映されている。

薔薇マークキャンペーン声明 : 「命の選別」と反緊縮は相容れない

2020年08月03日 | 政治
●「命の選別」と反緊縮は相容れない●

 7月31日、反緊縮!暮らしへの大胆な財政出動!を求めて活動している薔薇マークキャンペーンの呼びかけにこたえて、21人の経済学者、社会学者、評論家、作家などが連名で「全ての個人が尊厳ある人生を送れる社会の実現を――「命の選別」は反緊縮と相容れない」という声明を発表しました。
 この声明は、京都での嘱託殺人を契機に「尊厳死」を議論しようとする風潮が一部で生まれ、一方で、反緊縮!を掲げて活動してきたれいわ新選組の中から「命の選別」を正当化する意見が表明されるという事態に、重大な危機感をもって発表されたものです。
 薔薇マークキャンペーンは、反緊縮の経済政策を提唱してきた経済学者、社会学者、アクティビストと、介護、医療、保育などの現場で闘い続ける人びとの交流・討論を広く呼びかけています。

=====================================
【声明】全ての個人が尊厳ある人生を送れる社会の実現を――「命の選別」は反緊縮と相容れない
2020年7月31日
【薔薇マークキャンペーン代表】
松尾 匡(立命館大学経済学部教授)
【薔薇マークキャンペーン呼びかけ人】
西郷 南海子(薔薇マークキャンペーン事務局長)
朴 勝俊 (関西学院大学総合政策学部教授)
池田 香代子(翻訳家・作家)
稲葉 振一郎(明治学院大学社会学部教授)
色平 哲郎(佐久総合病院医師・社会運動家)
岩下 有司(中京大学名誉教授・経済学)
北田 暁大(東京大学大学院情報学環教授)
岡本 英男(東京経済大学学長)
小田中 直樹(東北大学大学院経済学研究科教授)
梶谷 懐(神戸大学大学院経済学研究科教授)
桂木 健次(富山大学名誉教授・経済学)
岸 政彦(立命館大学大学院先端総合学術研究科教授)
西郷 甲矢人(長浜バイオ大学教授・数学)
斎藤 美奈子(文芸評論家)
橋本 貴彦(立命館大学経済学部教授)
森永 卓郎(獨協大学経済学部教授)
山本 圭(立命館大学法学部准教授)
菊池 恵介(同志社大学GS研究科教授)
内田 樹(神戸女学院大学名誉教授・京都精華大学客員教授)
ブレイディ みかこ(保育士・ライター)

●●反緊縮は「命の選別」を許さない●●
7月23日、ALS(筋萎縮性側索硬化症)を発症した京都市の女性に薬物を投与して殺害したとして、2人の医師が逮捕されました。この事件を受けて、一部の政治家が安楽死や尊厳死についての議論を呼びかけましたが、これは決して許されるものではありません。
逮捕された医師の一人は「高齢者への医療は社会資源の無駄、寝たきり高齢者はどこかに棄てるべきと優生思想的な主張を繰り返し、安楽死法制化にたびたび言及していた」と報じられています(「京都新聞」7月23日)。ここには、2016年に起きた「津久井やまゆり園」の大量殺傷事件において、植松聖死刑囚が、自らの行為を正当化する根拠として、社保障費の増大による財政危機を持ち出していたのと、同根の考え方があることは否定できません。
財政危機論が煽られ緊縮政策が進められる現在の日本において、少なくない人々が、自力で生活できない人のために社会保障費を増やし続けて大丈夫だろうか、という漠然とした不安を抱かされています。こうした不安に付け込む形で、安楽死や尊厳死についての議論が進められることは、非常に危険といわざるをえません。死についての自己決定権の問題であるかのような外見の下に、生きたいと願う人に死を選ぶ強い圧力を感じさせてしまう社会がつくられてしまいかねないからです。
さらに、いわゆる延命治療を望まないとしても、緊縮政策は「生きてきてよかった」と思える丁寧なケアを実現するために、決定的な制約となることを指摘しておかなければなりません。本当に当人にとって「生きていてよかった」と思える丁寧なケアを実現するためには、緊縮政策下での延命治療よりも、多くの人手と医療資源が必要でしょう。医療をめぐって、当事者の自由な自己決定は、緊縮政策の下では実現できないのです。
このような「命の選別」を絶対に許さず、全ての人が「生きていてよかった」と感じられる社会を目指すのが、反緊縮の思想であったはずです。
ところが、反緊縮を掲げる勢力の中から、「命の選別」を正当化する主張がなされるという重大な出来事が起きてしまいました。れいわ新選組の構成員であった大西つねき氏が、労働供給の制約を根拠に、「命、選別しないとダメだと思いますよ」「その選択が政治なんですよ」と発言し、れいわ新選組を除籍されたのです。この大西つねき氏の発言は決して許されるものではなく、反緊縮の根本思想と絶対に相容れないものです。
たとえ、経済的な理由から肉親の延命治療を断らざるを得なくなったり、医療資源の不足で医療労働者がトリアージ(災害などで多数の患者が同時に出た時、治療の優先度を決定して選別を行うこと)を余儀なくされたりする状況があったとしても、そこで何よりも問題にすべきなのは、現場の関係者にそのような苦渋の選択を強いる貧弱な医療体制であり、こうした貧弱な医療体制をもたらしてしまった緊縮政策です。反緊縮運動がやるべきことは、現状の貧弱な体制を前提にして、外部の者が聞きかじった情報をもとに、現場の関係者が思い悩まなくて済む方向へ公的制度を向けるよう議論を急かすことではなく、現場の関係者の苦渋の思いをみんなで分かち合いながら、緊縮政策への怒りに向けていくことであるはずです。

●●新自由主義の人間観に対決する「人は生きているだけで価値がある」という思想●●
緊縮政策をもたらしてきた新自由主義の思想には、人間を「使える」「使えない」で選別する能力主義があります。その根底には、「理性」を身体の上位に置き、身体は「理性」の入れ物に過ぎないという人間観があります。ここから、お金儲けのための理性的な計算や、公共的な事柄についての理性的な考察を個人に課し、その優劣によって個々人をランクづけして、不遇な結果を自己責任として突き放すのです。資本や国家への貢献度によって個々人を優劣づける思想の蔓延こそ、この社会を生きづらいものにする根源になっています。
こうした新自由主義の人間観と最も鋭く対決するのが、「人は生きているだけで価値がある」という考え方です。これは、理性に代えて「生きているだけ」で存在する生身の身体を政治的舞台の主人公に据え、空腹の胃袋や筋肉痛の手足の感覚・感情をも根拠にして、エリートの「理性」が押し付けてくる強者の都合に反逆するものです。私たちは、この「人は生きているだけで価値がある」という言葉こそ、反緊縮思想の核心であり、現在の生きづらい社会に対する最も確かな対決軸となるものだと考えます。99%の側の全ての庶民に——明確には言語化されていないかもしれないけれども——共通する、まっとうな怒りや願望に依拠し、それを汲み取ってスローガン化してこそ、様々な場面で立ち上がった広範な人々に支えられる形で、緊縮勢力に勝つことのできる政治的な連携をつくっていけるはずです。
理性的な自分が、自身の発言をうけた大衆の判断による負託にもとづき生身の命を救うか否か判断を下していくという大西つねき氏の発言(※1)は、こうした考え方と対極にあるものです。これは、生身の個々人のコントロールのきかない外から、エリートの理性の選択が生身の個々人の誰彼を選別して損壊してくるということであり、絶対に容認するわけにはいかないものです。

●●全ての人が尊厳のある人生を送れる社会を実現しよう●●
「人は生きているだけで価値がある」という思想は、「生きているだけ」で存在する生身の個人を主人公に据え、全ての「生きている」人を尊厳ある権利主体として扱うことを要請します。身体反応レベルの選択は、いわゆる理性的選択と優劣なく、最大限尊重しなければならないものです。ここに「命の選別」が入り込む余地は全くありません。この立場は、大西つねき氏が「命の選別」の根拠として持ち出してきた(※2)労働供給の制約の問題を考慮しても、変わるものではありません。
たしかに、将来的に、高齢化の進行により医療・介護などに人手がたくさん必要になり、それらの部門で必要になる物財の生産のためにも人手が必要になって、労働不足が発生することを心配する人も少なくないでしょう。しかし、この場合でも、社会の合意によって選別されるべきは「命」では絶対にありません。全ての生身の個人の尊厳を守ることを絶対に譲れない大前提として、労働の配分をどのように選択していくかが問われるべきなのです。
例えば、機械や工場の生産が過剰な場合はそれを抑えるために法人税を上げたり、カジノなど一部の富裕層の利益にしかならない事業に財政支出することを止めたりすれば、これらへの労働の配分を減らして、介護分野にまわすことが可能になります。また、今後、介護分野を含む様々な産業においてロボットやAIの開発・活用が進んでいくことも考慮すれば、既存の予測の延長線上で考えるよりもはるかに、労働配分の選択の余地が広がっていくはずです。
介護(ケア)は、対象者の命や生活をサポートする重要な仕事です。実際、介護の仕事にやりがいを感じ、個人の尊厳を守るために奮闘しているたくさんの人たちがいます。しかし,同時に、介護の現場では、その責任の重さとつり合いの取れない厳しい労働条件を強いられています。ケア労働が正当な社会的評価を受けるためにも、政府の支出を傾けていくべきなのです。とりわけ、現在、介護分野における人手不足の根本原因となっている低賃金を解消することは急務です。高齢者の介護のために若者の時間を費やさせるのが気の毒だという理由で、介護労働の節約を考える必要は全くありません。
いうまでもなく、ケアを必要とするのは高齢者だけではありません。子ども、病気になった人、障がいを持つ人など、様々な人たちがケアを必要としています。その全ての現場において、生身の個人の尊厳が守られる体制をつくっていく必要があります。
いま緊縮政策がもたらしているのは、「生きているだけ」で存在している生身の個人が損壊されるか否かが、所得の大小や雇用にありつけているか否かで選別されてしまうシステムです。こうした選別が、分別ぶった財政規律論のお説教で押し付けられてくることに反対するのが反緊縮の思想です。「財政」も「通貨」も、人が生きていくための決まりごとにすぎません。それを自己目的化して、生身の個人を犠牲にするのは本末転倒です。私たちは、全ての人が尊厳のある人生を送れる社会の実現に向けて、反緊縮プログレッシブ運動の形成を目指していきます。

※1「私が「政治家が命を選別しなければならない」と思わず言ってしまったのは、このように命の選別になりかねない考えも恐れず発信し、場合によってはそれに賛同する人々の負託を受けて、代理人とし実行する仕事であるということです」(https://www.tsune0024.jp/blog/7-17<7/17 大西つねき会見全文>)
※2「お金がいくらでも作れることが理解されれば、上限はお金ではなく、それで動かせる人の時間と労力という「実体リソース」の有限性になります。少子高齢化で人口バランスがとてもいびつになる中、果たして十分な人材を確保できるのかどうか」(同上)
========================
【声明のページ】
https://rosemark.jp/2020/07/31/2020073101/

 きっこ @kikko_no_blog

2020年08月03日 | 政治
https://mobile.twitter.com/kikko_no_blog 強度の発癌性が指摘されてEUが30年前から「輸入禁止」にしてる米国の除草剤「ラウンドアップ」、日本はジャンジャン輸入し続けてるけど、安倍晋三は2014年に「ラウンドアップ」の食品残留度を大幅に緩和した。日本人が癌になっても米国企業が儲かればいいという安倍晋三の政治方針、どこが保守なの?

農家も漁師もお豆腐屋さんのような加工業も、みんなホントなら「美味しくて安全な食材や食品を提供したい」と思ってる。でも安倍晋三と竹中平蔵が率いる米国奴隷の自民党政権は日本の一次産業と日本人の食卓を破壊して米国に売り渡すことしか考えていない。その結果が今の「日本の食の危機的状況」だ。

日本の海水魚は「水揚げした港が産地」になるため、福島第1原発事故が発生した直後は、福島沖で獲れた魚を福島の漁港で水揚げすると買い手がつかないため、わざわざ燃料代を使って南下して、神奈川県の三崎漁港や静岡県の沼津漁港で水揚げして「神奈川県産」や「静岡県産」として出荷してたよね。
·
日本のお米の最高峰は新潟の「魚沼産コシヒカリ」だけど、魚沼産コシヒカリは作付け面積から計算して年間に約7.8万トンしか生産できない。でも実際にはその50倍もの魚沼産のコシヒカリが全国に流通してる。つまり大半は「偽物」ということ。これが安倍自民党が推し進めて来た農業政策の結果なのだ。
·
国産として高値で売られてるウナギの大半は中国産。中国で蒲焼きにしたウナギを輸入すれば安いが、中国から生きたウナギを輸入して浜松の養殖池に1週間ほど泳がしてから蒲焼きにすると「浜松産」として2倍以上の価格で売れる。今の国産ウナギの8割はコレ。これなら安い中国産を食べたほうが百倍マシ。

校生ビラまき弾圧事件 : 水泳授業のあり方問うビラ配った都立高生を副校長が「私人逮捕」 

2020年08月03日 | 政治
水泳授業のあり方問うビラ配った都立高生を副校長が「私人逮捕」 
 目黒区立第九中学校

平松けんじ *インタースクールジャーナル配信記事
http://www.labornetjp.org/news/2020/0803hira

写真・目黒区立第九中学校(7月12日・東京・目黒区洗足=大須賀太一撮影)

 先月8日、公道上でビラを配布していた都立高校生が、近くの目黒区立第九中学校の高橋秀一副校長(55)に「私人逮捕」されるという事件があった。現場は目黒区立第九中学校の校門から約50m程度離れた住宅街の公道上で、高校生はビラで同校の近隣にある都立小山台高校(東京・品川区)の水泳授業のあり方を問い、生徒自治組織の設立を呼び掛けていた。高校生は7月28日に処分保留で釈放されたものの、20日間にわたり勾留された。

 勾留状によると、高校生の容疑は「公務執行妨害」。高校生は目黒区立第九中学校の高橋秀一副校長(55)にビラ配布を注意されたため、携帯電話で動画を撮影。その際に高橋副校長を携帯電話で殴打したとされる。警視庁碑文谷警察署の松本俊彦副署長によると、午前8時ごろに高橋副校長が高校生を「私人逮捕」し、午前8時50分ごろ駆け付けた碑文谷警察署員に引き渡したという。

*現場映像から見る逮捕までの経過*

動画1URL https://www.youtube.com/watch?v=qU0TedtUkaQ
動画2URL https://www.youtube.com/watch?v=RarMGsnC8lk

動画上・ビラ配布を「注意」する高橋副校長(7月8日・高校生撮影)
動画下・高校生に迫りくる高橋副校長ら(同)

 しかし現場で高校生が撮影した映像からは全く違う実態が見えてきた。映像では*「ソーシャルディスタンスを保ってください」*と後ずさりする高校生に急速に身体的距離を詰めていく高橋副校長の様子や複数の教員らが高校生を取り囲むような様子が記録されている。

動画URL https://www.youtube.com/watch?v=UZfb8CDehTQ
動画・「公務執行妨害」とされる瞬間を捉えた動画(7月8日・高校生撮影)

 また、高校生は自身が高橋副校長を殴打したとされる瞬間の映像も撮影している。映像では高橋副校長は高校生の携帯電話を手で遮りながら複数の教員とともに、後ずさりしている高校生に自ら近づいている。その後、高橋副校長が「痛ってぇ。いててて。」「触られた」「ぶたれたんだよ携帯で」などと主張し、警察に通報するまでの様子が記録されている。

取り押さえていないのに「逮捕」!?

 逮捕の状況も明らかになった。警視庁碑文谷警察署の松本俊彦副署長は「(高橋副校長が高校生を)強制して取り押さえたわけではない。」と述べ、警察官が駆けつけるまでの間、高橋副校長が高校生の身体を取り押さえていなかったことを明らかにした。松本副署長は、記者に高校生が自発的意思で現場にとどまっていた可能性を指摘されると、「とどまってたんですね。だからね。」と述べ、高校生が逃亡するわけでもなく、現場にとどまっていたことを認めている。これが果たして「逮捕」と言えるのかと問うたところ、松本副署長は物理的に取り押さえていなくても「私人逮捕」になるとの見解を示した。

 高校生は20日間勾留されたが、高橋副校長がどのような「注意」をしていたのか、何故学校の外を巡回していたのか、警察は全く把握していなかった。松本副署長は、高橋副校長が私人逮捕直前にどのような「注意」をしていたのかについて、「それは本人に聞いてださい。わかりません。」「注意をしていたという事実しか聞いてないんですね。」と述べたほか、高橋副校長が校門から4,50mも離れた場所を巡回していたのかについて、「学校警戒じゃないですか?」と推測するにとどまっており、事件発生前に何が起こっていたのか把握していないようだった。

黙秘を理由に逮捕勾留・家宅捜索

 高校生は7月8日に警察に身柄を拘束されてから7月28日朝に釈放されるまで20日間碑文谷警察署の留置場で勾留されていた。高校生は警察に連行されて以降、20日間警察・検察・裁判官に対して黙秘を貫いた。松本副署長は高校生の勾留が20日間にわたったことについて「勾留は検事の判断ですから警察の判断ではございません」と述べたものの、「黙秘があったんで、逮捕・勾留した」とも述べた。また、松本副署長は「黙秘をするとこれは罪証隠滅の恐れになると警察では判断せざるを得ない」と述べ、黙秘をしたことで罪証隠滅の恐れがあるから勾留となったことを示唆した。

 このほか高校生は先月14日、碑文谷警察署警備課の野澤健警部補らに自宅を家宅捜索されたが、捜索の理由も「黙秘をされて全然捜査が進まないということ」(松本副署長)だという。

文科相「実際あり得ないのでは」

動画URL https://www.youtube.com/watch?v=mRuaEgGzmKk
動画=本紙記者の質問に答える萩生田光一文科相(7月31日・文部科学省で=平松けんじ撮
影)

 萩生田光一文科相は、7月31日の記者会見で、学校外のビラ配布に対し警察を呼ぶことについて、「基本的に学校外で行われていることに学校の先生方が直接関与するというのは実際にはあり得ないんじゃないかな」と述べた。

 目黒区立第九中学校の片柳博文校長は、*「捜査中なのでコメントを控える」*と回答拒否。高校生を「私人逮捕」した高橋秀一副校長は不在だった。

論評◇ビラ配布を「注意」っておかしくない?
 一般的に公道上でビラを配布することは「表現の自由」(憲法21条)にあたり、国民の権利として保障されている。したがって何人たりともこれを妨害するような行為は許されない。

 高橋副校長はビラまきに対して「注意」をしていたというが、後ずさりしている高校生に鬼のような形相で急速に距離を詰める行為が「注意」と言えるのか。むしろ映像からは高橋副校長のほうが何か暴力的なことをしてくるのではないかという恐怖感を感じさせる行動をとっている。今回、高校生は高橋副校長に対する「公務執行妨害」の容疑で逮捕・勾留されたが、このような「注意」の仕方が適法な公務として認められるのだろうか。事実上ビラまきを中止させるような権力行使は明らかな「表現の自由」の侵害ではないか。

 そして今回の高橋副校長の対応は教育者としてふさわしいものであったのか大変疑問だ。
ビラを配ったら副校長に詰め寄られた末、逮捕され、20日間勾留されるーこんなことがまかり通れば中学生も高校生も署名活動や声を上げることは全くできなくなってしまう。
文部科学省は「主体的・対話的な学び」を推進しているというが、現場の実態は真逆だ。子どもが意見表明できる機会なくして子どもが主体的に行動するなんてことは困難だ。

 また、黙秘権は被疑者に認められた権利だ。権利行使を理由に20日間も拘束され、家宅捜索までされたらたまったものではない。これは明らかに学校・警察・検察・裁判所一体での人権侵害ではないか。高校生が声を上げれば権力に寄ってたかって弾圧されるーこの国は本当に民主主義国家なのだろうか。

*インタースクールジャーナル配信記事
URL http://interschooljournal.officeblog.jp/23761877archives/20200801html

世に倦む日日 第2次安倍政権の支持率が先月に続いて過去最低を更新

2020年08月03日 | 政治
しかし、何で、NHK-NW9も、TBS-NEWS23も、新橋の「根室食堂」と「やきとんユカちゃん」なんだ? 居酒屋は他にも腐るほどあるのに。同じ店の同じ人間に同じ台詞を言わせている。ニュースを制作してるの、内閣府なわけだ。原稿の台本があって、各社を集めて撮らせている。北朝鮮テレビ。
JNNの世論調査で、第2次安倍政権の支持率が先月に続いて過去最低を更新。TBSは支持率が常に高めに出る傾向があるが、不支持が60%を超えたのは初で、支持と不支持の差がこれほど大きくなるのも初。

戦後75年。節目の年なのに、NHKが何も特集番組を制作していない。信じられない。https://www6.nhk.or.jp/nhkpr/post/original.html?i=24488 …

ポンペイオの下品で下劣な反共攻撃は、知性と良識のある米国民なら聞きたくないものだっただろう。あれは日本で「ネトウヨ」と呼ばれる右翼の台詞だ。あんな話を国務長官が口にした時点で、もう米国は終わっている。国家の品性のレベルで負けている。「米国敗れたり」の瞬間。https://www.youtube.com/watch?v=PLE8LYHQpHU …


アイスブレイカー 超巨大氷山崩落

2020年08月03日 | 映画
1985年3月、南極。砕氷船の<ミハイル・グロモフ号>は巨大な氷山を避けられず巻き込まれてしまう。船体は深く損傷、身動きが取れなくなったグロモフ号の目の前に立ちはだかる巨大な氷山。133日間、救出がないまま食糧と燃料が尽きていく。吹き荒れるブリザードの寒さと静けさの中、乗員達は脱出する方法を探すが、沈没寸前の砕氷船の命運は尽きようとしていた――

キャスト
ペトロフ船長:ピョートル・フョードロフ セフチェンコ船長:セルゲイ・パスケパリス
スタッフ
監督:ニコライ・コメリキ

極寒の最果てに残された70名の乗組員―133日間救助なし、食糧が切れ、燃料残り僅か――知られざる男たちの感動と興奮を巻き起こすディザスター・パニック!!
1985年3月、南極。砕氷船の<ミハイル・グロモフ号>は巨大な氷山を避けられず巻き込まれてしまう。船体は深く損傷、身動きが取れなくなったグロモフ号の目の前に立ちはだかる巨大な氷山。133日間、救出がないまま食糧と燃料が尽きていく。吹き荒れるブリザードの寒さと静けさの中、乗員達は脱出する方法を探すが、沈没寸前の砕氷船の命運は尽きようとしていた――