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2007/05/13(日) 番外地
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パソコンで映画を見ていたら侘しい駅が映った。 ホームのはずれに跨線橋がある。 ホームには斑に雪が残っている。 昭和四一年の根室本線の白糠駅を思い出す。
当時、北海道の教員試験が夏に東京であり受験したが合格しても一向に採用通知が来ない。 三月の末になってしびれを切らして北海道教育委員会・教育長宛に手紙を出した。 住所が分からないので、「札幌市内」教育委員会殿とした。 諦めていたら四月になって電報がその頃住み込んで働いていた大岡山の牛乳店に来た。 「コラレタシ シラヌカコウコウ」とある。 シラヌカが何処だか見当もつかない。 発信局を見たら釧路とある。 地図を見たら釧路の手前に白糠という駅があった。
何時間かかったのだろうか。 特急でやっと白糠に来た。 特急だから通過駅である。 釧路まで行ってから普通で折り返す予定であった。 ところが何かの都合で特急が白糠駅に停車した。 ドアは開かないが止まったままである。 急いで最後尾に行って車掌さんに頼んだ。 「降ろしてくれませんか」 車掌は降ろしてくれた。 特急での白糠駅凱旋である。
駅員に聞いた。 「この町に高校がありますか」 「ない」と言われたらどうしようかと思った。 「ある」と言われてほっとして教えられた道を歩いた。 寒々とした道であった。 市街地を過ぎると大きな川に架かる橋を渡る。 右手はびょうびょうたる原野である。 左手は何とも寂しい色の海である。 30分ほど歩いて白糠高校に着いた。
そこに七年いたのだ。 川の名は茶路川という。 宿舎の寮の住所は、茶路マサルカ番外地であった。 「番外地かあ」 妙にそれが気に入って高校時代の友人何人にも手紙を出した。 「・・・マサルカ番外地」よりだ。 いつまで待っても誰からも返事は来なかった。
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2007/05/14(月) 気弱
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「定時制」というのは大変である。 出勤時間は午後二時、十時ごろ帰還する。 皆がのんびりと夕餉にいそしむ頃、仕事がピークとなる。 夕方からがとてつもなく忙しいのだから調子が狂う。 一日の重みが夕方からにどっとかかる。 「定時制勤務」何十年という猛者がいる。 たいしたものだ。 人間は朝、太陽が出て働き出すのが真っ当であろう。
アルバイトで夜勤等も経験したが人間本来の生理に反している。 体の具合を悪くする。 夜勤何十年という猛者もいる。 これまたたいしたものだ。 たいしたものだが夜勤と言う勤務の在り方は問題である。 問題ではあるが警備員などは夜が商売である。
警備のバイトをしたことがあるが学校などはまことに苦手であった。 昼間の人間の体温が残っている。 深夜、ピアノ練習室など巡回するとピアノが鳴り出すような錯覚に捉えられる。 気の弱いせいかびくびくする。 木造の古い建物などの巡回はギシギシと音がするしどこからとなく光が乱反射したりしてまいった。 気が弱いと言うのも困ったものだ。
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2007/05/15(火) 巫女
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巫女とは巫(かんなぎ)女であるという。 神と人との橋渡しをするものである。 皇室の行事なども神との関わりであるから女帝がふさわしいのではなかろうか。 暗い部屋に入って祈祷するには男は向かない。 霊感の強い者も多く女性であると思われる。 この世には分からぬことが満ちている。 それゆえ呪術的な世界もまた多様に存在する。
気が弱いからはなからそうしたものと関わらないようにしてきた。 それでもいくつかの見聞はある。 それらを聞くとほんとに信じがたいが嘘とも思われない。 説明がつかない世界がこの世にあるということだけは確かである。
話は変わるが最近体調が悪いせいか妙な夢を見る。 細かい点、会話のひとつひとつまでが明瞭に記憶されて目が覚める。 どう考えてもどうしてこんな妙な夢を見るのか空恐ろしいことがある。 頭が段々壊れてきたのであろうか。
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2007/05/16(水) 人殺し
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佐多稲子がテレビに出ていた。 1985年の録画である。 80歳であろうか、実に矍鑠たるものがある。 94歳まで生きた。
その中で小林多喜二を皆が囲んでいる写真があった。 虐殺された直後の写真である。 母親が「立ちなさい、 立ちなさい」と横たわっている多喜二に一所懸命訴えている。 多喜二を拷問して殺したのは誰なのか。 多喜二を売ったのはスパイ三船留吉である。 これは嶋根清が徹底して追いかけた。 実際に足に釘を打ち込んで殺したのは築地署の誰なのか。 29歳の多喜二が何故に殺されねばならないのか。 やった奴を徹底して糾弾せねばならない。 敗戦とともに戦中・戦前の悪事が水に流されてしまった。 何と日本は悪者に寛容な国なのか。
多喜二が殺された前年、三井の団琢磨が射殺されている。 撃ったのは菱沼五郎、戦後茨城県議会議長にまでなる。 今も大洗町名誉町民である。 何と言う国なのか。
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2007/05/11(金) 杉の子
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「むかしむかしの そのむかし 椎の木林の すぐそばに ・・・ 」 この有名な「お山の杉の子」は、徳島の吉田テフ子が応募した昭和19年小国民歌第一位入選歌である。 杉の子とは小国民であり早く大きくなって、「今に立派な兵隊さん 忠義孝行ひとすじに お日さま出る国神の国 この日本を守りましょう 守りましょう」という意味である。
敗戦の後にも杉の植林が大々的に行われた。 一生懸命急峻な山に杉苗を植え多くの山人が毎年下刈りや枝打ちに苦労した。 「今では立派な杉山だ」。 果たしてこの植林政策は正しかったのか。 山の生態系を破壊したのではなかったのか。 その山に適した樹木の植林をすべきではなかったのか。 自然を人間の都合で破壊すると大きな報復を受ける。 善意の人々の多くの労苦を思うだけに立派な杉山を見つつ複雑な感慨が過ぎる。
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2007/05/12(土) 不幸
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人間の欲望には限りがないのであろうか。 人間は自然の中で浄化される。 都市の中では歪むだけである。
自然といっても人間が動物である限り植物のように自己充足が出来ない。 常に他者との相克の内にある。 自然に恵まれて耕し収穫し生きていけるのであればそれですべては解決できるのだが。
食えないとなれば出かけていって収奪するしかない。 収奪の味を覚えた人間はそれこそとどまるところを知らない。 禁断の果実は麻薬である。 衣食足りて礼節を忘れる。 次から次へと欲望は螺旋的に悪徳を追うこととなる。 これが文明の結果としての人間の業である。
映像を通しての悪徳の栄えは青少年を蝕みその精神をして完全なる破綻に追いやっている。 人間の社会をいかに平和的な状態に保つかという問題は文明と称するものの発達とともにますます危機的かつ解決不能に至っている。 国家を作ったことでその国家に隷属せざるを得なくなったように人間は自らが作ったものによってがんじがらめとなっている。
日本においては再度の戦争の危機が日程に上ってくるようになった。 戦後に人生の大半を日本列島で生息した人々の中でさえも不幸は限りなくあった。 戦禍の中で生きている多くの国々の人びとの人生を思うと人間というのは多くの動物と同様にまこと危うきこと多く幸少なきものである。
2007/05/13(日) 番外地
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パソコンで映画を見ていたら侘しい駅が映った。 ホームのはずれに跨線橋がある。 ホームには斑に雪が残っている。 昭和四一年の根室本線の白糠駅を思い出す。
当時、北海道の教員試験が夏に東京であり受験したが合格しても一向に採用通知が来ない。 三月の末になってしびれを切らして北海道教育委員会・教育長宛に手紙を出した。 住所が分からないので、「札幌市内」教育委員会殿とした。 諦めていたら四月になって電報がその頃住み込んで働いていた大岡山の牛乳店に来た。 「コラレタシ シラヌカコウコウ」とある。 シラヌカが何処だか見当もつかない。 発信局を見たら釧路とある。 地図を見たら釧路の手前に白糠という駅があった。
何時間かかったのだろうか。 特急でやっと白糠に来た。 特急だから通過駅である。 釧路まで行ってから普通で折り返す予定であった。 ところが何かの都合で特急が白糠駅に停車した。 ドアは開かないが止まったままである。 急いで最後尾に行って車掌さんに頼んだ。 「降ろしてくれませんか」 車掌は降ろしてくれた。 特急での白糠駅凱旋である。
駅員に聞いた。 「この町に高校がありますか」 「ない」と言われたらどうしようかと思った。 「ある」と言われてほっとして教えられた道を歩いた。 寒々とした道であった。 市街地を過ぎると大きな川に架かる橋を渡る。 右手はびょうびょうたる原野である。 左手は何とも寂しい色の海である。 30分ほど歩いて白糠高校に着いた。
そこに七年いたのだ。 川の名は茶路川という。 宿舎の寮の住所は、茶路マサルカ番外地であった。 「番外地かあ」 妙にそれが気に入って高校時代の友人何人にも手紙を出した。 「・・・マサルカ番外地」よりだ。 いつまで待っても誰からも返事は来なかった。
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2007/05/14(月) 気弱
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「定時制」というのは大変である。 出勤時間は午後二時、十時ごろ帰還する。 皆がのんびりと夕餉にいそしむ頃、仕事がピークとなる。 夕方からがとてつもなく忙しいのだから調子が狂う。 一日の重みが夕方からにどっとかかる。 「定時制勤務」何十年という猛者がいる。 たいしたものだ。 人間は朝、太陽が出て働き出すのが真っ当であろう。
アルバイトで夜勤等も経験したが人間本来の生理に反している。 体の具合を悪くする。 夜勤何十年という猛者もいる。 これまたたいしたものだ。 たいしたものだが夜勤と言う勤務の在り方は問題である。 問題ではあるが警備員などは夜が商売である。
警備のバイトをしたことがあるが学校などはまことに苦手であった。 昼間の人間の体温が残っている。 深夜、ピアノ練習室など巡回するとピアノが鳴り出すような錯覚に捉えられる。 気の弱いせいかびくびくする。 木造の古い建物などの巡回はギシギシと音がするしどこからとなく光が乱反射したりしてまいった。 気が弱いと言うのも困ったものだ。
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2007/05/15(火) 巫女
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巫女とは巫(かんなぎ)女であるという。 神と人との橋渡しをするものである。 皇室の行事なども神との関わりであるから女帝がふさわしいのではなかろうか。 暗い部屋に入って祈祷するには男は向かない。 霊感の強い者も多く女性であると思われる。 この世には分からぬことが満ちている。 それゆえ呪術的な世界もまた多様に存在する。
気が弱いからはなからそうしたものと関わらないようにしてきた。 それでもいくつかの見聞はある。 それらを聞くとほんとに信じがたいが嘘とも思われない。 説明がつかない世界がこの世にあるということだけは確かである。
話は変わるが最近体調が悪いせいか妙な夢を見る。 細かい点、会話のひとつひとつまでが明瞭に記憶されて目が覚める。 どう考えてもどうしてこんな妙な夢を見るのか空恐ろしいことがある。 頭が段々壊れてきたのであろうか。
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2007/05/16(水) 人殺し
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佐多稲子がテレビに出ていた。 1985年の録画である。 80歳であろうか、実に矍鑠たるものがある。 94歳まで生きた。
その中で小林多喜二を皆が囲んでいる写真があった。 虐殺された直後の写真である。 母親が「立ちなさい、 立ちなさい」と横たわっている多喜二に一所懸命訴えている。 多喜二を拷問して殺したのは誰なのか。 多喜二を売ったのはスパイ三船留吉である。 これは嶋根清が徹底して追いかけた。 実際に足に釘を打ち込んで殺したのは築地署の誰なのか。 29歳の多喜二が何故に殺されねばならないのか。 やった奴を徹底して糾弾せねばならない。 敗戦とともに戦中・戦前の悪事が水に流されてしまった。 何と日本は悪者に寛容な国なのか。
多喜二が殺された前年、三井の団琢磨が射殺されている。 撃ったのは菱沼五郎、戦後茨城県議会議長にまでなる。 今も大洗町名誉町民である。 何と言う国なのか。
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2007/05/11(金) 杉の子
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「むかしむかしの そのむかし 椎の木林の すぐそばに ・・・ 」 この有名な「お山の杉の子」は、徳島の吉田テフ子が応募した昭和19年小国民歌第一位入選歌である。 杉の子とは小国民であり早く大きくなって、「今に立派な兵隊さん 忠義孝行ひとすじに お日さま出る国神の国 この日本を守りましょう 守りましょう」という意味である。
敗戦の後にも杉の植林が大々的に行われた。 一生懸命急峻な山に杉苗を植え多くの山人が毎年下刈りや枝打ちに苦労した。 「今では立派な杉山だ」。 果たしてこの植林政策は正しかったのか。 山の生態系を破壊したのではなかったのか。 その山に適した樹木の植林をすべきではなかったのか。 自然を人間の都合で破壊すると大きな報復を受ける。 善意の人々の多くの労苦を思うだけに立派な杉山を見つつ複雑な感慨が過ぎる。
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2007/05/12(土) 不幸
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人間の欲望には限りがないのであろうか。 人間は自然の中で浄化される。 都市の中では歪むだけである。
自然といっても人間が動物である限り植物のように自己充足が出来ない。 常に他者との相克の内にある。 自然に恵まれて耕し収穫し生きていけるのであればそれですべては解決できるのだが。
食えないとなれば出かけていって収奪するしかない。 収奪の味を覚えた人間はそれこそとどまるところを知らない。 禁断の果実は麻薬である。 衣食足りて礼節を忘れる。 次から次へと欲望は螺旋的に悪徳を追うこととなる。 これが文明の結果としての人間の業である。
映像を通しての悪徳の栄えは青少年を蝕みその精神をして完全なる破綻に追いやっている。 人間の社会をいかに平和的な状態に保つかという問題は文明と称するものの発達とともにますます危機的かつ解決不能に至っている。 国家を作ったことでその国家に隷属せざるを得なくなったように人間は自らが作ったものによってがんじがらめとなっている。
日本においては再度の戦争の危機が日程に上ってくるようになった。 戦後に人生の大半を日本列島で生息した人々の中でさえも不幸は限りなくあった。 戦禍の中で生きている多くの国々の人びとの人生を思うと人間というのは多くの動物と同様にまこと危うきこと多く幸少なきものである。
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