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東京都の元「藤田先生を応援する会」有志によるブログ(2004年11月~2022年6月)のアーカイブ+αです。

市民的不服従は良き司法のために貢献している

2012年12月05日 | 日の丸・君が代関連ニュース
 ◇ 市民的不服従の権利
 ※高作正博さんからフェイスブックを通してメッセージをいただきました。
  また、ドゥウォーキンの文献も紹介していただきました。


 重いテーマですが、今最も問われている問題なのだろうと思います。
 特に日本社会では、他者の不法を許さない、という異常な圧力が存在します。
 そんな中で不服従を貫くのは、国家権力からだけでなく、社会からも非常に厳しい強風にさらされることになります。
 それに立ち向かう論理を用意することは必要なことですね。
 特に、選挙が近づいてくるとどうしても浮き足立ってしまいます。
 そんなときだからこそ、本質的な問題を考えておく必要があるものと思います。

 さて、まずは、ドゥウォーキンの議論です。文献は以下の通り。
 Ronald Dworkin,Taking Rights Seriously(Harvard University Press,1977),ch.8.
 ロナルド・ドゥウォーキン、木下毅・小林公・野坂泰司訳『権利論[増補版]』(木鐸社、2004)275頁以下。
 彼が市民的不服従を正当とする理由は次の通りです。

 1、こうした行動が、あるべき最良の司法判断を生み出すために役立つ。
  (事件が起こることで、法律の合理性、その適用の合理性を、裁判所を通じて判断できるようになる。)
 2、先例が存在する場合でも、判例変更の可能性を考慮すれば、第1の理由はなお認められる。
 3、法準則の正当性は次の2つに区別されるが、あらゆる違法行為を訴追すべしとする見解は、この重要な区別を無視している点で妥当ではない。
  その区別とは、以下の点である。
  ①当該法準則が個人の「道徳的権利」の保護を法益とする場合
  ②個人の道徳的権利の保護によっては正当化されず、それが促進する「経済・社会政策の効用」によって説明される場合
 この議論のポイントは、次の点にあるものと考えられます。
 A 人は法に従うのであって、誰かの意見・解釈に従うのではない。
  (ここには、マスコミ、批判する人たち、他の事件での検察官や裁判官も含みます。)
 B 法の内容が不明確であればあるほど、不服従の行為は、法秩序全体に貢献するものである。
  (法の内容を明確にするために大きく寄与したことになる。)

 C 日本では違法行為は悪いことと考えてしまいがちであるが、倫理的な善悪と法的な適法・違法とは一致しない
 D 人は、法に従わないことはできるが、自己の信念に従わないことはできない
  (法の次元では、違法も正当防衛などで適法になるのに対し、信条の次元では、従わないことは道徳的に許容されない。)
E 他者の権利や利益を害することは正当化されないが、「経済・社会政策の効用」からのみ正当化される法・ルールの場合には、不服従を許容しない程度は高くない。
 (単なる儀式の挙行、防衛政策、慣行、経済的効率などから設けられている法への不服従は正当化される。)
 高作正博さんからのメッセージです。

 みんなで理論武装をしていきましょう!
 悪いことをしているわけではない。
 むしろ、良き司法のために貢献しているのだ、という自信を持ちましょう!

『グループZAZA』(2012-12-03)
http://blog.goo.ne.jp/zaza0924/e/58b654d507c3204fb21cba4621552360
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