♪ 「もの言える自由」裁判控訴審 ♪
第3回口頭弁論 12月10日(水)
10時裁判所玄関前集合 傍聴抽選10:10、10時半開廷
東京高裁824号法廷 霞ヶ関A1出口目の前
短時間の法廷ですが、終了後、弁護士会館1002号室で報告集会も行います。
ご都合のつく方はぜひいらして下さるようお願いします。
日頃から「もの言える自由」裁判をご支援いただき有難うございます。
次回裁判のお知らせが遅くなりご心配をかけ申し訳ありません。
裁判準備は着々と進んでいます。
11月中に3人の学者意見書を提出します。
中島徹教授(早稲田大学大学院法務研究科・法学)、高木光教授(京都大学大学院法学研究科・行政法学)、佐貫浩教授(法政大学・教育学)がそれぞれ素晴らしい意見書を書いて下さっています。
こちらが申請し、留保となっていた証人申請に対する判断が次回裁判で出される予定です。
引き続きご支援をよろしくお願いいたします。
『都立高校保護者のつぶやき』から
☆ すてき?な言葉 I
★ ことばA
「次代を担う君たちに」
人は皆それぞれ違う考え方を持ち、また異なる価値観を持っている。諸君の瑞々しい感性を育て、自らの感覚で考え、信念を持って行動する若者となることを期待しています。
★ ことばB
「おめでとうございます。色々な強制のもとであっても、自分で判断し、行動できる力を磨いていって下さい」
基本的に、内容的に、同じことを言っている。ただ、少し表現が違い、言った人が違うだけである。
このことばのどちらか一方は、このようなことを言ってはいけないと、東京都教育委員会から「不適切」として「指導」処分を受けたことばである。しかも自らの休日に前任校の卒業式での発言であるのに。
処分のために「卒業式・入学式に関する調査委員会」が調査に来校して「事情聴取に応じるよう」職務命令が出され、「卒業式・入学式における不適切な指導等」の枠組みで都教委が「指導」を決定・公表し、校長に指導を実施させ、「課題校として進行管理の対象」などが行われた。
いったい、何がいけないのか?このようなことばで、処分をする都教委はまさに狂っている、と思う。
そして、もう一方のことばは、なんと、あの石原都知事のことばである。
さて、どちらが都知事のことばで、どちらが処分対象となったことばか、わかりますか?
ことばAは都知事、ことばBは処分対象となったものである。
都知事の言う「自らの感覚で考え、信念を持って行動する」というのは、「色々な強制のもとであっても、自分で判断し、行動できる力を磨」くことになるであろう。
いったい何が違うのか。もし、卒業式では言ってはいけないというのであれば、それもまたものすごくおかしい。卒業する生徒に対し、はなむけのことばとして、まったく適切なことばであろう。卒業式だけでは「自らの感覚で考え」「信念を持って行動」してはいけないとでもいうのであろうか?
「指導」処分を受けた教員は裁判で戦った。しかし残念ながら、東京地裁では、ことばBは「不適切」とされ、原告は負けた。司法もおかしい。現在、この、「もの言える裁判」は高裁で戦っている。
都教委にとって、ことばBが不適切なのであれば、都知事のことばも同じく不適切ではないのだろうか?都知事のことばが適切なのであれば、ことばBも適切であろう。
都教委に、はっきりと、誰にでもわかることばで、説明してもらいたいものだ。裁判では、なぜ不適切かをまともには説明しないのは、卑怯である。
(裁判で、都教委は、「指導」において「TPOを考えるとふさわしくない」としか言われず、「不適切だと判断した理由」を何度問うても、「祝意とは取れない。意味不明である」ということしか言わない。)
『都立高校保護者のつぶやき』(2008-10-20 12:10:53)
http://blog.goo.ne.jp/toritsuhogosha/e/db1a1d081e0d5630e004c8bdf0224d0a
第3回口頭弁論 12月10日(水)
10時裁判所玄関前集合 傍聴抽選10:10、10時半開廷
東京高裁824号法廷 霞ヶ関A1出口目の前
短時間の法廷ですが、終了後、弁護士会館1002号室で報告集会も行います。
ご都合のつく方はぜひいらして下さるようお願いします。
日頃から「もの言える自由」裁判をご支援いただき有難うございます。
次回裁判のお知らせが遅くなりご心配をかけ申し訳ありません。
裁判準備は着々と進んでいます。
11月中に3人の学者意見書を提出します。
中島徹教授(早稲田大学大学院法務研究科・法学)、高木光教授(京都大学大学院法学研究科・行政法学)、佐貫浩教授(法政大学・教育学)がそれぞれ素晴らしい意見書を書いて下さっています。
こちらが申請し、留保となっていた証人申請に対する判断が次回裁判で出される予定です。
引き続きご支援をよろしくお願いいたします。
2008年11月「もの言える自由」裁判交流会
『都立高校保護者のつぶやき』から
☆ すてき?な言葉 I
★ ことばA
「次代を担う君たちに」
人は皆それぞれ違う考え方を持ち、また異なる価値観を持っている。諸君の瑞々しい感性を育て、自らの感覚で考え、信念を持って行動する若者となることを期待しています。
★ ことばB
「おめでとうございます。色々な強制のもとであっても、自分で判断し、行動できる力を磨いていって下さい」
基本的に、内容的に、同じことを言っている。ただ、少し表現が違い、言った人が違うだけである。
このことばのどちらか一方は、このようなことを言ってはいけないと、東京都教育委員会から「不適切」として「指導」処分を受けたことばである。しかも自らの休日に前任校の卒業式での発言であるのに。
処分のために「卒業式・入学式に関する調査委員会」が調査に来校して「事情聴取に応じるよう」職務命令が出され、「卒業式・入学式における不適切な指導等」の枠組みで都教委が「指導」を決定・公表し、校長に指導を実施させ、「課題校として進行管理の対象」などが行われた。
いったい、何がいけないのか?このようなことばで、処分をする都教委はまさに狂っている、と思う。
そして、もう一方のことばは、なんと、あの石原都知事のことばである。
さて、どちらが都知事のことばで、どちらが処分対象となったことばか、わかりますか?
ことばAは都知事、ことばBは処分対象となったものである。
都知事の言う「自らの感覚で考え、信念を持って行動する」というのは、「色々な強制のもとであっても、自分で判断し、行動できる力を磨」くことになるであろう。
いったい何が違うのか。もし、卒業式では言ってはいけないというのであれば、それもまたものすごくおかしい。卒業する生徒に対し、はなむけのことばとして、まったく適切なことばであろう。卒業式だけでは「自らの感覚で考え」「信念を持って行動」してはいけないとでもいうのであろうか?
「指導」処分を受けた教員は裁判で戦った。しかし残念ながら、東京地裁では、ことばBは「不適切」とされ、原告は負けた。司法もおかしい。現在、この、「もの言える裁判」は高裁で戦っている。
都教委にとって、ことばBが不適切なのであれば、都知事のことばも同じく不適切ではないのだろうか?都知事のことばが適切なのであれば、ことばBも適切であろう。
都教委に、はっきりと、誰にでもわかることばで、説明してもらいたいものだ。裁判では、なぜ不適切かをまともには説明しないのは、卑怯である。
(裁判で、都教委は、「指導」において「TPOを考えるとふさわしくない」としか言われず、「不適切だと判断した理由」を何度問うても、「祝意とは取れない。意味不明である」ということしか言わない。)
都立高校教員Q
『都立高校保護者のつぶやき』(2008-10-20 12:10:53)
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