パワー・トゥ・ザ・ピープル!!アーカイブ

東京都の元「藤田先生を応援する会」有志によるブログ(2004年11月~2022年6月)のアーカイブ+αです。

日記1/25~1/27

2005年02月03日 | 藤田の部屋
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2005年1月27日(木曜日)     象徴
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 美しいものに心惹かれるのは何故か。人のすべてが美しいものに惹かれるわけではない。残酷なものに魅力を感じる者もいる。
 卒業生がある国に行って驚いていた。昼飯食いながら悲惨な写真集を見ている人が沢山いたと。その国ではそれが当たり前なのだという。真偽のほどは分らない。
 人すべてに共通の美はあるのか。黄金はいつ如何なる時にあっても珍重されたのであろうか。光り輝くものにはそれなりの魅力があるとも言えよう。花や紅葉の美しさは皆が認めるところであろう。花でも好みがあるが、鳥、魚、犬、猫、蛇となると好き嫌いが甚だしくなってくる。
 向島商業の一女生徒の蛇好きには恐れ入った。ポケットに入れて歩くという。人それぞれの美的観念がある故に世の中調和がとれるとも言える。皆が同じであったら争いはなお激しさを増すこととなる。
 「美しいものは道徳的に善なるものの象徴である」、とある哲学者は言う。一万円札は美しきものである。風に舞ってやって来れば人々は飛びつく。北の政治犯収容所においてネズミは感動的存在だ。見た瞬間飛びついて口に放り込む。金もネズミも善なるものの象徴である。


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2005年1月26日(水曜日)     反射板
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 「ああ、あの角さえ曲がっていなければ・・・」人生、まこといろんな曲がり角がある。今不幸な人は、「ああ、あの角さえ・・・」、などと思うことがある。曲がっていなかったら、もっと酷い目にあったかもしれないが。
 受験の合格、不合格も大いなる曲がり角である。私は、7045番、なでしこと覚えて発表を見にいった。教員をやっていると合格発表に立ち合う。哀れなのは友人5人ほどで見に来た時、一人だけが落ちていることである。倍率が低いほど残酷である。
 就職、転勤も言うまでも無く人生の曲がり角となる。人との出会いが一生を左右することがあるのは言うまでもない。切りのない話であるが。偶発的なこととして象徴的なのは、それこそ交通事故である。「ああ、あの時あの道を走らなかったら・・・」、ということになる。
 122号の川口近くには、「この道には悲しい出来事が沢山ありました」、なる看板が掲げられていた。嫌な道である。中央線が移動する。知らない車が正面から突っ込んでくる。ひどい道である。
 夜は恐い。自転車の側面に反射板をつけてほしい。衣服、靴にも反射マークを縫い付けてほしい。


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2005年1月25日(火曜日)     かもめ
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 今日、かもめのジョナサンで一人食事した。かもめのジョナサンというのは何の話であったのか。
 「あつあつのピリ辛料理が登場ーあんこの海鮮ボックムー甘辛ソースがあんこう、はまぐり、タコなどの魚介の旨みとよく合いますー」、とあった。いやあ、体があったかくなって美味かった。前の椅子に足を投げ出して、一時幸せであった。都会もいいものだ。
 かって7年間在郷した北海道の白糠にもファミレスは出来たのであろうか。寂しい街であった。この上なく寂しい街であった。かもめの似合う街であった。
 釧路へ行く特急がどういうわけか白糠駅に停車した。私が赴任した日のことである。車掌さんの所へ行って特別に降ろしてもらった。駅は冷え冷えと閑散たるものであった。
 とぼとぼ歩いて高校へ行った。三十分の道のりであった。途中、茶路川に架かる橋を渡る。海がすぐそこに見える。北の海は色までが寂しい。もう40年も前のことである。
 7年間いた。7年もいて上茶路に向かう白糠線に一度も乗らなかった。いつの間にか廃線となってしまった。この前、国鉄の労働者の集会に行った時そのことを謝った。


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