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河原井・根津裁判08年事件控訴審第1回原告意見陳述(2)

2017年09月23日 | 日の丸・君が代関連ニュース
◎ 陳 述 書

2017年9月21日
 東京高等裁判所第14民事部 御中
控訴人 河原井純子

 第1 なぜ重たくて厳しい「停職6か月処分」の損害賠償が認定されないのですか
 私はすでに「停職1か月処分」と「停職3か月処分」に対する損害賠償請求が認容されています。
 最高裁判決(2012.1.16)で「停職1か月処分」が取り消され損害賠償については「もっと審理を尽くせ」と東京高裁に差し戻されました。その差し戻し審判決(2012.11.7南敏文裁判長)で、控訴人河原井と保護者の陳述書を証拠として「控訴人は児童生徒との触れ合いを特に重視していたと認められることを考慮すると財産的損害の回復のみによっては控訴人の精神的損害が慰謝されるものでないことは明らかである」と判じ、①国家賠償法上の違法性を確定し、②東京都教育委員会が処分を意図的に故意にしたとして「過失」を認定しました。
 さらに「教諭と児童生徒との人格的触れ合いが教育活動に欠かすことができない」と「教育とは何か」「教育の営み」に触れたことは画期的であり、今も語り継がれています。
 最高裁第2小法廷が東京都の「上告受理申し立て」を「不受理」とし確定したのでした。この時の感動は全国規模で拡がり多くの人と喜びを分かち合いました。
 「停職3か月処分」の損害賠償については、原判決とほぼ同様の理由「本件の処分当時2012年1月の最高裁判決は出されておらず処分の量定に際して都教委が注意義務を尽くさずに停職6か月処分を選択したとまでは認めることはできない」として、地裁では認定されませんでした。
 しかし、控訴審判決(2015.5.28須藤典明裁判長)で、再び感動的な人権判決が出され損害賠償が決定されました。
 「・・停職期間中は教室等で授業することができず児童生徒との継続的な信頼関係の維持にも悪影響が生じ精神的な苦痛を受けるだけでなく、職場復帰後も信頼関係の再構築等で精神的な苦痛を受けたりするものと認められ、そのような苦痛は本件各処分の取り消しにより回復される財産的な損害の補填をもっては十分ではない」と判じ損害賠償を認定しました。
 最高裁第3法廷が東京都の「上告」を棄却、「上告受理申し立て」を不受理としたので確定しています(2016.5.31)。
 以上の2つの処分よりも限りなく重く厳しい「停職6か月処分」の損害賠償請求が、なぜ認容されないのですか。多くの人たちが首を傾げています。その根拠を明確に示してください。
 第2 限りなく重く厳しい「停職6か月処分」に免職の恐怖が押し寄せる

 「停職3か月処分」の後、私は東京都立八王子東養護学校(現東京都立八王子東特別支援学校)の高等部2年生の担任として復帰しました。
 奪われた3か月は決して取り戻すことができず、無念でした。残された9か月間、私は、青年たちと学習や生活を通して「命令しない一命令されない」、「差別しない一差別されない」、「強制しない一強制されない」、「排除しない一排除されない」という関係を大切にしながら日々を過ごしました。
 「3月の卒業式」、私の「教育実践の命」でもあるその日々の関係の創造をどうしても手離すことができず、免職の危機が近づくことを意識しつつ「君が代不起立」をしました。そうしたところ、「停職6か月処分」が強行されました。「君が代不起立」を理由とするこの処分により、実践の継続を阻まれ、青年たちとの関係を断絶されました。強く望んだ高等部3年生の担任にはなれなかったのです。
 裁判長、ぜひ想像してみてください。
 青年たちとのことを考え想えば想うほど、教室から、そして学校から、1年の半分である「6か月」も排除されるのです。「教員としての命」や「人としての命」を奪われたも同然です。許されない処分です。
 私は飲酒運転をしたのではありません。私は体罰をしたのでもありません。私はセクハラをしたのでもありません。
 本件は、まさに「論争的主題」として、様々な思いや意見が表明されている「日の丸」「君が代」の問題です。私が行った不起立行為は、「学校とは何か」、「教育とは何か」という根源的な問いを包括した「日の丸」「君が代」への意見表明であり態度表明です。
 私は東京都教育委員会に「処分ではなく対話を」と訴えましたが、聞く耳もたずで届きませんでした。
 2003年10・23通達関連の「機械的累積加重処分」は全国規模で「おかしいこと、信じられないこと」として拡がっています。
 2年前、私の生まれ故郷である茨城県を行脚したとき茨城県教職員組合を訪れ「茨城の教育」「東京の教育」について情報交換しました。
 東京の教育の悲惨さについて、県教委の人たちが「都教委のようにはなりたくないし絶対にならない」と言っていると伝えてくれました。
 「停職6か月処分」は心身ともに「命」を奪われるほどの苦痛がありますが、経済的にも重く厳しいものがあります。1年の半分である6か月間も無収入です、この間も税金や年金等の支払いがありますので実際には「マイナス」の生活状況に追い込まれます。
 連れ合いの教員ほどない給料を半分ずつ分け合い、凌ぎました。
 また、4人の子供たちから、全国の方たちの「不起立」の共感をこめたカンパが届きました。全国行脚で多くの方たちと繋がったことは経済的歪みを跳ね返してくれました。心から感謝しています。
 しかし、「停職6か月」の日々、免職の恐怖は押し寄せていました。私は長い時間をかけ取り消すことができましたが、「停職6か月処分」は、以上のように「教員としての命」だけでなく、経済的にも追い詰められるものであり、仕舞には、次は免職しかないという意味を持っ限りなく重く厳しいものです。
 第3 さいごに心から訴えます

 今、「森友・加計問題]などで世間は混迷していま洗「学校とは何か」、「教育とは何か」という根源的な問いに真摯に向き合わなければならない時です。
 「教諭と児童・生徒との人格的触れ合い」なくしては「学校」や「教育」を育むことはできません。それを阻むものが「2003年10・23通達」であり、それに基づく「職務命令」です。
 後藤裁判長
 「2003年10・23通達」それに基づく「職務命令」の違憲違法性の憲法判断を、戒告を含むすべての処分の取り消しをここに切望いたします。法のカで「学校」「教育」を一刻も早く救って下さい。
 ※ 次回は進行協議になりました。

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