● 元気が出るぞ!藤田先生を応援する集会
11月10日(土)18:00~ グリーンホール(東上線大山駅)
激励講演「政治家と金」内閣を倒した男 山本博(元朝日新聞記者)藤田さんと大学の同期
● 板橋高校「日の丸君が代」威力業務妨害事件 第2回控訴審
11月20日(火)13:30~ 東京高裁102
目撃証人が証言に立ち、田中教頭の"偽証"を覆します。
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2007/10/03(水) 世迷言
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大室寅之佑には参った。
確かに本物の明治天皇の写真と偽者とされる明治天皇の写真は風貌が異なる。
幕末、明治初期の時代はまことに魑魅魍魎が右往左往する時代であったようだ。 「奇兵隊の天皇」と言う言い草もまた意味深長ではある。
ところで赤子の取替えでもない限り、子の母は確定される。 その母の子が確定される。
しかし、父と言うのは永遠に不明である。 不確定である。 母の証言によるか似ているということでしかない。 詳しい鑑定など殆んどの人はしない。 信じるか思い込みでやり過ごしている。 妙なものだ。
言い換えれば父は誰であっても特段不都合はないのだ。 男系などと言うのは世迷言である。
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2007/10/04(木) タラバ
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時が経つのは早いものだ。 最初の高校1年生の担任、定時制4年生の授業をしたのが1966年、もうそれらの生徒は次々と還暦を迎える年だ。
T君は白糠の家具屋で働いていた。 のち東京で働いている。 今年か来年は定年なのだろうか。 御茶ノ水の会社まで会いに行ってこよう。
I君は毎年秋には襟裳の沖で鮭を獲っているという。 今度送るからと言って送ってこない。 催促するかしないか迷うところだ。
駅の助役をしているのが二人いる。 銭函と池田である。 高卒であるから助役で終わりなのであろう。 殆んどが最終学歴高卒であるから色々と苦労が多かったことであろう。
田舎の最高の就職先は役場と農協と郵便局と国鉄であった。 約40人のクラスでそこに行った者は3人である。 何人かは自衛隊へ行った。 W君はスコップで穴掘る作業で好成績を上げたと聞いた。 そういえばW君が在学中持ってきてくれたタラバガニの足の大きさにはほんとに吃驚した。
東京の学校に替わって、「東京では何も持ってきてくんないなあ」と言ったら、魚屋の子が刺身を持ってきてくれた。 教頭に、「何ていうこと言うんだ」と文句を言われた。
ここ何十年、戦争がなくて本当によかった。 平和の時代ではあったにしても一人一人様々な艱難を経たであろう。 途中、挫折してしまった悲報も聞いた。
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2007/10/06(土) スキヤキ
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右翼が日の丸持って霞ヶ関の裁判所にやってくる。 都議の古賀俊昭らである。 古賀は日野市選出である。 彼をして「古賀都議参上! 平成の新撰組組長!」と礼賛するホームページもある。
昔、新撰組が流行った。 もう30年も前だが向島商業の女子クラスの担任であった時、新撰組に夢中なる5.6人のグループがいた。 「何だ、白色テロじゃないか」と言ったら妙な顔をしていた。
日野といい古賀といい変な因縁だ。 三島の子分だったのであろう。 訳の分からない人まで動員して抽選の傍聴券を手に入れる。 その券を古賀が受け取って法廷に入る者に渡すのだが、ただ抽選にだけきて帰ってしまう者が多いので余ってしまう。 二倍を超えた抽選だったのに法廷は満席とならない。 こりゃあ、傍聴妨害だ。
西村修平も来てたようだ。 彼らが日の丸をおったてて騒げば騒ぐほど、日の丸は右翼の旗に特化していく。 街宣車で君が代を大音声で流せば流すほど、君が代は右翼の歌になってしまう。
もうそろそろ葬送の曲とも言われる君が代はお蔵に入れて、国歌を坂本九の「上を向いて歩こう」にしたらどうだろうか。 なにしろ全米ヒットチャートの栄えある第一位を獲得した曲だ。 野口英世の名と同じくアフリカの子供たちは皆この歌を知っていてパッと歌えるという。 オリンピックでは全世界の人が歌いだすだろう。
「・・・So tears will not wet my cheeks as I walk along ・・・」
涙が頬を濡らさないように・・・山岸勝榮氏の名訳がある。
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2007/10/07(日) 追悼
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スタンフォード大学の名誉教授という肩書きで青木昌彦が日経新聞の「私の履歴書」欄に登場している。
青木はかっては姫岡玲治として60年安保闘争の輝ける指導者の一人であった。 輝ける指導者と万余の兵卒、一将功なりて万骨枯るの類か。
後の大学院での彼のゼミ仲間の写真に香山健一がいた。 私が高校生の時、集会に来てアジっていたのがこの香山であった。 最近名を聞かないと思って調べたらもう10年前に亡くなっていた。 享年64歳であった。 いないのならどうでもいいが、テニスを趣味とし皇族とも親交があったと記されていることが事実としたら冗談じゃないという気はする。
指導者の先導のもと多くの死傷者が出、多くの青年が心身を病んだ。 兵は哀しということか。 その点、唐牛の放浪は心に沁みる。 樺美智子の命日を気にし続けていたという。
青木昌彦が経済学者であるというなら、今日の資本主義の悪逆悲惨なる蛮行の抑止の提言を聞きたい。 それがせめてもの犠牲者への追悼であろう。
『藤田のページ』
http://ip.tosp.co.jp/i.asp?I=fujita63&P=0
11月10日(土)18:00~ グリーンホール(東上線大山駅)
激励講演「政治家と金」内閣を倒した男 山本博(元朝日新聞記者)藤田さんと大学の同期
● 板橋高校「日の丸君が代」威力業務妨害事件 第2回控訴審
11月20日(火)13:30~ 東京高裁102
目撃証人が証言に立ち、田中教頭の"偽証"を覆します。
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2007/10/03(水) 世迷言
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大室寅之佑には参った。
確かに本物の明治天皇の写真と偽者とされる明治天皇の写真は風貌が異なる。
幕末、明治初期の時代はまことに魑魅魍魎が右往左往する時代であったようだ。 「奇兵隊の天皇」と言う言い草もまた意味深長ではある。
ところで赤子の取替えでもない限り、子の母は確定される。 その母の子が確定される。
しかし、父と言うのは永遠に不明である。 不確定である。 母の証言によるか似ているということでしかない。 詳しい鑑定など殆んどの人はしない。 信じるか思い込みでやり過ごしている。 妙なものだ。
言い換えれば父は誰であっても特段不都合はないのだ。 男系などと言うのは世迷言である。
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2007/10/04(木) タラバ
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時が経つのは早いものだ。 最初の高校1年生の担任、定時制4年生の授業をしたのが1966年、もうそれらの生徒は次々と還暦を迎える年だ。
T君は白糠の家具屋で働いていた。 のち東京で働いている。 今年か来年は定年なのだろうか。 御茶ノ水の会社まで会いに行ってこよう。
I君は毎年秋には襟裳の沖で鮭を獲っているという。 今度送るからと言って送ってこない。 催促するかしないか迷うところだ。
駅の助役をしているのが二人いる。 銭函と池田である。 高卒であるから助役で終わりなのであろう。 殆んどが最終学歴高卒であるから色々と苦労が多かったことであろう。
田舎の最高の就職先は役場と農協と郵便局と国鉄であった。 約40人のクラスでそこに行った者は3人である。 何人かは自衛隊へ行った。 W君はスコップで穴掘る作業で好成績を上げたと聞いた。 そういえばW君が在学中持ってきてくれたタラバガニの足の大きさにはほんとに吃驚した。
東京の学校に替わって、「東京では何も持ってきてくんないなあ」と言ったら、魚屋の子が刺身を持ってきてくれた。 教頭に、「何ていうこと言うんだ」と文句を言われた。
ここ何十年、戦争がなくて本当によかった。 平和の時代ではあったにしても一人一人様々な艱難を経たであろう。 途中、挫折してしまった悲報も聞いた。
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2007/10/06(土) スキヤキ
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右翼が日の丸持って霞ヶ関の裁判所にやってくる。 都議の古賀俊昭らである。 古賀は日野市選出である。 彼をして「古賀都議参上! 平成の新撰組組長!」と礼賛するホームページもある。
昔、新撰組が流行った。 もう30年も前だが向島商業の女子クラスの担任であった時、新撰組に夢中なる5.6人のグループがいた。 「何だ、白色テロじゃないか」と言ったら妙な顔をしていた。
日野といい古賀といい変な因縁だ。 三島の子分だったのであろう。 訳の分からない人まで動員して抽選の傍聴券を手に入れる。 その券を古賀が受け取って法廷に入る者に渡すのだが、ただ抽選にだけきて帰ってしまう者が多いので余ってしまう。 二倍を超えた抽選だったのに法廷は満席とならない。 こりゃあ、傍聴妨害だ。
西村修平も来てたようだ。 彼らが日の丸をおったてて騒げば騒ぐほど、日の丸は右翼の旗に特化していく。 街宣車で君が代を大音声で流せば流すほど、君が代は右翼の歌になってしまう。
もうそろそろ葬送の曲とも言われる君が代はお蔵に入れて、国歌を坂本九の「上を向いて歩こう」にしたらどうだろうか。 なにしろ全米ヒットチャートの栄えある第一位を獲得した曲だ。 野口英世の名と同じくアフリカの子供たちは皆この歌を知っていてパッと歌えるという。 オリンピックでは全世界の人が歌いだすだろう。
「・・・So tears will not wet my cheeks as I walk along ・・・」
涙が頬を濡らさないように・・・山岸勝榮氏の名訳がある。
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2007/10/07(日) 追悼
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スタンフォード大学の名誉教授という肩書きで青木昌彦が日経新聞の「私の履歴書」欄に登場している。
青木はかっては姫岡玲治として60年安保闘争の輝ける指導者の一人であった。 輝ける指導者と万余の兵卒、一将功なりて万骨枯るの類か。
後の大学院での彼のゼミ仲間の写真に香山健一がいた。 私が高校生の時、集会に来てアジっていたのがこの香山であった。 最近名を聞かないと思って調べたらもう10年前に亡くなっていた。 享年64歳であった。 いないのならどうでもいいが、テニスを趣味とし皇族とも親交があったと記されていることが事実としたら冗談じゃないという気はする。
指導者の先導のもと多くの死傷者が出、多くの青年が心身を病んだ。 兵は哀しということか。 その点、唐牛の放浪は心に沁みる。 樺美智子の命日を気にし続けていたという。
青木昌彦が経済学者であるというなら、今日の資本主義の悪逆悲惨なる蛮行の抑止の提言を聞きたい。 それがせめてもの犠牲者への追悼であろう。
『藤田のページ』
http://ip.tosp.co.jp/i.asp?I=fujita63&P=0
「……涙が流れたって、いいじゃないか」
と歌っているのが「寿」ってグループ。
歌の気持を汲んでなお、前に進ませる秀作。