◎ 「ビラ配りは表現の自由だ」最高裁に求め総会
ふつうのマンションにビラを配るのは、配る側の表現の自由や思想・良心の自由の観点から、また受け取る側にとっては知る権利の観点からも認められるべきだ。
都内で開かれた「ビラ配布の自由を守る会」総会では、住居侵入などで逮捕された事例や現職市議への圧力の事例も報告され、警察・司法のありかたが改めて浮き彫りにされた。
ことの発端は、2004年12月に、東京都葛飾区在住の荒川庸生氏が、区内マンションのドアポストに都政、区政に関する資料やアンケートを配布していたところ、住民からの通報で亀有警察署刑事課、警視庁公安部の警察官らによって現行犯逮捕されたことに始まる。正月をはさんで23日間の拘留の後、住居侵入罪で起訴、東京地裁(無罪)、東京高裁(有罪)を経て、現在最高裁で審理が続いている。
「ビラ配布の自由を守る会」主催の第5回総会が、17日午後、亀有駅前の地区センターで開かれた。同じような「言論弾圧」事件として注目を集める堀越明男氏(国公法堀越事件)、宇治橋眞一氏(国公法世田谷事件)らにまじって、国分寺市議会議員・幸野おさむ氏も演檀に立ち、自らの経験を語った。
幸野氏によれば、2008年5月、国分寺市内マンションの集合ポストに市議会報告を配布するため敷地内にいたところ、住民から注意を受けた。その後、マンション管理組合からの被害届を受けて6月に警察が書類送検したが不起訴処分となったという。
「市民に選ばれた市議会議員の市議会報告までもが、そうした不当な取り締まりの対象にされることに非常な危機感を感じる」
「集合ポスト近くは、誰もが自由に出入りできる場所であり、そこへの投函を〈住居侵入〉で取り締まろうという姿勢は、常識とはかけ離れている」として、幸野氏は警察のあり方に疑問をなげかけた。
このあと、今回の裁判活動で全国24都道府県を回ったという荒川氏が、世田谷事件の宇治橋氏以降、不当な逮捕は鳴りを潜めたことを指摘し、「裁判の結果以上に、市民による運動そのものに意味がある」とあいさつをした。
「現在、不都合なビラを配らせたくない側と、ビラを配ることの正当性を訴える人たちとの綱引きが行われている。正義は、こちらにあるのだから、この綱をより多くの人に引っ張ってもらいたい」
「国連からも、2008年10月に日本政府への勧告がなされた。つきつめて考えてみると、警察権力に歯止めをかけるべき裁判所が、警察と一緒になって国民を弾圧している」
「最高裁が誤った判決を出せば、それは最高裁自らが、人権後進国であることを認めるようなものだ」
さらに、弁護士7名と憲法学者小沢隆一氏による「リレートーク」も行われた。どの弁護士も平易な言葉でこの事件の問題点を指摘し、中には「日本の最高裁判所は、サイテイ裁判所だ」との発言に、会場がおおいに沸くひと幕もあった。
最後に、最高裁第2小法廷今井功裁判長宛てに荒川氏の裁判での「無罪判決を求める要請決議」が採択され、盛況のうちに閉会となった。
☆
一般に、刑法犯罪では、ある行為が有罪となるためには、3つの条件をクリアしなければならない。
(1)条文に書かれた行為に当てはまるか(構成要件該当性)
(2)罰すべき程度に悪いものか(可罰的違法性)
(3)責任能力のある者によって行われたか(有責性)
この3条件から「葛飾ビラ配布事件」を考えてみると、
荒川氏は、オートロックではないマンションの共用廊下を歩いて、ドアポストに資料(ビラ)を投函していたに過ぎない。この行為が〈住居侵入〉と言えるのか(構成要件該当性への疑問)。
荒川氏は、居住する住民の「私生活の平穏」を何ら冒していない。ドアポストに入れられたアンケートや都政・区政に関する資料は要らなければ捨てれば済むだけの話である。それ以上に、一戸一戸にそうした資料を配布する行為は、荒川氏自身の〈思想・良心の自由〉〈表現の自由〉に基づくものであり、これを何の法益侵害も無い状態で逮捕するというようなことは、公権力の乱用以外の何物でもない(可罰的違法性への疑問)。
この「葛飾ビラ配布事件」を通して、広く日本社会について懸念されることは次の3つである。
1つは、警察権力が、政府に都合の悪いビラ配布について執拗に「ねらい撃ち」していることだ。「葛飾ビラ配布事件」と似た性質の逮捕は、ざっと見ただけで次のように列挙することができる。
1)自衛隊官舎への「イラク派兵反対」のビラ配布した者への逮捕(04年2月)
2)マンションへのイラク派兵及び憲法反対のビラ配布した者への逮捕(04年3月)
3)マンション敷地内で年金問題を扱ったビラを持っていた者への逮捕(04年5月)
4)集合ポストに機関紙を投函した者への逮捕(05年9月)
しかも、「葛飾ビラ配布事件」や1)は「住居侵入罪」、2、4)に対しては「国家公務員法(政治的行為の制限)」違反、3)については「軽犯罪法」を適用する等、なりふり構わない警察の様子がうかがえる。そして、いちばん記憶に新しい事件としては、17日に報告された国分市の市議会議員のケースだ。
2つ目には、警察権力の不当な行使に対して、検察や司法が一体となっているという事実である。幸い、2008年5月の国分寺での事例は、書類送検されたものの不起訴となった。しかし、それ以外のケースは、起訴され、裁判で争われている。
特に、これらの問題を考える時に留意しなければならないのは、一般市民にとって、たとえ結論として何年か後に無罪が勝ち取れるとしても、「裁判の当事者になるということ」そのこと自体が、生活上の非常な負担になるということだ。このことを、より多くの人が自覚し、警察や司法の独断を正していかなければならない。
3つ目には、メディア(報道機関)の働きである。かつて言われた〈社会の木鐸〉という言葉は死語になりつつある。もちろん、芸能ニュースもスポーツニュースも結構である。しかし、それらとともに、公権力が適正に行使されているか、その不断の検証は、ジャーナリズムに課された大きな責務であろう。
【最高裁への要請行動】
「ビラ配りの自由を守る会」による最高裁への〈要請行動〉は月1回のペースで行われており、一般の人の参加も可能(最高裁西門前集合)
・4月23日(木) 午前10時から
・5月26日(火) 午前10時から
『JANJAN』 2009/04/21
http://www.news.janjan.jp/living/0904/0904191787/1.php
三上英次
ふつうのマンションにビラを配るのは、配る側の表現の自由や思想・良心の自由の観点から、また受け取る側にとっては知る権利の観点からも認められるべきだ。
都内で開かれた「ビラ配布の自由を守る会」総会では、住居侵入などで逮捕された事例や現職市議への圧力の事例も報告され、警察・司法のありかたが改めて浮き彫りにされた。
ことの発端は、2004年12月に、東京都葛飾区在住の荒川庸生氏が、区内マンションのドアポストに都政、区政に関する資料やアンケートを配布していたところ、住民からの通報で亀有警察署刑事課、警視庁公安部の警察官らによって現行犯逮捕されたことに始まる。正月をはさんで23日間の拘留の後、住居侵入罪で起訴、東京地裁(無罪)、東京高裁(有罪)を経て、現在最高裁で審理が続いている。
「ビラ配布の自由を守る会」主催の第5回総会が、17日午後、亀有駅前の地区センターで開かれた。同じような「言論弾圧」事件として注目を集める堀越明男氏(国公法堀越事件)、宇治橋眞一氏(国公法世田谷事件)らにまじって、国分寺市議会議員・幸野おさむ氏も演檀に立ち、自らの経験を語った。
幸野氏によれば、2008年5月、国分寺市内マンションの集合ポストに市議会報告を配布するため敷地内にいたところ、住民から注意を受けた。その後、マンション管理組合からの被害届を受けて6月に警察が書類送検したが不起訴処分となったという。
「市民に選ばれた市議会議員の市議会報告までもが、そうした不当な取り締まりの対象にされることに非常な危機感を感じる」
「集合ポスト近くは、誰もが自由に出入りできる場所であり、そこへの投函を〈住居侵入〉で取り締まろうという姿勢は、常識とはかけ離れている」として、幸野氏は警察のあり方に疑問をなげかけた。
このあと、今回の裁判活動で全国24都道府県を回ったという荒川氏が、世田谷事件の宇治橋氏以降、不当な逮捕は鳴りを潜めたことを指摘し、「裁判の結果以上に、市民による運動そのものに意味がある」とあいさつをした。
「現在、不都合なビラを配らせたくない側と、ビラを配ることの正当性を訴える人たちとの綱引きが行われている。正義は、こちらにあるのだから、この綱をより多くの人に引っ張ってもらいたい」
「国連からも、2008年10月に日本政府への勧告がなされた。つきつめて考えてみると、警察権力に歯止めをかけるべき裁判所が、警察と一緒になって国民を弾圧している」
「最高裁が誤った判決を出せば、それは最高裁自らが、人権後進国であることを認めるようなものだ」
さらに、弁護士7名と憲法学者小沢隆一氏による「リレートーク」も行われた。どの弁護士も平易な言葉でこの事件の問題点を指摘し、中には「日本の最高裁判所は、サイテイ裁判所だ」との発言に、会場がおおいに沸くひと幕もあった。
最後に、最高裁第2小法廷今井功裁判長宛てに荒川氏の裁判での「無罪判決を求める要請決議」が採択され、盛況のうちに閉会となった。
☆
一般に、刑法犯罪では、ある行為が有罪となるためには、3つの条件をクリアしなければならない。
(1)条文に書かれた行為に当てはまるか(構成要件該当性)
(2)罰すべき程度に悪いものか(可罰的違法性)
(3)責任能力のある者によって行われたか(有責性)
この3条件から「葛飾ビラ配布事件」を考えてみると、
荒川氏は、オートロックではないマンションの共用廊下を歩いて、ドアポストに資料(ビラ)を投函していたに過ぎない。この行為が〈住居侵入〉と言えるのか(構成要件該当性への疑問)。
荒川氏は、居住する住民の「私生活の平穏」を何ら冒していない。ドアポストに入れられたアンケートや都政・区政に関する資料は要らなければ捨てれば済むだけの話である。それ以上に、一戸一戸にそうした資料を配布する行為は、荒川氏自身の〈思想・良心の自由〉〈表現の自由〉に基づくものであり、これを何の法益侵害も無い状態で逮捕するというようなことは、公権力の乱用以外の何物でもない(可罰的違法性への疑問)。
この「葛飾ビラ配布事件」を通して、広く日本社会について懸念されることは次の3つである。
1つは、警察権力が、政府に都合の悪いビラ配布について執拗に「ねらい撃ち」していることだ。「葛飾ビラ配布事件」と似た性質の逮捕は、ざっと見ただけで次のように列挙することができる。
1)自衛隊官舎への「イラク派兵反対」のビラ配布した者への逮捕(04年2月)
2)マンションへのイラク派兵及び憲法反対のビラ配布した者への逮捕(04年3月)
3)マンション敷地内で年金問題を扱ったビラを持っていた者への逮捕(04年5月)
4)集合ポストに機関紙を投函した者への逮捕(05年9月)
しかも、「葛飾ビラ配布事件」や1)は「住居侵入罪」、2、4)に対しては「国家公務員法(政治的行為の制限)」違反、3)については「軽犯罪法」を適用する等、なりふり構わない警察の様子がうかがえる。そして、いちばん記憶に新しい事件としては、17日に報告された国分市の市議会議員のケースだ。
2つ目には、警察権力の不当な行使に対して、検察や司法が一体となっているという事実である。幸い、2008年5月の国分寺での事例は、書類送検されたものの不起訴となった。しかし、それ以外のケースは、起訴され、裁判で争われている。
特に、これらの問題を考える時に留意しなければならないのは、一般市民にとって、たとえ結論として何年か後に無罪が勝ち取れるとしても、「裁判の当事者になるということ」そのこと自体が、生活上の非常な負担になるということだ。このことを、より多くの人が自覚し、警察や司法の独断を正していかなければならない。
3つ目には、メディア(報道機関)の働きである。かつて言われた〈社会の木鐸〉という言葉は死語になりつつある。もちろん、芸能ニュースもスポーツニュースも結構である。しかし、それらとともに、公権力が適正に行使されているか、その不断の検証は、ジャーナリズムに課された大きな責務であろう。
【最高裁への要請行動】
「ビラ配りの自由を守る会」による最高裁への〈要請行動〉は月1回のペースで行われており、一般の人の参加も可能(最高裁西門前集合)
・4月23日(木) 午前10時から
・5月26日(火) 午前10時から
『JANJAN』 2009/04/21
http://www.news.janjan.jp/living/0904/0904191787/1.php
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