◆ 戦争立法の成立と独裁制のはじまり (多面体F)
9月19日(土)未明 安倍政権の「戦争立法」が成立した。参議院特別委員会の審議はメチャクチャだった。
「ホルムズ海峡の機雷」「米艦に救出された日本人母子」など安倍が立法事実として公言していた根拠が野党の追求で次々に崩れ、統合幕僚長の訪米協議録が暴露されて軍事国家化が明らかになり、そのたびに中谷防衛大臣は答弁できず立ち往生し、委員長は審議をストップせざるをえなかった。
そのあげく16日(水)午後の地方公聴会終了後、すぐに委員会を開催しようとしたり、17日(木)午後には、約束していた締め括り質疑はいっさい行わず、前日の地方公聴会の報告もなしで「強行採決もどき」を行った。当然採決は無効のはずなのに、19日(金)早朝2時18分に参議院本会議で強引に成立させた。
そんな状況だったので、いままでは週1~2回だったのが、9月14日(月)から18日(金)は毎夕国会正門前に行くことになった。
行かざるをえない心境だったのだ(転居して千代田線で通勤することになり、国会議事堂前も霞が関も通勤途上になったこともあるのだが)。
この間ずっと天気は悪く、小雨か曇りだった。悪天候にもかかわらず人は多かった。思い出すと、9月に入り長雨が続き、台風は来るわ、東京でも地震は起こるわ、阿蘇が噴火するわと、立憲主義崩壊に天が怒ったような天変地異が続いた。
まず14日は、正門前下の横断歩道で警官隊により長時間足止めを食わされた。「開けろ!開けろ!」「通せ!通せ!」の大合唱。そのあいだ大江健三郎氏らがスピーチをしていたらしいがまったく聞こえなかった。警官隊とパイプ柵に阻まれあやうく圧死するのではないかという人の波だった。議員監視団の有田芳生氏が歩き回り、調整している姿が見えた。
その後、歩道は決壊し8月30日と同様に国会前に自由広場が出現した。
15日(火)中央公聴会が開催されSEALDsの奥田愛基さんの意見が共感を生んだ。
落語家の古今亭菊千代さんはスピーチで「奥田さんの最初の言葉は寝ている国会議員起きてください、だった。大事な公聴会、馬鹿にするなといいたい!」、「古今亭の名前で『あまり過激なことは言わないで』といわれているので、本名野口やすよで「安倍政権ただちに退陣」と主張し、かつ「お巡りさんも『もうすぐ信号が青信号に変わります』ではなく、個人で『もうすぐ政権が変わります』といいましょう」と訴え、喝采を浴びた。
また往年のフォーク歌手、中川五郎氏が「時代は変わる」という曲を披露した。
いつもの集会と比べるとサラリーマンや、明らかにOBとわかるグループが多かった。
16日(水)新横浜プリンスホテルで地方公聴会が開催された。
国会前では、スピーチをやっているかたわら、「ケ・セラ・セラ」など歌を歌っているグループ、太鼓に合わせて「ア!ベ!は!ヤ!メ!ロ!」と六拍子のシュプレヒコールを叫び続けるグループなどでアナーキーな雰囲気の空間になってきた。
この日13人もの市民が国会前の横断歩道で逮捕された。前日の15日には3人が逮捕された。北から南に渡る国会前の横断歩道を警官が通させないので、「通せ!通せ!」ともめて逮捕されたという話だった。
17日、特別委員会で強行採決もどきが行われ、雨のなか「怒りの大集会」が開催された。福島瑞穂議員は「今日は与党は締めくくり質疑をすると言っていたのにだれも一言も発言できなかった。怒号のなか5回採決を行ったというが、附帯決議を読み上げている途中でも採決していた。鴻池委員長も何をしているかわかっていなかったのではないか。委員会決議は決議もどきにすぎない。無効だ!」。辻元清美議員は「安倍総理は国民の声を切り捨て、クーデターを起こしているのに等しい」と怒りをぶつけた。
両親が学会員だったので生まれた時から学会員という公明党支持、愛知のNさんから「本来、平和の党で、人間の命を守る、戦争は絶対反対だって、そういう仏法の根幹の命をもって、公明党が誕生した。しかし、今の公明党はなんなんだ! 私たち学会員は、騙されたんだ! 私は公明党を、来年の参院選では、応援しません!」とスピーチし拍手を浴びた。
歩道に公明党の現職議員の顔写真を並べている人がいた。
大学有志ののぼり旗がますます増えてきた。武蔵野美術大学や明治大学のほか、東京工業大学、沖縄大学、専修大学教職員組合、京都大学同学会などの旗をみかけた。また制服姿の男子高校生グループや、セーラー服の女子高生の姿をみつけ、少し驚いた。
帰宅してテレビのニュースで採決の状況をみてみたが、佐藤正久議員(自民)が「みんな立て、立て」と身振りで指示しているだけで、とうてい採決といえるようなものではなかった。NHKの放送ですら「何らかの採決が行われたものとみられます」などと実況していたそうだ。
18日、この日も小雨。佐高信氏は「自民に天罰を! 公明党には仏罰を!」、金子勝・慶応義塾大学教員は「1931年9月18日は関東軍が柳条湖で満州事変を起こした日だが、21世紀の今日はクーデターの日と記憶にとどめるべきだ。自民党はもはや保守政党ではなく、ファシストだ」、室井佑月さんは「これは勝たないといけない闘いだ。憲法はわたしたちのものだ。主権を取り戻さないといけない」とアピールした。
集会では、革マル派や中核派もビラまきをしていた。70歳前後の男性が「宣伝ばっかりしてないで、行動しろよ」と本気で怒声を浴びせかけていた。その後ろを歩く60代半ばの人も「そうだ、そのとおり」と苦笑いしつつ、小さい声でつぶやいていた。
帰ってからというより、寝てしまってからのことだが、翌朝2時18分に参議院本会議で自公+次世代など3派は戦争法を強行採決して成立させた。
まさにクーデターが成功し、立憲主義が崩壊し安倍の独裁が始まったようにみえる。
しかし今回はこれでは終わらない、というか終われない。
9月20日(日)午後国会前に行ってみた。もうだれもいないかもと思ったら、200人くらい人が集まっていた。
沖縄の久米島の人は、17世紀の薩摩による琉球征伐と20世紀の米軍による銃とブルドーザーでの基地建設の歴史の話をした。もし辺野古新基地ができれば今後20-100年の闘争が始まる。なぜなら基地の耐用年数は100年といわれるからだそうだ。
また静岡のジャーナリストの方は「料理を注文してもしおかしなものが出てきたら「作り直してください」とか「お金を返してほしい」というだろう。これと同じで法律が成立したからといって、おかしなものは12月の施行までに廃止にしなくてはいけない。60年安保と違い、いまは市民一人ひとりが自分の足で立っている。おかしいことには声を上げよう」と訴えた。
主催者の方は「憲政記念館は、これだけ国民が集まっているのだから敷地を開放してほしい。路上の集会はいろいろ制約が大きい。たとえば電源がない。電源がないとコピーもとれない。すぐに情報を発信したいのにそれもできない」と言っておられた。なるほどたしかに、と思った。
9月22日、国会前で大きな集会があるというので行ってみた。てっきり反「戦争法」集会だと思ったら勘違いで反原連の「0922反原発国会前大抗議」だった。
10人の政治家がスピーチしたが、菅直人・元首相は「福島のメルトダウン事故は思ったより早い時間に発生していた。14時46分に震災が発生し、17時ごろには制御棒が水面から出ていた。22時には融解した核燃料が圧力容器をメルトスルーしていた。もし格納容器から外に出ていれば、東京はいまも立ち入り禁止になっていたはずだ。なぜわからなかったかというと、水位計がときどき振れたのでまだ水があると東電の社員もわたしたち官邸も信じていたからだ」と述べた。
山田正彦・元農相は「沖縄も原発も安保も、そしてTPPも根っこは同じだ。根っこはウォール街、そして世界の多国籍企業にある」と訴えた。
安倍や政府は「国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険」としばしばいうが、まさに原発事故やTPPはこれに当てはまる本物の危険だ。これこそ優先して国民の「安全」を考えてほしいものだ。
この集会では、何人かの人から来年夏の参議院選で戦争立法に賛成した議員を落選させよう、そしてその後の衆議院選で自公を倒そうと、落選運動や政権交代を訴えた。
翌23日、地元で憲法カフェが開催された。主催は若手弁護士3人、参加したのは20人程度だった。会場は本物のカフェ、月島の南端近くのブルーバードカフェという広い店だった。憲法の基本性格や安保法案の解説のあと質疑応答があった。地方自治法ではリコールや住民監査請求があるのに、なぜ国政では制度がないのかなど、市民ができる有効な反撃策が何かないのかという真剣な討議が交わされた。
議員への落選運動以外に、司法界では弁護士や元裁判官を中心に違憲訴訟を12月末に準備中という動きもあるし、ちょうどいま来年使用される教科書の訂正申請の終盤のはずなので、この戦争法制がどのように記述されるか注視し、教科書会社に要望を出そうという運動もあるそうだ。
毎週木曜夜の総がかり行動も継続されるようだ。
闘いは、まさにこれからだ。
『多面体F』より(2015年09月23)
http://blog.goo.ne.jp/polyhedron-f/e/5faabc3eba0dba302fe3bba3c6dd67e2
9月19日(土)未明 安倍政権の「戦争立法」が成立した。参議院特別委員会の審議はメチャクチャだった。
「ホルムズ海峡の機雷」「米艦に救出された日本人母子」など安倍が立法事実として公言していた根拠が野党の追求で次々に崩れ、統合幕僚長の訪米協議録が暴露されて軍事国家化が明らかになり、そのたびに中谷防衛大臣は答弁できず立ち往生し、委員長は審議をストップせざるをえなかった。
そのあげく16日(水)午後の地方公聴会終了後、すぐに委員会を開催しようとしたり、17日(木)午後には、約束していた締め括り質疑はいっさい行わず、前日の地方公聴会の報告もなしで「強行採決もどき」を行った。当然採決は無効のはずなのに、19日(金)早朝2時18分に参議院本会議で強引に成立させた。
そんな状況だったので、いままでは週1~2回だったのが、9月14日(月)から18日(金)は毎夕国会正門前に行くことになった。
行かざるをえない心境だったのだ(転居して千代田線で通勤することになり、国会議事堂前も霞が関も通勤途上になったこともあるのだが)。
この間ずっと天気は悪く、小雨か曇りだった。悪天候にもかかわらず人は多かった。思い出すと、9月に入り長雨が続き、台風は来るわ、東京でも地震は起こるわ、阿蘇が噴火するわと、立憲主義崩壊に天が怒ったような天変地異が続いた。
まず14日は、正門前下の横断歩道で警官隊により長時間足止めを食わされた。「開けろ!開けろ!」「通せ!通せ!」の大合唱。そのあいだ大江健三郎氏らがスピーチをしていたらしいがまったく聞こえなかった。警官隊とパイプ柵に阻まれあやうく圧死するのではないかという人の波だった。議員監視団の有田芳生氏が歩き回り、調整している姿が見えた。
その後、歩道は決壊し8月30日と同様に国会前に自由広場が出現した。
15日(火)中央公聴会が開催されSEALDsの奥田愛基さんの意見が共感を生んだ。
落語家の古今亭菊千代さんはスピーチで「奥田さんの最初の言葉は寝ている国会議員起きてください、だった。大事な公聴会、馬鹿にするなといいたい!」、「古今亭の名前で『あまり過激なことは言わないで』といわれているので、本名野口やすよで「安倍政権ただちに退陣」と主張し、かつ「お巡りさんも『もうすぐ信号が青信号に変わります』ではなく、個人で『もうすぐ政権が変わります』といいましょう」と訴え、喝采を浴びた。
また往年のフォーク歌手、中川五郎氏が「時代は変わる」という曲を披露した。
いつもの集会と比べるとサラリーマンや、明らかにOBとわかるグループが多かった。
16日(水)新横浜プリンスホテルで地方公聴会が開催された。
国会前では、スピーチをやっているかたわら、「ケ・セラ・セラ」など歌を歌っているグループ、太鼓に合わせて「ア!ベ!は!ヤ!メ!ロ!」と六拍子のシュプレヒコールを叫び続けるグループなどでアナーキーな雰囲気の空間になってきた。
この日13人もの市民が国会前の横断歩道で逮捕された。前日の15日には3人が逮捕された。北から南に渡る国会前の横断歩道を警官が通させないので、「通せ!通せ!」ともめて逮捕されたという話だった。
17日、特別委員会で強行採決もどきが行われ、雨のなか「怒りの大集会」が開催された。福島瑞穂議員は「今日は与党は締めくくり質疑をすると言っていたのにだれも一言も発言できなかった。怒号のなか5回採決を行ったというが、附帯決議を読み上げている途中でも採決していた。鴻池委員長も何をしているかわかっていなかったのではないか。委員会決議は決議もどきにすぎない。無効だ!」。辻元清美議員は「安倍総理は国民の声を切り捨て、クーデターを起こしているのに等しい」と怒りをぶつけた。
両親が学会員だったので生まれた時から学会員という公明党支持、愛知のNさんから「本来、平和の党で、人間の命を守る、戦争は絶対反対だって、そういう仏法の根幹の命をもって、公明党が誕生した。しかし、今の公明党はなんなんだ! 私たち学会員は、騙されたんだ! 私は公明党を、来年の参院選では、応援しません!」とスピーチし拍手を浴びた。
歩道に公明党の現職議員の顔写真を並べている人がいた。
大学有志ののぼり旗がますます増えてきた。武蔵野美術大学や明治大学のほか、東京工業大学、沖縄大学、専修大学教職員組合、京都大学同学会などの旗をみかけた。また制服姿の男子高校生グループや、セーラー服の女子高生の姿をみつけ、少し驚いた。
帰宅してテレビのニュースで採決の状況をみてみたが、佐藤正久議員(自民)が「みんな立て、立て」と身振りで指示しているだけで、とうてい採決といえるようなものではなかった。NHKの放送ですら「何らかの採決が行われたものとみられます」などと実況していたそうだ。
18日、この日も小雨。佐高信氏は「自民に天罰を! 公明党には仏罰を!」、金子勝・慶応義塾大学教員は「1931年9月18日は関東軍が柳条湖で満州事変を起こした日だが、21世紀の今日はクーデターの日と記憶にとどめるべきだ。自民党はもはや保守政党ではなく、ファシストだ」、室井佑月さんは「これは勝たないといけない闘いだ。憲法はわたしたちのものだ。主権を取り戻さないといけない」とアピールした。
集会では、革マル派や中核派もビラまきをしていた。70歳前後の男性が「宣伝ばっかりしてないで、行動しろよ」と本気で怒声を浴びせかけていた。その後ろを歩く60代半ばの人も「そうだ、そのとおり」と苦笑いしつつ、小さい声でつぶやいていた。
帰ってからというより、寝てしまってからのことだが、翌朝2時18分に参議院本会議で自公+次世代など3派は戦争法を強行採決して成立させた。
まさにクーデターが成功し、立憲主義が崩壊し安倍の独裁が始まったようにみえる。
しかし今回はこれでは終わらない、というか終われない。
9月20日(日)午後国会前に行ってみた。もうだれもいないかもと思ったら、200人くらい人が集まっていた。
沖縄の久米島の人は、17世紀の薩摩による琉球征伐と20世紀の米軍による銃とブルドーザーでの基地建設の歴史の話をした。もし辺野古新基地ができれば今後20-100年の闘争が始まる。なぜなら基地の耐用年数は100年といわれるからだそうだ。
また静岡のジャーナリストの方は「料理を注文してもしおかしなものが出てきたら「作り直してください」とか「お金を返してほしい」というだろう。これと同じで法律が成立したからといって、おかしなものは12月の施行までに廃止にしなくてはいけない。60年安保と違い、いまは市民一人ひとりが自分の足で立っている。おかしいことには声を上げよう」と訴えた。
主催者の方は「憲政記念館は、これだけ国民が集まっているのだから敷地を開放してほしい。路上の集会はいろいろ制約が大きい。たとえば電源がない。電源がないとコピーもとれない。すぐに情報を発信したいのにそれもできない」と言っておられた。なるほどたしかに、と思った。
9月22日、国会前で大きな集会があるというので行ってみた。てっきり反「戦争法」集会だと思ったら勘違いで反原連の「0922反原発国会前大抗議」だった。
10人の政治家がスピーチしたが、菅直人・元首相は「福島のメルトダウン事故は思ったより早い時間に発生していた。14時46分に震災が発生し、17時ごろには制御棒が水面から出ていた。22時には融解した核燃料が圧力容器をメルトスルーしていた。もし格納容器から外に出ていれば、東京はいまも立ち入り禁止になっていたはずだ。なぜわからなかったかというと、水位計がときどき振れたのでまだ水があると東電の社員もわたしたち官邸も信じていたからだ」と述べた。
山田正彦・元農相は「沖縄も原発も安保も、そしてTPPも根っこは同じだ。根っこはウォール街、そして世界の多国籍企業にある」と訴えた。
安倍や政府は「国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険」としばしばいうが、まさに原発事故やTPPはこれに当てはまる本物の危険だ。これこそ優先して国民の「安全」を考えてほしいものだ。
この集会では、何人かの人から来年夏の参議院選で戦争立法に賛成した議員を落選させよう、そしてその後の衆議院選で自公を倒そうと、落選運動や政権交代を訴えた。
翌23日、地元で憲法カフェが開催された。主催は若手弁護士3人、参加したのは20人程度だった。会場は本物のカフェ、月島の南端近くのブルーバードカフェという広い店だった。憲法の基本性格や安保法案の解説のあと質疑応答があった。地方自治法ではリコールや住民監査請求があるのに、なぜ国政では制度がないのかなど、市民ができる有効な反撃策が何かないのかという真剣な討議が交わされた。
議員への落選運動以外に、司法界では弁護士や元裁判官を中心に違憲訴訟を12月末に準備中という動きもあるし、ちょうどいま来年使用される教科書の訂正申請の終盤のはずなので、この戦争法制がどのように記述されるか注視し、教科書会社に要望を出そうという運動もあるそうだ。
毎週木曜夜の総がかり行動も継続されるようだ。
闘いは、まさにこれからだ。
『多面体F』より(2015年09月23)
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