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東京都の元「藤田先生を応援する会」有志によるブログ(2004年11月~2022年6月)のアーカイブ+αです。

藤田は語る(前編)

2006年12月24日 | 藤田の部屋
 東京都の教育の現状と板橋高校卒業式事件(前編)
                                 藤田勝久


 東京都の教育庁は、もう完全に壊れてしまっていますね。石原慎太郎は「殿様」なんですよ。本人がそう言っている(笑い)。週二~三回都庁に来ては、金曜の記者会見だけやって、その記者会見も、ネットで流れているのを見ましたが、メディアが完全にバカにされている。「おい、何か質問あるのか。なきゃ帰るよ」というような調子ですからね。
 米長邦雄のようにとんでもない教育委員もいます。彼は「教育基本法はもう東京では終わった」と宣言している。石原慎太郎は、憲法なんか守る気がないと言う。だから、東京ではもう憲法も教育基本法もすでに改悪されているのです。
 その殿様の周りに、民主党の総務会長で土屋敬之、自民党の古賀、田代といった都議会議員がいる。彼らは右翼のごろつきみたいなもので、殿様の切り込み隊長として威張りまくっています。土屋は、教育庁に入り込んで、言うことを聞かない指導主事を「てめえ、何やっているんだよ」と怒鳴りつけるという。
 だから行政の体を成していませんね。ファシストが東京都を支配してしまっている。土屋が教育庁の課長や部長に電話すると、受話器をささげ持って応対するというんだから。

 2003年10月23日に東京都が通達を出しました。ご存知のように、国旗は正面、都旗はその横に掲揚する。それで、みんなバスのように、前に向かって座るのです。だから、礼をするときは国旗に向かってすることになります。
 私は何度も卒業式に出席しましたが、ただ名前を読み上げていくだけで、時間がかかって退屈なものです(笑い)。だから、われわれ教員は生徒のほうにいすを向けていた。約三〇〇名近く、一人ずつ名前を呼ばれて、起立して返事するのを見ながら時間を過ごすわけです。「ああ、あいつも卒業か」と。ところが、この一〇・二三通達は、教職員席をまっすぐ正面に向けて、卒業生のほうに向いてはいけないという。私はこの一事をもって、これはファシズムだと思いました。

 あまりにも愚かなことを、命令によってみんながやる、これが私なりのファシズムの定義です。いすをまっすぐ向けて、横を向けてはいけないといわれると、いちばん前の席は卒業式の間、ずっと壁を見ていることになります。現場に聞いてみたら、いちばん前は壁だから、少し斜めにして国旗のほうに向くように座ることだけは許された、と言っていました。ところが、卒業生のほうにまっすぐ向いてはいけない。こんな通達が、まさに勅令のように守られているのです。

 いま、まともな教師は管理職にならない。これも悪い傾向で、変なやつばかり校長になっていくのですが、まともな人はこんな時代に、都教委の走狗のような役割をしたくないのです。そうすると、授業や生徒指導などで行き詰った教師が管理職になって、校長になっていく。
 これは差別的な言い方かもしれないけれど、体育の教員が都立高校の校長の五割を占めているのです。体育科だって立派な教員はいっぱいいますが、総じて言うと、憲法も教育基本法も読んだことがなくて、集められて叱咤激励されたら「はい」と言ってやる人々です。民間の企業でも、体育系の人間を採用して、たたき上げて使ったほうが有効だという意見があるらしいですが。
 学校というところは、現場の教師が、「あの子をどうするか」など、時間はかかっても会議で一生懸命協議して、みんなで決めたことを守るということで生き生きと動くわけです。ところが、いま職員会議採決禁止令が出ている。これにもあきれ果てました。例えば、生徒を進級させるかどうかについて、われわれの経験で言うと、社会科、英語、各教科の関係している人がみんな意見を言う。何とか追試をやって進級させよう、とか、一時間も二時間も議論して、採決して決める。ところが、いまや校長と取り巻きだけが判断してパッと決めてしまうのです。

 この教育基本法改悪の流れの一つに、教育改革国民会議というものがあります。これは森首相のときにつくったものですが、「一人一人が取り組む人間性教育の具体策(委員発言の概要)」という項目が"傑作"です。例えば「幼児~高校生共通」のところで、「遠足でバスを使ってはならない」(笑い)。「お寺で三~五時間座らせる等の『我慢の教育』をする」。それから、「団地、マンション等に床の間を作る」という。床の間を作るのが教育になるというわけですか(笑い)。みんな一戸建てに住まわせてくれたらいいと思うんですがね。
 「高校生」のところで、「満一八歳で全ての国民に一年ないし二年間の奉仕活動を義務づける」という。これに基づいて恐らく、自衛隊に入れるということがあと五年ぐらいしたら出てくるんじゃないでしょうか。18歳で家族のために働いている人はどうするのか。「奉仕」だから給料は出ないでしょう。驚くべき内容です。
 「行政」のところには、「子どもを厳しく飼い馴らす必要があることを国民にアピールして覚悟してもらう」とあります。今、安部政権がやっていることはこれです。「ここで時代が変わった。変わらないと日本が滅びるというようなことをアナウンス、ショック療法を行う」。それで「この国民会議の提言を広く国民に知らせるために積極的な活動を行う」「マスコミと協力したキャンペーンを行う」「文部省、マスコミが一、二週間程度学校で過ごす」とある。
 教育基本法改定のねらいとは、ルールをつくって、それに沿わない人間は徹底して排除するということです。今回の教育再生会議のメンバーを見ていると、居酒屋「和民」の社長やトヨタ自動車の代表が入っている。あの連中から言わせれば、ダメなやつは居酒屋とトヨタで働かすということでしょうか。全部サービス残業で、洗脳してこき使うという感じですね。現在の格差社会の中で、一部のエリートコースを歩む人間以外は飼い馴らされるわけです。学校に警察OBが常駐して、マスコミも入って、監視カメラで見張って、飼い馴らしていく。これがこれからの教育の基本的な流れだというのが教育基本法の改定ですね。

 私の理解で言えば、新憲法ができて、それに基づいて新しい教育基本法ができた。だから、本来であれば現在の憲法を変えてから教育基本法をつくらなくてはいけないはずです。しかし、憲法を変えるのは時間がかかるので、順序を逆にして教育基本法を先に変えてしまおうというわけです。愛国心などの問題が言われていますが、教育基本法改定案の中には、規律を守らせるということを書いている。憲法や教育基本法は、行政権力が好き勝手なことをやらないために、権力側を縛るのが基本的な法の精神であるということから考えると、まったく逆に、政府や国家によって国民を、道徳目標を決めて飼い馴らして、規律を守らせる。だから、/* 小中学校でも反抗した者はこれからどんどん停学にしていくという */。国家が国民の行動や道徳を決めていくという思想統制の場に学校を変えてしまうのです。
 教育基本法の第一〇条には、教育が不当な支配に服することがないということがうたわれています。これは、戦後、自民党も文部省も、かつての軍国主義教育の反省からできたものだと解釈していたのですが、その一〇条を言葉だけ残して、不当な支配というのを、日教組などの支配というように意味を変えて、まったくひっくり返したものをつくろうとしています。
(続)

「放送レポート」204号

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