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東京都の元「藤田先生を応援する会」有志によるブログ(2004年11月~2022年6月)のアーカイブ+αです。

第6回最高裁要請行動の報告

2010年09月13日 | 板橋高校卒業式
  ★ 立川、葛飾に続く「言論表現の自由」圧殺を許すな! ★
  最高裁は「表現そのものを処罰すること」の憲法適合性を判断せよ!

  ■□■ 第7回最高裁要請行動11月2日(火)9:45最高裁東門集合 ■□■
  ◎ 第6回最高裁要請行動の報告

「栗と蝶」 《撮影:佐久間市太郎(北海道白糠定、札幌南定、数学科教員)》

 7月16日午後3時40分から4時30分まで、約50分間、第6回目の最高裁要請行動を行ないました。梅雨明けが近いことを思わせる青空の広がる暑い日でした。参加者は、加藤弁護士、三重県からかけつけた若い女性など約25名。要請に参加できる人数は17名に制限され、誰が入るのかで少し手間取り、司会担当の事務局のFさんがその調整で遅れて入室したため、開始が約10分間遅れました。
 その際、加藤先生は「弁護士は別枠である」と追及しましたが、裁判所側は杓子定規の頑なな姿勢を変えませんでした。これは、当日の要請行動を象徴的にあらわす出来事でした。加藤弁護士は、要請の中で、また最後にも、繰り返し、以前には数の制限はなかった、全国から要請に来ている人のために融通してもおかしくない、外で待っているより中で立っていてもよいから入れてほしい、決まっているから駄目ではなく、国民に開かれた裁判所に改めるべきだ、と強く求めました。
 当日、さらに、今までなかったハプニングがありました。5回の要請に何時も立ち会ってきた矢後氏(訟廷首席書記官補佐)の姿はなく、初めて、原直樹氏(訟廷上席書記官)が対応しました。矢後氏より、原氏はフランクに質問に答えるような印象がありましたが、何故変わったのかの説明はなかったように思います。
 冒頭、事務局のFさんから、事前に担当書記官の出席を求めたがどうなったのか回答を求めましたが、原・書記官は、要請は受けたが、月に50件もあり事務の支障になるので対応できない、と官僚的な答弁をしました。すかさず藤田さんから、何時も同じだ、もう6回目、必ず出席するように強く求めました。原氏は、今も会えるシステムはある、などと言い逃れをしました。
 最初に、事務局のHさんより、本日の要請の趣旨は、表現の自由は民主主義社会の基盤を支える大事な権利である、②原判決は、教頭による制止行為の事実誤認など誤りや問題点が多い、③国民が求めているのは、「日の丸・君が代」ではなく「平和と人権」に基づく教育である、の三点であると述べ、〈口頭弁論を開き、人権の世界標準に基づいて公正な判断をされるよう要請いたします〉という要請書を渡しました。
 また5月下旬に、ベルギーヘント大学フォルホーフ教授の意見書を提出し報道機関にもレクチャーした、昨年は千葉法相に、今年は宇都宮日弁連会長にも要請した、この裁判が世界的にも関心を寄せられていることを強調しました。
 続いて、同じく事務局のKさんから、「人権の要である表現の自由を、公共の福祉という曖昧な基準で制約するのは、国際基準からもおかしい。国際的にも恥ずかしくない判断をしてください。行政の言いなりにならず、人権の最後の拠り所になってほしい。」と訴えました。
 初めて参加した方々は、「最高裁は七生の裁判では都側の上告を不受理している、性教育に対する介入も卒業式に対する介入も同じ性質のものだ、藤田裁判の高裁判決は事実認定で誤りがあり、そのままにしておくのは許されない。」「教育勅語の奉読で倒れる者が続出したような戦前の軍国主義教育は良くないという教育を受けて来た。どんなことがあっても思想・良心の自由、表現の自由はとても大切、裁判官は分かってほしい。」「三重県から来た。高裁判決は日本語になっていない。」「国際的人権規約の地平に立って判断してほしい。」等々、それぞれ要請しました。
 藤田さんは、高裁判決の「錯誤ないしミスは許されませんし、これを破棄しないで放置することは裁判所にとって末代までの恥辱となりましょう。最高裁第一小法廷におかれましては、一刻も早く私の冤罪を雪いでいただきたく切にお願い」するとの、わかりやすく丁寧な「上申書」を提出しました。
 「言論・表現の自由を守る会」のKさんは、藤田裁判に対する「要請書」、「子どもの権利条約勧告」「DCI日本支部のカウンターレポート」、などを提出しました。
 最後に、要請行動の在り方が再び取り上げられました。裁判の進行状況はどうなっているのか、担当書記官は何故要請に応えないのか、最高裁はあまりに秘密主義になっていないか、等の強い批判が出されました。これに対し、原氏は、進行状況はたとえ担当書記官(藤田裁判の担当書記官は吉川氏)であってもわからない、要請は30分以内、17人となっていて、規則ではないが決まりごと、要請内容は整理して吉川担当書記官に渡すが、その内容は見せる対象にはなっていない、など頑なな姿勢のままに終始しました。
 締めくくりに、加藤弁護士から改めて、最高裁が国民の意見に耳を傾けるような柔軟な姿勢をとることなどを要望し、いつもより少し長い要請行動を終えました。
 (記 金子潔)


 『藤田先生を応援する会通信』(第43号 2010/9/9)

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