◇ 橋下徹大阪市長(9/25)発言に対する私たちの立場
9月25日、橋下徹大阪市長は記者会見において、「『慰安婦』の方の意見にも耳を傾けたい」と発言されたそうですが、前日の9月24日私たちは、事前申入れを重ねたうえで、韓国から来日されていた日本軍「慰安婦」被害者とともに大阪市庁に橋下市長を訪ねました。その場でも再度、強く面談を申し入れたのにもかかわらず実現しませんでした。その様子は、多くのメディアの方も側で見ておられたとおりです。
86歳の被害者が、「私は市長に会いに来たのです」と何度も言われました。それでも、市側は「本日、市長は公務がないので来庁していません。所在は確認していないので、連絡は取れません」とはねつけておきながら、その翌日のこの発言は大変失礼です。私たちは、この言葉を信じるに足る人間性を、橋下市長に感じることができません。
さらに、その「耳を傾ける」前置きとして、橋下市長は「国家が強制連行をやった証拠はないことはしっかりと伝えながら」と述べられています。そのことは、被害者自身が「国の関与がなくて、あれだけ多くの女性を『慰安所』に送ることはできない」と一番訴えておられることです。
前日9月24日に、橋下市長に直接訴えることができない悔しさを押さえながら、被害者はご自分の体験から今の思いまでの長い訴えを対応した市職員を前にされました。お二人の市職員の方も、日本軍「慰安婦」被害者のお話を直接聴かれるのはおそらく初めてだったでしょう。とても真剣に聴かれている様子が伺えました。
そのお二人に、被害者は「私の話をひと言も漏らさず市長に伝えて」とお願いされました。橋下市長は、その報告を聞いたうえでこの発言をされたのでしょうか。
「耳を傾ける」と、一見被害者に寄り添うような言葉をかけながら、このような反対の立場での前置き発言をされるとは、被害者を大変侮辱しています。橋下市長には、「苦労を重ねてこられた被害者たちを、これ以上踏みつけることはやめていただきたい」と伝えたいです。
橋下市長が日本軍「慰安婦」問題について発言して以降の経過は、次のとおりです。
<8月21日>
橋下市長が定例記者会見で、「慰安婦」問題について、歴史歪曲・女性差別発言を行った。「慰安婦という人たちが、軍に暴行、脅迫を受けて連れてこられたという証拠はない」「あったというのであれば、韓国の人たちにも出してもらいたい」
<同月23日>
大阪市に、「24日に公開質問状を持って行く。市長と面談したい」と申入れた。面談は拒否された。記者クラブに、24日に記者会見開催を申入れた。
<同月24日>
11時 大阪市に、橋下市長宛の公開質問状を提出。市長との面談は再度拒否され、政策企画秘書部総務担当課長らと面談。この質問状提出について、市長にも報告済と確認。回答を一週間以内にと求めたが、市側は二週間以内にと、約束した。12時~ 記者会見。
一方、公開質問状が提出されると報告を受けていたのに、橋下市長は11時前から緊急記者会見を行い、「慰安婦」問題についてさらに踏み込んだ発言を行った。「意思に反して強制されたかどうか、裏付ける証拠がない」「河野談話は最悪」
<同月29日>
関西ネットは、橋下市長への抗議文の賛同人・団体の募集を開始。
<9月7日>
回答が約束された日。6日・7日と市に連絡したが、「行政は回答できない。上と相談する時間がなかった。週明けまで時間をいただきたい」と言った。 この日、大阪市会は、「李明博韓国大統領の言動に抗議し、政府に対韓外交の見直しを求める意見書」を決議した。この中で「慰安婦」問題について、「完全かつ最終的に解決」と書かれており、2010年10月に決議された「日本軍『慰安婦』問題の早期解決に関する意見書」とは、全く反対の立場のものである。
<同月10日>
公開質問状に対して、大阪市政策企画室長名でFAXが送られてきた。「発言内容が行政機関の長として発せられたものではなく政治家として発せられたものであるため大阪市としてお答えできません」という内容。二回の記者会見共に、大阪市のボードの前で行われ、大阪市の名前で、すでに「You Tube」にアップされているのに、どうして市長としての発言ではないと言えるのか。
<同月18日>
市へ、「24日に抗議文を持って行く。被害者が行くので市長と面談をお願いしたい」と申入れた。市側は、「市長は会いません」。記者クラブへも、24日の記者会見を申入れした。
<同月20日>
市へ再度電話した。(関西ネット)「24日は失礼のない対応をお願いします」(市)「どういうことですか」(関西ネット)「高齢の被害者が来られるので、ちゃんとした会議室で迎えるとか、お茶を出してもらうとか」(市)「前回と同様です」(関西ネット)「市長にも会ってほしい」(市)「会いません」
<同月23日>
「私が日本へ行って話す」と言って来日された日本軍「慰安婦」被害者の金福童(キムボットン)さんが、集会で発言。新聞などで報道された。
<同月24日>
11時 金福童さん・韓国挺身隊問題対策協議会尹美香(ユンミヒャン)代表らとともに大阪市庁を訪ね、橋下市長との面談を、再度、その場でも強く申入れた。しかし、実現しなかった。秘書部長らを前に、金福童さんは、「男たちだけでは足りなくて、女も少女も連れて行かれた。『軍服を作る所へ』と言って連れて行かれた所が『慰安所』だった。5年間、血のにじむような、涙なしでは過ごせないような日々をあなたたちは知らないだろう」「もう70年近く経つのに、未だにこのようなことが続いているのは許せない」「市長は何を知っていると言うのだ。でたらめを言うなと伝えてほしい」。そして、「在日の人たちはなぜ日本に来たのか、なぜ故郷も知らずに暮らしているのかということを考えてほしい。日本はその人たちを助けなければいけないのに、子どもたちの学ぶ権利を侵しているのはおかしい」と、30分近くも話された。市は、市長にすべて伝えると約束した。
同時に、5,747名251団体の賛同者・団体とともに、橋下市長への抗議文を提出した。
実は、9月25日11時32分、橋下市長は秘書部総務担当を通じて「会ってもいい。日程はどうか」と、突然問合わせて来られました。あまりに突然でした。今日の行動予定を踏まえたうえで、被害者たちは帰国のしたくをしている最中でしたが、「午後には帰国するので、今すぐなら行ける」と伝えました。ところが、市の担当は「今日は予定があり調整できない」と言われました。
私たちから昨日の市長面談の希望を事前に何回も申入れているにもかかわらず、一方的に拒否し続けておいて、突然の問合せとは、橋下市長はあまりに勝手ではないでしょうか。高齢の被害者たちにとっては、近い日本への旅でさえも大変な負担です。来日は伝えてあるのですから、本当に会いたいのであれば、日程調整はもっと事前にできたはずです。私たちは、「会ってもいい」という橋下市長の本意を測りかねます。
この問合せのことを聞いた金福童さんは、「昨日言いたいことはすべてお話した。主張を撤回、謝罪したいと言うのならともかく、もう一度来たら話を聞くというのか」と憤慨され、尹美香さんも「年老いた被害者が韓国からやってきたにもかかわらず、その時間に市長が来庁せず、ツイッターで否定的な発言をしていたというのは、人として許されないことだ」とコメントされました。
また、本日の記者会見でも、橋下市長は「暴行、脅迫、拉致はなかった」と持論を述べられています。「強制連行」がなかったら国に責任がないと言いたいのでしょう。
しかし、私たちも機会あるごとに伝えていますが、日本軍「慰安婦」制度については、当時の軍と政府が創設から管理まで深く関わっていたことは多くの証言や資料で明らかになっており、「河野談話」も調査のうえ、「甘言、強圧による等、本人たちの意思に反して集められた事例が数多くあり」と認め、日本の裁判所でも被害事実が認定されているのです。
橋下市長から問合わせがあれば、いつでも詳細な説明をさせていただきます。
橋下市長は、9月23日の集会や市庁での金福童さんのお話が多くの人々に深い感銘を与え、大きな反響を呼んでいることにあわてて「会ってもいい」などと発言されたのでしょう。金福童さんは、どのようにして「慰安所」に連れて行かれ、どのような被害を受けたのか、そこに「暴行、脅迫、拉致はなかった」と言えるのかなど、24日に市庁でも話してくださいました。橋下市長は、なかなか聴くことができない体験を聴くという貴重な機会を逃してしまわれました。
橋下市長はご自分でも重要な発言をしたという自覚があるようですが、それならば発言の前に「存在しない」文書による証拠を探すだけでなく、朝鮮半島、中国、台湾、フィリピン、マレーシア、オランダなどなどの「存在している」被害者に会い、体験を聞いてから責任ある発言をすべきだったでしょう。話を聴く気持ちがあるのなら、高齢の被害者が遠くから訪ねてくるのだから休日を返上してでも会うべきだったのではないでしょう。
橋下市長が「会ってもいい」と言われたことは評価し、被害者の思いと、大阪市をはじめ全国各地から賛同を寄せてくださった人々の思いを汲み、今後私たちが引き続き市長との面談を求めていくつもりです。
2012年9月27日 日本軍「慰安婦」問題・関西ネットワーク
9月25日、橋下徹大阪市長は記者会見において、「『慰安婦』の方の意見にも耳を傾けたい」と発言されたそうですが、前日の9月24日私たちは、事前申入れを重ねたうえで、韓国から来日されていた日本軍「慰安婦」被害者とともに大阪市庁に橋下市長を訪ねました。その場でも再度、強く面談を申し入れたのにもかかわらず実現しませんでした。その様子は、多くのメディアの方も側で見ておられたとおりです。
86歳の被害者が、「私は市長に会いに来たのです」と何度も言われました。それでも、市側は「本日、市長は公務がないので来庁していません。所在は確認していないので、連絡は取れません」とはねつけておきながら、その翌日のこの発言は大変失礼です。私たちは、この言葉を信じるに足る人間性を、橋下市長に感じることができません。
さらに、その「耳を傾ける」前置きとして、橋下市長は「国家が強制連行をやった証拠はないことはしっかりと伝えながら」と述べられています。そのことは、被害者自身が「国の関与がなくて、あれだけ多くの女性を『慰安所』に送ることはできない」と一番訴えておられることです。
前日9月24日に、橋下市長に直接訴えることができない悔しさを押さえながら、被害者はご自分の体験から今の思いまでの長い訴えを対応した市職員を前にされました。お二人の市職員の方も、日本軍「慰安婦」被害者のお話を直接聴かれるのはおそらく初めてだったでしょう。とても真剣に聴かれている様子が伺えました。
そのお二人に、被害者は「私の話をひと言も漏らさず市長に伝えて」とお願いされました。橋下市長は、その報告を聞いたうえでこの発言をされたのでしょうか。
「耳を傾ける」と、一見被害者に寄り添うような言葉をかけながら、このような反対の立場での前置き発言をされるとは、被害者を大変侮辱しています。橋下市長には、「苦労を重ねてこられた被害者たちを、これ以上踏みつけることはやめていただきたい」と伝えたいです。
橋下市長が日本軍「慰安婦」問題について発言して以降の経過は、次のとおりです。
<8月21日>
橋下市長が定例記者会見で、「慰安婦」問題について、歴史歪曲・女性差別発言を行った。「慰安婦という人たちが、軍に暴行、脅迫を受けて連れてこられたという証拠はない」「あったというのであれば、韓国の人たちにも出してもらいたい」
<同月23日>
大阪市に、「24日に公開質問状を持って行く。市長と面談したい」と申入れた。面談は拒否された。記者クラブに、24日に記者会見開催を申入れた。
<同月24日>
11時 大阪市に、橋下市長宛の公開質問状を提出。市長との面談は再度拒否され、政策企画秘書部総務担当課長らと面談。この質問状提出について、市長にも報告済と確認。回答を一週間以内にと求めたが、市側は二週間以内にと、約束した。12時~ 記者会見。
一方、公開質問状が提出されると報告を受けていたのに、橋下市長は11時前から緊急記者会見を行い、「慰安婦」問題についてさらに踏み込んだ発言を行った。「意思に反して強制されたかどうか、裏付ける証拠がない」「河野談話は最悪」
<同月29日>
関西ネットは、橋下市長への抗議文の賛同人・団体の募集を開始。
<9月7日>
回答が約束された日。6日・7日と市に連絡したが、「行政は回答できない。上と相談する時間がなかった。週明けまで時間をいただきたい」と言った。 この日、大阪市会は、「李明博韓国大統領の言動に抗議し、政府に対韓外交の見直しを求める意見書」を決議した。この中で「慰安婦」問題について、「完全かつ最終的に解決」と書かれており、2010年10月に決議された「日本軍『慰安婦』問題の早期解決に関する意見書」とは、全く反対の立場のものである。
<同月10日>
公開質問状に対して、大阪市政策企画室長名でFAXが送られてきた。「発言内容が行政機関の長として発せられたものではなく政治家として発せられたものであるため大阪市としてお答えできません」という内容。二回の記者会見共に、大阪市のボードの前で行われ、大阪市の名前で、すでに「You Tube」にアップされているのに、どうして市長としての発言ではないと言えるのか。
<同月18日>
市へ、「24日に抗議文を持って行く。被害者が行くので市長と面談をお願いしたい」と申入れた。市側は、「市長は会いません」。記者クラブへも、24日の記者会見を申入れした。
<同月20日>
市へ再度電話した。(関西ネット)「24日は失礼のない対応をお願いします」(市)「どういうことですか」(関西ネット)「高齢の被害者が来られるので、ちゃんとした会議室で迎えるとか、お茶を出してもらうとか」(市)「前回と同様です」(関西ネット)「市長にも会ってほしい」(市)「会いません」
<同月23日>
「私が日本へ行って話す」と言って来日された日本軍「慰安婦」被害者の金福童(キムボットン)さんが、集会で発言。新聞などで報道された。
<同月24日>
11時 金福童さん・韓国挺身隊問題対策協議会尹美香(ユンミヒャン)代表らとともに大阪市庁を訪ね、橋下市長との面談を、再度、その場でも強く申入れた。しかし、実現しなかった。秘書部長らを前に、金福童さんは、「男たちだけでは足りなくて、女も少女も連れて行かれた。『軍服を作る所へ』と言って連れて行かれた所が『慰安所』だった。5年間、血のにじむような、涙なしでは過ごせないような日々をあなたたちは知らないだろう」「もう70年近く経つのに、未だにこのようなことが続いているのは許せない」「市長は何を知っていると言うのだ。でたらめを言うなと伝えてほしい」。そして、「在日の人たちはなぜ日本に来たのか、なぜ故郷も知らずに暮らしているのかということを考えてほしい。日本はその人たちを助けなければいけないのに、子どもたちの学ぶ権利を侵しているのはおかしい」と、30分近くも話された。市は、市長にすべて伝えると約束した。
同時に、5,747名251団体の賛同者・団体とともに、橋下市長への抗議文を提出した。
実は、9月25日11時32分、橋下市長は秘書部総務担当を通じて「会ってもいい。日程はどうか」と、突然問合わせて来られました。あまりに突然でした。今日の行動予定を踏まえたうえで、被害者たちは帰国のしたくをしている最中でしたが、「午後には帰国するので、今すぐなら行ける」と伝えました。ところが、市の担当は「今日は予定があり調整できない」と言われました。
私たちから昨日の市長面談の希望を事前に何回も申入れているにもかかわらず、一方的に拒否し続けておいて、突然の問合せとは、橋下市長はあまりに勝手ではないでしょうか。高齢の被害者たちにとっては、近い日本への旅でさえも大変な負担です。来日は伝えてあるのですから、本当に会いたいのであれば、日程調整はもっと事前にできたはずです。私たちは、「会ってもいい」という橋下市長の本意を測りかねます。
この問合せのことを聞いた金福童さんは、「昨日言いたいことはすべてお話した。主張を撤回、謝罪したいと言うのならともかく、もう一度来たら話を聞くというのか」と憤慨され、尹美香さんも「年老いた被害者が韓国からやってきたにもかかわらず、その時間に市長が来庁せず、ツイッターで否定的な発言をしていたというのは、人として許されないことだ」とコメントされました。
また、本日の記者会見でも、橋下市長は「暴行、脅迫、拉致はなかった」と持論を述べられています。「強制連行」がなかったら国に責任がないと言いたいのでしょう。
しかし、私たちも機会あるごとに伝えていますが、日本軍「慰安婦」制度については、当時の軍と政府が創設から管理まで深く関わっていたことは多くの証言や資料で明らかになっており、「河野談話」も調査のうえ、「甘言、強圧による等、本人たちの意思に反して集められた事例が数多くあり」と認め、日本の裁判所でも被害事実が認定されているのです。
橋下市長から問合わせがあれば、いつでも詳細な説明をさせていただきます。
橋下市長は、9月23日の集会や市庁での金福童さんのお話が多くの人々に深い感銘を与え、大きな反響を呼んでいることにあわてて「会ってもいい」などと発言されたのでしょう。金福童さんは、どのようにして「慰安所」に連れて行かれ、どのような被害を受けたのか、そこに「暴行、脅迫、拉致はなかった」と言えるのかなど、24日に市庁でも話してくださいました。橋下市長は、なかなか聴くことができない体験を聴くという貴重な機会を逃してしまわれました。
橋下市長はご自分でも重要な発言をしたという自覚があるようですが、それならば発言の前に「存在しない」文書による証拠を探すだけでなく、朝鮮半島、中国、台湾、フィリピン、マレーシア、オランダなどなどの「存在している」被害者に会い、体験を聞いてから責任ある発言をすべきだったでしょう。話を聴く気持ちがあるのなら、高齢の被害者が遠くから訪ねてくるのだから休日を返上してでも会うべきだったのではないでしょう。
橋下市長が「会ってもいい」と言われたことは評価し、被害者の思いと、大阪市をはじめ全国各地から賛同を寄せてくださった人々の思いを汲み、今後私たちが引き続き市長との面談を求めていくつもりです。
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