《月刊救援から》
☆ 黒岩さんの被告人質問が実施される
☆ 「なぜ爆竹だったのか?」がついに明かされる
三月四日、武蔵野五輪弾圧裁判控訴審、第二回公判が東京高裁で開かれた。
昨年十一月の第一回公判で、被告人の黒岩さんが自ら挙手し「自分への質問を請求します」と証拠請求するという「奇策」で勝ち取った「被告人質問」が実施された。
被告人質問の時問は二〇分と短時間だったが、この短いやりとりのために、当該・救援会・弁護団は時間を使って議論をした。当日朝四時までリハーサルをした(早く寝るべきだ!)という黒岩さんも、その議論をしっかりと受け止めて臨んでくれた。
これまでも「なぜ五輪に反対か?」という話は散々してきた。だから控訴審では、「なぜ爆竹だったのか?」という話をしよう、と決めていた。
黒岩さんの逮捕事由である二一年七月の五輪聖火イベントに対する爆竹抗議は、完全な「単パネ」だった。「単パネ」の背景にある黒岩さんの思想(かつ「美学」?)と、救援会メンバー個々の考えが、時に共鳴し、時にぶつかりあいながら、この約三年間の救援闘争は進んできた。
つまり「五輪反対はその通り。しかしなぜ単パネの爆竹だったのか?」は、この救援闘争のアルファでありオメガに他ならないのだ。
☆ 「単パネ」を「単パネ」でなくすこと
そして迎えた被告人質問。以下、「なぜ爆竹だったのか?」の核心部分に関わる黒岩さんの発言を紹介しよう。
「二一年六月、吉祥寺や国分寺など地元での五輪反対デモやスタンディングに参加した。六月二三日に新宿で過去最大の五輪反対デモがあったが、それでも開催の動きはとまらず、マスコミの焦点も『無観客か否か』に収斂していった。6・23を経て『いままでのやり方』では違う『もっと強いやり方』で抗議するべきだと考えるに至った」
「爆竹を選んだのは、人を傷つけず、安価で、それでいて大きな音を出せるから」
「酒井隆史教授の意見書に、『権力の容認するやり方では、まさしく権力をかえることはできない』という議論が紹介されている。まったく同感だ」
こうした前半部分につづいて、後半で黒岩さんは、爆竹抗議と弾圧が世の中にどう受け止められたかを話した。
「今夏開催するパリ五輪に反対する仲間は、『私たちには第二、第三のクロイワが必要だ』と声明を出した。二八年予定地のLAからも連帯アピールをもらった。自分が会ったこともない多くの方から、ありがたいことに支援やカンパをいただいてきた」
「一審判決は、『爆竹でない方法でもアピールはできた』という。だが、爆竹を使った私の五輪反対のメッセージは確実に世界に届いた」
こうしたやり取りを聞きながら、爆竹、逮捕、長期勾留、裁判闘争という過程に身を沈めながら、「私自身も黒岩さんのメッセージを受け取ってきたのだ」という感慨を覚えた。
確かに単パネで始まった救援ではあったけど、それ大衆運動の陣形に位置づけなおし、大衆運動の「共鳴板」の中で一瞬の爆竹を何倍もの音に増幅させられれば、単パネは単パネではなくなる。
その先に、「第二、第三のクロイワを…」というパリからの応答もあるのだろうし、切実な状況のなかで、「いままでのやり方」の境界線を揺さぶる力も生まれてくる。
緊張気味の黒岩さんの背中を見つめながら、救援闘争の三年間の意義を再確認できた幸せな時間だった。
☆ 次回公判は五月二八日結集を!
この日は、証人申請していた武藤敏郎元五輪組織委事務総長の申請却下もあった。五輪抗議をイベントスタッフの業務妨害に切り縮めたこの弾圧の本質を考えれば、ぜひとも武藤には出廷願いたかったが、残念であった。
第三回公判は五月二八日午後二時開廷(一二時二〇分裁判所前集合)。弁護団の最終弁論が行われる。
威力業務妨害弾圧の危険性を考えれば、違法性阻却だけではなく、構成要件不該当での無罪主張をいま一度展開できるよう、いま論理構成のアイディアを頭の中で考えている。
七月に予想される高裁判決の朝を私たちが無罪を確信して迎えられるようギリギリまでやり抜ぎたいと思う。一層の注目と支援をお願いします。
(武蔵野五輪弾圧救援会 井上森)
『月刊救援』(2024年4月10日)
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