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東京都の元「藤田先生を応援する会」有志によるブログ(2004年11月~2022年6月)のアーカイブ+αです。

9・5近藤さん累積加重裁判最高裁判決文から

2013年09月08日 | 日の丸・君が代関連ニュース
 ● 最高裁が答えなかったこと(近藤さん累積加重裁判)
 最高裁判決文に添付されていた『上告理由書』(2013年5月10日)から、一部引用します。最高裁第1小法廷がこれらの主張に一言も答えていないのは残念です。
 (2)一審原告の教師としての良心の自由との関係

 第一審原告は、学生時代に日本の侵略戦争について学び、実父が南満州鉄道株式会社の社員であったという事実と向き合ったことから、日の丸・君が代に対して、肯定的な気持ちを持つことができなかった。この意味で、第一審原告の本件各不起立行為は、自身の世界観・歴史観と密接不可分である。
 さらに、第一審原告は、教師となり、障害を持つ生徒と接してそれぞれの生徒に適した教育の必要性を感じ、介助が必要な障害児の生徒を置いて、国旗に向かって起立させられることには納得できないものを感じた。
 また、夜間中学でいわゆる中国残留孤児やその二世・三世、その他アジア諸国からの生徒と接する中で、そうした生徒らに対し、かつての侵略国である日本を象徴する日の丸・君が代に対する肯定的な姿勢を見せることについて、疑問を感じざるを得なかった
 そのような第一審原告にとって、卒業式という、本来、生徒のために挙行される儀式的行事の揚面で、生徒らの目の前で、国歌斉唱の際に起立するか否かは、これまでの自らの生徒に対する教育についての姿勢を問われるものに他ならなかった。
 この意味で、本件の各不起立は、第一審原告の教師としての良心の自由と密接不可分なのである。
 5 厳絡な基準で審査すべき

 上述したように、本件各職務命令は、思想及び良心の自由を直接侵害するものであるから、その違憲性め審査基準は、いわゆる厳格な審査基準、すなわち目的がやむにやまれぬものであり、当該目的達成のために必要不可欠な手段か否かという基準を採用すべきである。
 平成24年1月16日最高裁第一小法廷判決における宮川反対意見も同旨である。
 「学校教育の目標や卒業式等の儀礼的行事の意義、在り方等を定めた関係法令等の諸規定の趣旨に沿って、地方公務員の地位の性質及びその職務の公共性を踏まえ、生徒等への配慮を含め、教育上の行事にふさわしい秩序の確保とともに当該式典の円滑な進行を図るためのもの」という目的から発せされた職務命令であるとして、緩やかな基準で審査をした原判決の姿勢は、上述したような、
  ①権力は、そもそも、思想及び良心の問題について謙抑的でなければならないこと、
  ②公教育の分野においては特に厳格でなければならないことを看過し、
  ③本件一審原告の不起立行為がその世界観・歴史観及び教師としての良心の自由に根ざすものであることを軽視しており、
 憲法19条に抵触するというべきである。

 3 君が代斉唱時の起立は国家忠誠行為に他ならず、特定の思想を示すもの

 国歌と規定される君が代斉唱時に、国旗と規定される日の丸に向かって起立をすると言う行為は、日の丸に向かって敬礼するのと同程度に、日の丸・君が代に象徴される日本という「国家」に敬意を払う行為である。このような行為は、国家忠誠行為に他ならないと言うべきである。
 米国においては、起立斉唱行為を、正に国家忠誠行為と認めた判例がある。2004年連邦控訴審判決は、「国歌を歌う」ことと「国旗に向かって起立する」ことは、いずれも「国旗に対して敬礼すること」の中に含まれると解して、これを強制すれば連邦憲法修正第1条違反となる旨判断した。
 連邦控訴裁判所によって支持されたペンシルヴァニア州東部地区連邦地裁の判決は、次のように述べている。
 「バーネット事件連邦最高裁判決は、州が生徒に忠誠の誓い、国旗敬礼または何らかの方法での信念の表示を強要するとき、生徒の連邦憲法修正第1条の権利が侵害されるということを確立した。
 したがって、もし当該法(註:2003年2月施行ペンシルヴァニア州法)が生徒に国歌を斉唱することを選択しないことを許さないならば、当該法は修正第1条上の権利を侵害することになる。
 もし『敬礼する』という語の広い定義を用いるならば、国歌を歌うことは『国旗に敬礼すること』と考えられるということに私は同意する。私はまた、このような広い定義は同様に、忠誠の誓いまたは国歌の斉唱の間、帽子をとることや起立することのような愛国的な敬礼と考えられる他のことがらを含むということを記しておく」
 このように、国旗(日の丸)に向かって起立して国歌(君が代)を斉唱するという行為が、国家に対する忠誠を示す行為であることに鑑みれば、当該行為は、特定の思想を表す行為である。
 これを行政が個人に対して、「強要」することになれば、思想・良心の自由に抵触する問題となるのは、自明である。
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