以下は、bloggerに書き、facebookにリンクしてあるので、そちらからも読めるが、向こうはSNSで、メンバーしか読めないから、こちらにも置いておく。
子供のころから運動は苦手だったが、空想の世界で遊ぶのは大好きだった。現実にそこにあるものも想像力のめがねをかけて見ると、ぜんぜん違うものに変わるのだ。犬や猫は口が利けて話しかけてくるし、木や草花も自分の話を聞かせてくれる。
そんなわけで、空想の世界で見たものでお話を作るのも好き、物語を文章に書いてみるのも好きだった。その延長で祈りながら心に浮かんでくるものを物語の形で書いてみるようになったわけだ。
それが『公園のお風呂ダヌキ』をはじめとしたいくつもの物語だった。ところがどうも不思議なことに、肝心のカトリック教会で、それが読み取れる人が少ないのには驚く。大人でも、子供でも誰にでもわかる形で祈りから生まれたものを書いてみようと始めたのだが、それを見ても、こんなものは誰にだって書けるくらいにしか見えないらしいのだ。がっかり。
わかりやすいように書くのは結構大変なんだぜ、と心の中でぶつくさ言ってみても、わからない人にはわからないらしいということがわかっただけだ。ではと、なるべく難解な話にすると、今度は本当にわからないから面白くないということになる。まったくうんざりしてくる。
もう、今度からは人に見せるためではなくて自分が読みたいもの、面白いと思うものを書いてみようと思う。好きなもの、楽しいものでいくつもりだ。ケータイのマリーさんには改めて登場してもらおう。
一作に準備から最後までだいたい半年以上かかるから、先は長いぞ。