『冬の花』 まえがき
こんにちは、初めまして。エーと知ってる人もいるかもしれないけど、まずは自己紹介からいきまふ。あたしの名前はマリー、ケータイのマリーっていうの。ほんとにケータイなの。普通のどこにでもあるケータイよ。うちのおばはんがディズニーのファンで気に入っているおしゃれキャットのマリーの絵をいつも待ちうけにしてるから、あたしも自分で自分のことをケータイのマリーって名乗ってるの。これでもうちのおばはんには大事な相棒よ。あたしがいなけりゃ、あの人、何にもできないんだから。
朝、ジリジリジャラジャラ鳴ってあの人を起こすのもあたし。近頃はとみに忘れっぽくなってきたあの人のメモを保存してるのもあたし、天気予報から交通情報、ニュースもみんなあたしよ。この頃はTwitterやfacebookは勿論、他のSNSもみんなあたし無しにはどうにもなりゃしないのよ。うちのおばはん、もともと、生まれつき指にちょっと故障があるから沢山書くのはパソコンだけど、量が少なければケータイのほうが使いやすいらしいのね。だけど、スマートフォンじゃなくて文字の見やすいデータ通信のネットブックとあたしの二本立てにしてるのよね。なんたっておばはんだからおめめも問題なんだわさ。
話は変わるけど、うちのおばはんには今はもう無くなっちゃった日経のSNS以来のお友達が結構いるのよね。あの人たちは直接会ったことのある人が多いし、今でもオフ会なんかも盛んなのよ。
うちのおばはん、お酒飲めない人だからこの頃はちょっと引っ込んでるけど相変わらず、日記は読んだり書いたりしていてお互いの状況もわかってるの。ほんでもってこの間、京都のお友達から郵便物が届いたの。
いけずな京女さんていう、そのお友達が送ってきたのは京都大学総合博物館に行ったときのお土産で、なんかとてもめずらしいものらしいの。京大でX線調査をしたときに作られた冊子で、よそでは手に入らないんですって。“モノが語るーマリア十五玄義図”ってタイトルの薄っぺらいけど、写真がたくさん載ってるの。だけどうちのおばはんはパラパラと眺めて、そのまま机の上に重ねてあったのよ。
ところが、ついおとといよ。うちのおばはんは四谷の教会の図書館で探し物をしてたわけ。それで資料用のコピーもたくさんとってたの。新聞の記事を何行かとかだったらケータイのあたしで十分足りるんだけどさ、やっぱり、長い文章なんかはコピー機のお世話にならないと用が足りないのよね。たまたまその時に、このところ、Twitterで大阪教区の知り合いの神父様が今度高山右近の列福に向けての運動の担当になったとかいう話しがあったのを思い出したらしいのよあの人。それで高山右近の簡単な紹介はないかと探して見つけた小冊子を読んだのね。
勿論、高山右近がキリシタン大名で、キリシタン禁令のとき、フィリピンに流されたことくらいは知っていたらしいけど、高山右近がその時62歳で、フィリピンのマニラについてその40日後には亡くなっていたなんて、うちのおばはんは初めて知ったのね。なんかすっごく驚いてショックだったみたい。あの時代だもん。今と違って62歳っていったら、いいおじいさんでしょう。遠いマニラまでの船旅で疲れきってしまったのでしょうね。うちのおばはん、自分が60過ぎてて、まだまだ年をとったなんて気がしないのに、高山右近が同世代で亡くなっちゃったのがショックだったらしいわ。時代が違うんだから仕方ないじゃないのよねえ。
でもって改めて高山右近について調べ始めたらこは如何に。ここに来て、いけずな京女さんから送ってきた京大博物館の『マリア十五玄義図』と高山右近の関係が見えてきてまたびっくりしてるのよ。ほんとにうちのおばはんて物を知らないわよ。この小冊子がどういう意味を持ってるのか、やっとこさわかって読み直したりしてるのよ。京女さんに叱られそう。
まあ、そんなわけでこれから始めたいと思ってるおはなしは、この、うちのドジおばはんとあたしの毎日の中から拾ったものなのよ。どんな話になるかは始まってみなくちゃわからないわ。多分、まだ当分連載まで行かないと思うけど、首を長くして待っててね。あの人がなまけないようにあたしがお尻をたたくつもりよ。放っておくとすぐ遊び始めちゃうんだから。
ほんじゃあ、よろしくね。
こんにちは、初めまして。エーと知ってる人もいるかもしれないけど、まずは自己紹介からいきまふ。あたしの名前はマリー、ケータイのマリーっていうの。ほんとにケータイなの。普通のどこにでもあるケータイよ。うちのおばはんがディズニーのファンで気に入っているおしゃれキャットのマリーの絵をいつも待ちうけにしてるから、あたしも自分で自分のことをケータイのマリーって名乗ってるの。これでもうちのおばはんには大事な相棒よ。あたしがいなけりゃ、あの人、何にもできないんだから。
朝、ジリジリジャラジャラ鳴ってあの人を起こすのもあたし。近頃はとみに忘れっぽくなってきたあの人のメモを保存してるのもあたし、天気予報から交通情報、ニュースもみんなあたしよ。この頃はTwitterやfacebookは勿論、他のSNSもみんなあたし無しにはどうにもなりゃしないのよ。うちのおばはん、もともと、生まれつき指にちょっと故障があるから沢山書くのはパソコンだけど、量が少なければケータイのほうが使いやすいらしいのね。だけど、スマートフォンじゃなくて文字の見やすいデータ通信のネットブックとあたしの二本立てにしてるのよね。なんたっておばはんだからおめめも問題なんだわさ。
話は変わるけど、うちのおばはんには今はもう無くなっちゃった日経のSNS以来のお友達が結構いるのよね。あの人たちは直接会ったことのある人が多いし、今でもオフ会なんかも盛んなのよ。
うちのおばはん、お酒飲めない人だからこの頃はちょっと引っ込んでるけど相変わらず、日記は読んだり書いたりしていてお互いの状況もわかってるの。ほんでもってこの間、京都のお友達から郵便物が届いたの。
いけずな京女さんていう、そのお友達が送ってきたのは京都大学総合博物館に行ったときのお土産で、なんかとてもめずらしいものらしいの。京大でX線調査をしたときに作られた冊子で、よそでは手に入らないんですって。“モノが語るーマリア十五玄義図”ってタイトルの薄っぺらいけど、写真がたくさん載ってるの。だけどうちのおばはんはパラパラと眺めて、そのまま机の上に重ねてあったのよ。
ところが、ついおとといよ。うちのおばはんは四谷の教会の図書館で探し物をしてたわけ。それで資料用のコピーもたくさんとってたの。新聞の記事を何行かとかだったらケータイのあたしで十分足りるんだけどさ、やっぱり、長い文章なんかはコピー機のお世話にならないと用が足りないのよね。たまたまその時に、このところ、Twitterで大阪教区の知り合いの神父様が今度高山右近の列福に向けての運動の担当になったとかいう話しがあったのを思い出したらしいのよあの人。それで高山右近の簡単な紹介はないかと探して見つけた小冊子を読んだのね。
勿論、高山右近がキリシタン大名で、キリシタン禁令のとき、フィリピンに流されたことくらいは知っていたらしいけど、高山右近がその時62歳で、フィリピンのマニラについてその40日後には亡くなっていたなんて、うちのおばはんは初めて知ったのね。なんかすっごく驚いてショックだったみたい。あの時代だもん。今と違って62歳っていったら、いいおじいさんでしょう。遠いマニラまでの船旅で疲れきってしまったのでしょうね。うちのおばはん、自分が60過ぎてて、まだまだ年をとったなんて気がしないのに、高山右近が同世代で亡くなっちゃったのがショックだったらしいわ。時代が違うんだから仕方ないじゃないのよねえ。
でもって改めて高山右近について調べ始めたらこは如何に。ここに来て、いけずな京女さんから送ってきた京大博物館の『マリア十五玄義図』と高山右近の関係が見えてきてまたびっくりしてるのよ。ほんとにうちのおばはんて物を知らないわよ。この小冊子がどういう意味を持ってるのか、やっとこさわかって読み直したりしてるのよ。京女さんに叱られそう。
まあ、そんなわけでこれから始めたいと思ってるおはなしは、この、うちのドジおばはんとあたしの毎日の中から拾ったものなのよ。どんな話になるかは始まってみなくちゃわからないわ。多分、まだ当分連載まで行かないと思うけど、首を長くして待っててね。あの人がなまけないようにあたしがお尻をたたくつもりよ。放っておくとすぐ遊び始めちゃうんだから。
ほんじゃあ、よろしくね。