時代

2010-11-15 18:10:15 | インポート
カトリック教会のオリエンス宗教研究所というところから出ている「福音宣教」誌12月号を読んだ。英(はなぶさ)神父様の連載、闇の中に輝く福音を毎月読んできたが今回が最終回だ。個人的に昔のいきさつで少々しこりがあるから、さしてかかわりたいとは思わないが、しかし、この若い司祭の洞察は実に鋭いものだと思っている。共感するところ多々あって、ずっと読んできた。

現在のカトリック教会の実情、結局のところ、今の自分自身の境遇にしてもそこに原因があるのがわかってきて、もはや文句を言っているどころではないと思っているのだ。今は文句を言っているときではない、何とかしないと大変なのだ。

教会も修道会も世間同様、高齢社会、日本経済の状況の変化の荒波に揺さぶられている現実がある。今までの経済モデルが通じなくなってきているのだ。司祭、シスターといえど生活していくための最低限の基盤は必要なのである。

思えば昔、プロテスタントの信者だったころ、若い駆け出しの牧師夫妻のもとで、貧しい生活に耐えて子供を育てながら、地域に福音を伝えようと必死に働いている姿をずっと見ていた。その後、カトリックに改宗して、出会ったのが貧しさではとびっきりだった、当時のイエスの小さい姉妹の友愛会のシスターたちだった。プロテスタントの牧師も小さい姉妹も、似たり寄ったりな生活をしていたから、この会ではわざわざ修道院に入るような必要を感じなかった。だから、小さい姉妹にはなる気がしなかったのだ。

自分が望んでいるのは神を捜し求める生活であって、そのための貧しさならともかく、貧しさ自体が目的だという会は絶対いやだと思っていた。が、なぜかそれどころではない、普通ならあるはずもないような奇妙な出来事ばかり続いて、30数年たってしまい、いまや還暦のおばはんだ。

ここへ来て、はたと周囲を見回すと、なんと今や日本は新興衰退国と呼ばれているのだとかで、まさに経済も人口も夕暮れにきているではないか。30年も40年も昔、貧しい伝道者の家庭や、小さい姉妹会で見て覚えた生き方が今ものすごく役に立っているのだから皮肉だ。けれどこの衰退期の現象、教会の情勢でもおなじなのだ。おまけに普通の世間一般の方々はまだそこに気がついていないらしいのがおそろしい。

英師は、しっかりとそれを見つめ、考えようとしている。12月号の記事は重い。twitterでさまざまな方々の考えを目にするとき、すでにファッショ的な動きは地下で始まっているのを感じないわけにはいかない。そして残念ながら英師の希望の路線にはまだまだ道は遠いのだ。司祭たち自体、全員ではないが、状況がわかっていないのではないかとさえ思えたりする。わかっていても流されるしかないときだってあるのだろう。信者としてもあまり期待しすぎていてはなるまい。
とにかく今は大変な時代なのだ。



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