旨い処探索同好会

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翻訳 003 ヤスオ・クニヨシ Yasuo Kuniyoshi その-3

2013年01月14日 12時51分01秒 | 翻訳

Winter Evening by Ernest Fiene

Nevertheless, and much to my surprise, he finally gave his consent to my coming to America all alone. I thought of the many exotic and wonderful things I would see, and when the time came to go I left without sentimentalities or tears and with a brave, adventurous spirit.



驚いた事に、そういった事情にもかかわらず、父は遂にたった一人でアメリカに来ることを承諾したのでした。 私は、これから見るであろう多くのエキゾティックで素晴らしい事に想いを巡らしていて、行くときが来ると、感傷感や涙はなく勇敢な冒険精神をもって出発しました。



訳後記:
レイトンビルは、今朝も酷く寒くて-10度Cくらいまで下がったようである。 毎日寒い日が続いているので、今回もつい雪景色のイメージを選んでしまった。

涙が無かったのは、夢でいっぱいの若いクニヨシには、目前にある両親や祖国との別れの寂しさよりも、先にある未知への憧れと好奇心のほうが強かったからなのでしょう。
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翻訳 002 ヤスオ・クニヨシ Yasuo Kuniyoshi そのー2

2013年01月13日 16時09分22秒 | 翻訳

Hudson Highlands Under Snow by Harry Wickey

America or military school was the course I had set my heart on when a boy of thirteen.
My parents did not approve of my choice, but being a spoiled only child, I aimed for the stars, not really expecting to have them. Father thought I was too young to live alone far from home, and the military school held no appeal for him since the Russo-Japanese war was then in progress.



アメリカか士官学校に行こうと私は、13才の時に心に決めていました。 両親は私の選択を認めてくれませんでした、でも甘やかされた一人っ子の私は、叶うと思っていませんでしたが、あこがれの星を目指していました。 父は私が遠くに一人で暮らすには若過ぎると考えていましたし、士官学校もそのころ日露戦争が進行中で、父親にとっては魅力的ではありませんでした。



訳後記:
どう言う訳かいざやるとなると、なかなか重い腰が上がらない、しかし案ずるより産むが易し、と言われるのでとにかく始めることにした。 今回の翻訳プロジェクトには、ページの最初にクニヨシと同時代のアーティスト達のエッチングやリソグラフを紹介して当時の雰囲気を視覚的に出そうと思ったりしている。  

13才で自分の進路を決めていたのだから、クニヨシはなかなかしっかりした子供のようである、しかし本人も語っているように現実的将来と言うよりは、少年の時の夢と言った感じだったかもしれない。

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翻訳 001 ヤスオ・クニヨシ 国吉康雄 Yasuo Kuniyoshi その-1

2013年01月11日 16時29分19秒 | 翻訳


約二年前の2010年12月30日、このブログで始めた「読書 その一 ヤスオ・クニヨシ」で、彼の1948年にニューヨークのウィトニー美術館で開かれた回顧展のカタログを翻訳した。 その時に国吉に関してリサーチをしていて随分安く手に入れたのがこの本である。 



ちょっとはたけば、カビ臭い匂いと共に半世紀以前の埃が舞い上がってきそうなボロボロの本、みるからに図書館流れの古本だが、回顧展カタログの著者ロイド・グッドリッチが、カタログの中で断片的に引用していた国吉自身の言葉が中にあったのは、みっけものであった。 



この小冊子の翻訳を去年の初めからやる予定だったのだが、何と一年遅れで始めることになった。
本の内容は、主に1940年(昭和15年)3月に国吉自身が、マガジン・オブ・アート誌に寄稿した文で、70年以上前に書かれたものだ。 それに彼の作品を白黒印刷したページが後に続く。



Yasuo Kuniyoshi と題されたハード・カバーの小さな本(幅約11.5cm、高さ15.8cm、厚さ1.2cm)は、表カバーの見開きには、カラー印刷も使われている。 裏の見開きには、同じシリーズの本で紹介された15人のアーティスト達のリストがある。 



この本が出版されたのが1945年(昭和20年)頃で、当時のアーティストを紹介した専門誌で、多くの図書館にも置かれ人気のあったオシャレな本だったのではないかと思います。 当時の人々はどの様な感覚で、この本を楽しんだのでしょうか? お気に入りの詩集のようにコートのポッケに忍ばせていたのかもしれません。


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045 日誌 新年 New Year 2013

2013年01月03日 17時14分56秒 | 日誌


新年 明けまして おめでとうございます。



日本より17時間遅れで新年を今年も予定通り無事に迎えることが出来た。



今朝も表は真っ白に凍っている,気温は華氏で22度だから摂氏で-5~6度くらいだろう。 こんな朝がもう一週間以上続いている気がする、久しぶりに随分寒い年末年始になってしまった。



今日は曇りの天気予報だったが、雲のおかげで素晴らしい朝焼けが見られた。 ひょっとすると雪になるかなと思ったが、夕方までに一度パラッと来た程度だった。 



今年も又、希望と期待に満ちた素晴らしい年にしたいものだ。 新しい出会いもあるだろう、どんな新しい経験を積み重ねられるか楽しみである。


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