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旨い処探索同好会

アトリエ葉神 公式 ブログ・サイト

翻訳 011 ヤスオ・クニヨシ Yasuo Kuniyoshi その-11

2013年01月22日 12時33分07秒 | 翻訳

Quiet Day by Stow Wengenroth

The thought of painting brought back memories of the first Western painting I had ever seen, when a boy of six or seven. It was a realistic panorama of a battle scene. It stirred me greatly because it was so real and life-like, a factor that I had not been aware of in the works of art that surrounded my childhood. Here was something that was more than decorative and dignified.



絵のことを思うと、6才か7才の少年の時に初めて見た、最初の西洋式絵画の事を思い起こします。
それは写実的な戦場場面のパノラマでした。 その絵は、子供の頃に回りにあった芸術作品を知らなかった私には、ものすごくリアルで生きているようで、私に大変大きな衝動を与えました。 そこには装飾や威厳以上の何かがありました。



訳後感:
思うに、人生の折り返し点を過ぎる頃から、毎日の時間の経つのが少しずつ早くなって行くように感じられます。 まだやりたいことが沢山あるので、うかうかしていられません。

ここ数年の間に地震、津波、原発事故、領土問題、政権交代と日本も大きく変化をしようとしているように思えます。 世界的にも金融関係、エネルギーや食料関連の問題は今も多く解決出来ていません、今後が注目されています。 いつも言っている事ですが毎日が激動の時代です、訳もなく又そんな事を思ってしまいました。
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翻訳 010 ヤスオ・クニヨシ Yasuo Kuniyoshi その-10

2013年01月21日 11時32分38秒 | 翻訳

Lonesome Road by Thomas Benton

I guess the sun and the warm climate made me more cheerful for I was resigned to stay and not to go back home. Still I never thought of becoming an artist or of staying as long as I have. It was only after entering public school that one of my teachers suggested and encouraged me to go to art school. I had always liked pictures and so I thought it was a good idea.



私は、家に帰らないで滞在を甘んじていても、太陽と暖かい季候のおかげで、より元気になりました。
それでも私は、こんなに長く滞在したり、アーティストになると思ってもいませんでした。 それはパブリック・スクールに入学して、先生の一人が私に美術学校へ行くことを奨励してくれた後でした。
私は、いつも絵が好きでしたし、良いアイデアだと思いました。



訳後感:
今日は月曜日だが、マーティン・ルーサー・キング・ジュニアの日で休日である。 オバマ大統領の二期目就任の宣誓があった。 NFCのサンフランシスコ49ナースがアトランタ、ファルコンスを28-24の大逆転で破り、久しぶりのスーパー・ボールの出場が決まった。 相手は28-13でニューイングランド、ペートリオッツを破ったバルティモァーのレーヴンスだ。 大相撲初場所は、中日が終わって横綱日馬富士が全勝で折り返し、一敗で横綱白鵬が追う展開。
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翻訳 009 ヤスオ・クニヨシ Yasuo Kuniyoshi その-9

2013年01月20日 11時18分59秒 | 翻訳

Grapes in a Bowl by Yasuo Kuniyoshi

I landed a small job shortly afterward scrubbing floors in an office building in Seattle and went to mission school to learn to speak English. I saved up enough money during that period and when the weather got cold and rainy I went to Los Angeles.



その後、暫くしてシアトルのあるオフィス・ビルの床を磨く仕事に有り付きました、そして英語を話すことを学びにミッション・スクールに通いました。 私はその間に充分なお金を蓄えました、そして天候が寒い雨季になるとロス・エンジェルスに行きました。



訳後記:
ここでも、さっさと冷たく濡れたシアトルを後にして暖かくてより可能性のある南へ移る決断は早く、そしてそれを行動に移すことが出来たのは、若い頃からクニヨシが聡明であったことを示していると思います。
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翻訳 008 ヤスオ・クニヨシ Yasuo Kuniyoshi その-8

2013年01月19日 11時27分42秒 | 翻訳

Water Front by Charles Locke

I've never forgotten the feeling of sitting day in, day out in the harbor watching the big boats go by and eating peanuts. It was the first taste of peanuts I had in this country and I've never eaten them since.



私は、明けても暮れても港に座って、大きな船が行き交うのを眺めながら、ピーナッツを食べた時の気持ちを決して忘れません。 それはこの国で最初のピーナッツの味でした、私はそれ以来ピーナッツを一度も食べていません。



訳後記:
このシーンは、サンフランシスコ湾で同じような境遇をブルースにして大ヒットした、オーティス・レディング(Otis Redding)のヒットソング、ドック・オブ・ザ・ベイ(The Dock of the Bay)を思い浮かべます。 YouTube Link: http://www.youtube.com/watch?v=UCmUhYSr-e4

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翻訳 007 ヤスオ・クニヨシ Yasuo Kuniyoshi その-7

2013年01月18日 12時00分40秒 | 翻訳

New England Scene by Andrew Butler

After two days of sweeping out the roundhouse, carrying buckets of water and sleeping on a wooden bunk without any mattress, I went back to Seattle. This was my first smack of America and it left me shattered. I began to long for home, but I had been so brave when I first landed here, that I had sent all the money I had back to father and told him that I was in a country where there was lots of money and so I didn't need it. I was stranded and so blue. I would have gone back if I had any funds after being here only a month.



円形機関車庫の掃き掃除をしたり、バケツ一杯の水を運んだり、マットレスも無い木の寝台に寝たりした、二日後にシアトルに戻りました。 これがアメリカで最初のビンタでした、そして私を粉々にしてしまいました。 家に帰りたくなりましたが、初めてここに着いた時は怖いもの知らずで、父親にお金がたっぷりある国にいるので必要ないと伝えて、私は持っていた全部のお金を父に送り返していました。 私は立ち往生し、沈んでいました。 アメリカに着いてたった一ヶ月後、もしお金があったら帰っていたでしょう。



訳後記:
クニヨシにとって最初のホームシックなのでしょう。 遠い異国にたった一人、甘やかされて育った17才の一人っ子には無理もありません。 しかしここで帰らなかったことが彼の後の人生に大きく影響したのでしょう。
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翻訳 006 ヤスオ・クニヨシ Yasuo Kuniyoshi その-6

2013年01月17日 11時33分47秒 | 翻訳

Along the Hudson by Arnold Blanch

Unable to speak but a few monosyllables in English, with no friends or any experience, it was far from easy at first. I realized more than anything that I had to earn a living before I could go to school to learn English. I got a job working in a railroad yard in Spokane, through the good services of the hotel manager at a Japanese hotel where I was staying in Seattle.



少しの一音節単語しか喋れない英語、友達もなく何の経験もなく、最初は簡単ではありませんでした。
私は学校に英語を学びにいく前に、何よりも先ず生活をして行かなければならないと解っていました。
シアトルで滞在していた日系ホテルのマネージャーのはからいで、スポーケーンの鉄道操車場で働く仕事に有り付きました。



訳後感:
クニヨシの渡米した頃には、日本からのシアトル経由でアメリカに移民した人も多くいただろう。
今より大らかな当時の事ではあるだろうが、若いクニヨシの行動力はたいしたものである。

毎日氷点下5~6度の朝が続くと、0度を越える朝が来ると幾分暖かく感じる。 とにかく寒くて外では何もしたくない日が続いている。
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翻訳 005 ヤスオ・クニヨシ Yasuo Kuniyoshi その-5

2013年01月16日 12時42分40秒 | 翻訳

Winter in the Catskills by Doris Lee

My dreams of America and actually seeing America were two totally different things. I thought nothing of money, expecting to pick it up practically from the streets.



私の夢にみたアメリカと現実に見たアメリカは、二つの全く違ったものでした。 私は、実に路上から拾えるだろうと思い、お金のことは、考えてもいませんでした。



訳後記:
この辺は、相変わらず寒い日が続いている。 大相撲初場所も前半戦からもう荒れ模様、これからも面白くなりそうだ。

「若いうちは、買ってでも苦労をしろ」なんて理不尽な事を昔の人は言ったが、ティーンエージャーの夢と冒険心は、限られた現実認識ゆえの無謀さと言うか、いつの時代も同じようである。 しかしクニヨシの金銭に対する感覚は17才の少年とはいえ、かなり無頓着なものだったようだ。
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翻訳 004 ヤスオ・クニヨシ Yasuo Kuniyoshi その-4

2013年01月15日 11時24分48秒 | 翻訳

Siesta by Wanda Gag

I had no definite plans when I arrived on the West Coast in September, 1906 - a vague idea that I should like to stay two or three years, learn to speak English fluently and be able to translate English into Japanese. Then, all polished, return home.



1906年(明治39年)、9月に西海岸についたとき私にたいした計画などありませんでした、
2~3年は滞在して、英語を流暢に話せるよう学んで、英語を日本語に翻訳出来るようになればと言う曖昧な考えでした。 そして、全てに磨きをかけて、日本に帰る。



訳後記:
今週末頃には、この寒波も和らぐ予報であるが、毎日寒い日が続いている。 そこで暖かそうに気持ちよく寝ている猫の絵を選んでみた。 我が家の犬小屋にも藁をいっぱい敷き詰めているのでぬくぬくと気持ちよいのであろう朝日が射して暖かくなるまで起きてこない。

訳者が1970年9月に渡米した時には、1ドルが360円の頃で当時の大蔵省に外貨を要請するため書類を提出したのを覚えている。 17才のクニヨシが、渡米した当時の為替レートは幾らぐらいだったのだろう? 船の予約や明治政府のパスポート、アメリカのビザをどうやって手に入れたのか興味ある処だ。
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翻訳 003 ヤスオ・クニヨシ Yasuo Kuniyoshi その-3

2013年01月14日 12時51分01秒 | 翻訳

Winter Evening by Ernest Fiene

Nevertheless, and much to my surprise, he finally gave his consent to my coming to America all alone. I thought of the many exotic and wonderful things I would see, and when the time came to go I left without sentimentalities or tears and with a brave, adventurous spirit.



驚いた事に、そういった事情にもかかわらず、父は遂にたった一人でアメリカに来ることを承諾したのでした。 私は、これから見るであろう多くのエキゾティックで素晴らしい事に想いを巡らしていて、行くときが来ると、感傷感や涙はなく勇敢な冒険精神をもって出発しました。



訳後記:
レイトンビルは、今朝も酷く寒くて-10度Cくらいまで下がったようである。 毎日寒い日が続いているので、今回もつい雪景色のイメージを選んでしまった。

涙が無かったのは、夢でいっぱいの若いクニヨシには、目前にある両親や祖国との別れの寂しさよりも、先にある未知への憧れと好奇心のほうが強かったからなのでしょう。
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翻訳 002 ヤスオ・クニヨシ Yasuo Kuniyoshi そのー2

2013年01月13日 16時09分22秒 | 翻訳

Hudson Highlands Under Snow by Harry Wickey

America or military school was the course I had set my heart on when a boy of thirteen.
My parents did not approve of my choice, but being a spoiled only child, I aimed for the stars, not really expecting to have them. Father thought I was too young to live alone far from home, and the military school held no appeal for him since the Russo-Japanese war was then in progress.



アメリカか士官学校に行こうと私は、13才の時に心に決めていました。 両親は私の選択を認めてくれませんでした、でも甘やかされた一人っ子の私は、叶うと思っていませんでしたが、あこがれの星を目指していました。 父は私が遠くに一人で暮らすには若過ぎると考えていましたし、士官学校もそのころ日露戦争が進行中で、父親にとっては魅力的ではありませんでした。



訳後記:
どう言う訳かいざやるとなると、なかなか重い腰が上がらない、しかし案ずるより産むが易し、と言われるのでとにかく始めることにした。 今回の翻訳プロジェクトには、ページの最初にクニヨシと同時代のアーティスト達のエッチングやリソグラフを紹介して当時の雰囲気を視覚的に出そうと思ったりしている。  

13才で自分の進路を決めていたのだから、クニヨシはなかなかしっかりした子供のようである、しかし本人も語っているように現実的将来と言うよりは、少年の時の夢と言った感じだったかもしれない。

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翻訳 001 ヤスオ・クニヨシ 国吉康雄 Yasuo Kuniyoshi その-1

2013年01月11日 16時29分19秒 | 翻訳


約二年前の2010年12月30日、このブログで始めた「読書 その一 ヤスオ・クニヨシ」で、彼の1948年にニューヨークのウィトニー美術館で開かれた回顧展のカタログを翻訳した。 その時に国吉に関してリサーチをしていて随分安く手に入れたのがこの本である。 



ちょっとはたけば、カビ臭い匂いと共に半世紀以前の埃が舞い上がってきそうなボロボロの本、みるからに図書館流れの古本だが、回顧展カタログの著者ロイド・グッドリッチが、カタログの中で断片的に引用していた国吉自身の言葉が中にあったのは、みっけものであった。 



この小冊子の翻訳を去年の初めからやる予定だったのだが、何と一年遅れで始めることになった。
本の内容は、主に1940年(昭和15年)3月に国吉自身が、マガジン・オブ・アート誌に寄稿した文で、70年以上前に書かれたものだ。 それに彼の作品を白黒印刷したページが後に続く。



Yasuo Kuniyoshi と題されたハード・カバーの小さな本(幅約11.5cm、高さ15.8cm、厚さ1.2cm)は、表カバーの見開きには、カラー印刷も使われている。 裏の見開きには、同じシリーズの本で紹介された15人のアーティスト達のリストがある。 



この本が出版されたのが1945年(昭和20年)頃で、当時のアーティストを紹介した専門誌で、多くの図書館にも置かれ人気のあったオシャレな本だったのではないかと思います。 当時の人々はどの様な感覚で、この本を楽しんだのでしょうか? お気に入りの詩集のようにコートのポッケに忍ばせていたのかもしれません。


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