
今日は朝から洗濯をした。千手での片付けや庭仕事で汗をかくことが多く洗濯ものがたまっていた。新しいあとり絵が決まって以来、しょっちゅう千手に行って片付けや庭の草抜きや剪定をやっている。

なにしろ岡山に帰ってきて以来余り肉体労働をしていなかったので、体が相当なまっていて思ったように仕事がはかどらない。

なにわともあれ去年の11月末にレイトンビルから帰ってきて暫くは寒くて何もできなかった。35年以上カリフォルニアで暮らしていたのだから、岡山に帰ってきての生活にアジャストするには少々時間がかかった。

それに加えてそのまま2024年の年の暮れに入ったのだから、カルチャーショックと共に唯毎日に対応するだけで精一杯のような感じであった。

全てのことに追われて、土地の売却を進めながら片付けと引っ越しを自転車操業のようにこなしていて当時はよくわからなかったけれど大きな変化のときであったのだ。

その後土地のバイヤーが決まるとアリソンとメリサとのメールで手続きに追われデスクワークで運動不足になってしまっていた。それに加えて今年の2月20日に大阪の領事館に行くまでは、シティーライフの便利さと日本食の美味しさを満喫することで忙しかった。

2024年5月13日に10エーカーをマーケットに出していらい色々あった。いろんな人が見に来てその間、土地の片付けや整理に追われた。なにしろ人生で最も大きな買い物、売り物にかかわることなので少々戸惑ったが、全て初めてで興味深い経験をさせてもらった。

今振り返ってみると我ながらよくやったと思う。いづれにせよ大きな転換期であったのは間違いない、後で振り返って見てやっとそう感じるのだが、やっている最中はただ単に現実に対処していくのがやっとであったように思われる。

ほぼ9か月に渡ったレイトンビルの20エーカーの売却の件も片付くと、何時までも車を借りているわけにはいかず、軽4の購入となりOK氏に一台調達してもらった。その間新しいアトリエ用の古民家を探すのにも結構忙しかった。レイトンビルに居た頃から日本の古民家の話はネットではポピュラーで、空き家は英語でも”Akiya”で通じるほど良く知られているように思えた。

新しくアトリエをさがすことも人生何度もやることではないビッグイベントであったが、ただもくもくと作業を続けるだけで、毎日が過ぎていったような感じが今振り返って見るとする。

レイトンビルの土地も古いダットサン770のステーションワゴンで北カリフォルニアの町を探したが、今回は日本の軽四で岡山県南部の玉野、宇野の近辺や吉備高原辺りも調べてみたが、なんとなく牛窓辺りが岡町からも近かったし雰囲気が気に入った。

千手の良チャンが近で岡本家の新屋が売りに出ていると教えてくれたので見に行った。山の中腹にあって周りは山に囲まれていてホトトギスが鳴いていた。古民家はかなりのサイズの平屋で床が抜けたりしてそうとに酷い状態であったが、周りは緑の自然でいっぱいで気に入った。

不動産屋に連絡して見に行きたいと伝えると、もうすでに先約か二件あってそのあとならということだったので、もしその話が流れたら見に行くということになった。 この時点では残念ながら折角気に入った処が見つかったのに手に入る可能性は余りなかった。

最初の人は東京からの人でスグに流れたらしいので不動産屋から連絡が来たが次の大阪からの人が決まりそうで、もしその件がダメだったら連絡をしてくることになった。その間別の牛窓近辺の物件を見に行ったが千手の物件程気に行った場所はなかった。

やっぱり駄目なのかなと非常に残念に思ったけれど、何故か大阪の人も諦めたようでお鉢がまわってきた。 平屋の古民家は可成り広くてアトリエには文句のないスペースであったが、リフォームには相当の費用がかかりそうであった。 前の二組も多分その点が問題になって流れたのだろうと感じたが、しかしこれだけの自然の好環境はお金では買えないと思った。

なんだかんだで購入の手続きを進めることになったが、古民家のほかにもあっちこっちに土地があって、田んぼや畑に牧場や山林と全部合わせるとなんと合計8.5エーカー位一緒に宅地と共についてきた。

一瞬にして大地主になってしまった。レイトンビルの10エーカーと比べると少し狭いが、小さなバレーを超えて家の前の山の大部分が我が家の前に土地がついているので大きな前庭の感じで景色も良かった。

そんな訳で田畑山林とう片付けるには軽トラが必要になってきたので、OK氏にお願いして格安の軽トラを調達してもらった。 リョウちゃんに四駆にしろよと言われていたので4WDにした。

結構古いけれど以前のアルトの時と同じで、なかなか素敵な車を選んでくれたので大変気に入っている。シルバーのスズキ・キャリーの軽トラックで7万キロ程の走行距離で状態は頗る良かった。
