「お葉というモデルがいた 夢二、晴雨、武二が描いた女」 晶文社 19960620 2刷
「”きよのさん”と歩く江戸六百里」 バジリコ株式会社 20070322 初版第2刷
海月書林の市川慎子さんのブログで紹介されていた書籍「”きよのさん” と歩く江戸六百里」
岩波文庫から再販されているのを買おうとして、いやいやと図書館検索。
図書館所蔵の基本、ハードカバーで在庫有。
東北地方の豪商の家付き娘だった三井きよのは17歳の時に婿を取り、
翌年には娘を産み、息子を産み、31歳の時に女の身でありながら、
召使と付き添いの男二人を従えて、酒を飲み時には遊女を侍らせるという豪遊っぷり。
男尊女卑で身分制度が甚だしかった江戸時代に…金金金、マニーの力はすごい。
「お葉というモデルがいた」
竹久夢二を惑わせた女みたいな評され方をしていた「お葉」こと佐々木カネヨ、
12歳から美術学校のヌードモデル、責め絵の伊藤晴雨の愛人になり、
17歳で夢二と出会い、それからの5年間、同棲妊娠出産(死産)、
そして、別離、復縁、絶縁と激しい20代前半…。
落ち着いたのは3歳年上の医者と結婚した27歳の時、以来表舞台から去り、
消息は途絶える。
…50年近く経って、藤島武二の回顧展に夫婦二人で姿を現して、
その後、カネヨは76歳で死亡している(76歳になった老人のカネヨの写真有)
10代のうちに2度流産しているカネヨはその後、妊娠することはなかった?のか
子供はいないものの離婚もせずに添い遂げたようです…。
カネヨが字が書けなかったことと、本人が望まなかったことで、
27歳から76歳で死ぬ50年間の生活については触れられず。
そこはやっぱり、突っ込んで書いてほしかったです。尻切れトンボみたいでどうもスッキリしない。
夢二と暮らしていた間に、夢二が自分好みの衣装を着させポーズを取らせ、
写したカネヨの写真やデッサンもいっぱいあったはず、責め絵は好かないけれど
晴雨が描いたカネヨとか掲載してほしかった。
千の言葉よりも、一枚の写真がカネヨという存在を確かなものへとすると思う、
彼女はモデル、モデルは自分の肉体(表情視線仕草)ですべてを表現する。
夢二も中原淳一(バイじゃなくて、ゲイだよね。芦原邦子になりたかった男)も、
大概な男だわー。ほんと、嫌だなー。