はばかりさま

日常生活など諸々の自己満足日記、
マイブームは「スウィンギンロンドン60'&昭和40年代」です。

図書館本 あさのあつこ「殺人鬼の献立」「大好きだった少女マンガ 70年代篇」他

2016-08-06 | 

あさのあつこ「殺人鬼の献立」
…シリーズ物の2個目で話がちと分からない。可もなく不可もなくつまんない。 

大好きだった!少女マンガ 70年代篇
…作品の書影を掲載するならば当時の単行本にして欲しい。絶版でないのなら余計に表紙だけでも見たい。
当時物と文庫本のごった掲載で分かりにくい。いまひとつ。

山田登世子『「フランスかぶれ」の誕生』 「明星」の時代1900-1927
…とりあえずほへぇ。

中野翠「この素晴らしき世界!?」 
…68歳なのに自分だけは若いつもりで、多分同年代の人なのに一緒にしないで!って。
あと、犬猫を豪雨の時に抱えてた人をテレビ中継で見て、賛同してるのがどうも。
老いて切れ味悪いのと自分たちの世代が、
今の政治と国会議員たちを選出したことに気づいてないってのが馬鹿だろうって思う。
あんたらや、今の日本作ったんは!反省しろよ。 読んでて腹が立つな。
1点だけ、共感したのが、湯川氏の自業自得っていうところ、その通りでしょう。
美輪明弘を三輪って誤字しているが、校正の人?担当者は気づいてないの? 


図書館本 古川緑波「ロッパ日記代わり手当たり次第」

2015-09-30 | 

古川緑波「ロッパ日記代わり手当たり次第」 河出書房出版 20150422

横山エンタツ花菱アチャコ榎本健一と並ぶ大正昭和の喜劇(演芸)のスターであり、
この4人の中では一番、凋落ぶりが激しい人じゃないかと思われ…。

大体が、男爵加藤照麿の六男として生まれ、嫡男以外は全て養子に出すという
家訓らしいけど多分貧乏貴族の上手い生き残り法というか言い訳ですな…。

(浜尾)四郎:子爵浜尾新の養子(浜尾実侍従長の父) 弁護士、小説家
(京極高鋭)鋭五:子爵京極高頼の婿養子 音楽評論家
(古川緑波)郁郎:静岡県氏族古川武太郎の養子、コメディアン
七朗:新潟県人増田義一の養子 東京帝国大学史書書誌学者


緑波は、実父の妹の婿(義理の叔父)、元陸軍中将古川宣誉の長男で
満鉄役員の古川武太郎の養子になり早稲田大学へと進み早熟の天才と
持て囃されてその気になってずるずる芸人に…で、
でも養子先は裕福ではあるものの、爵位の無い家で、平民ですよね。
他の兄弟は子爵家だったり、はたまた仕事も検事や学者だとかになっていて
本人は良い養父母で愛情をかけてもらったと書いてはいるけれど、
軽妙な文章中にチラリチラリと見える自分は他の人間とは違う!という
他者への見下し感というか、でも兄弟への「嫉妬」や
華族の生まれなのに芸人の職についているという屈辱感が
根深かったんだなぁと思いました。
貴族の生まれだからお金に対して執着心を出すのは憚られ
(かなりお金にうるさかったみたいですが、でも浪費家で大雑把)
その鬱憤がすべて食欲というものにいったのかしら、と。

ようは自分を捨て切れない、アホになれなかったから売れなくなった
戦後はしんどかっただろうなぁと思います。 


図書館本 中野翠「晴れた日に永遠が見える」

2015-04-25 | 

毎年図書館で借りてるけれど、年々、クオリティというか内容がしょぼくなっていく、
これが加齢による劣化いや、老化現象というものなのか、もうなんというか。
内容が内向き内向きで本当にわざわざ週刊文春で連載するような内容ではない…。
67歳お独り様(でギスギスした女)のただの日記なのよね。
切れ味も何も無くて、読んでて淋しい。

割烹着のことをかっぼう着でもなく、
カッポー着、「ら」ぬき言葉よりもこういった単語の表記をきちんとしてほしい。
 


図書館本 クリス松村「『誰にも書けない』アイドル論」

2015-04-23 | 

小学館新書 20140806初版第1刷

MBSラジオ「レッツゴーヤンヤン」を4週(1ヵ月)も聴けば
この本の内容はすでに頭に入ってます…。
目新しい内容は無く、番組内で早口でまくし立てられていた
売り上げ等の数字が紙面で確かめられるのとジャケットや
ブロマイド写真が掲載されているその2点だけかなー。
内容的には微妙です。


図書館本 廓正子 「なにわ華ものがたり 中川絹子 桂米朝と一門を支えた半世紀」

2015-04-18 | 
廓正子「なにわ華ものがたり 中川絹子 桂米朝と一門を支えた半世紀」 淡交社刊 200407

産経新聞夕刊に連載されたものをまとめたもので、
大阪・天満菅原町の乾物問屋に生まれた桑田絹子(後の桂米朝夫人)。
昭和十五年、周囲の猛反対を押し切ってというよりも、
宝塚歌劇団に合格した生徒がいてファン同士の対抗心から、
上級生が勝手に応募してしまい受かる筈がないと思っていたOSSK(大阪松竹少女歌劇団、のちのOSK)に合格。
舞台名を駒ひかる、ダンスが得意で上級生の京マチ子のバックで踊ったことなど、
当時の写真が掲載されてあり、華やかな大大阪時代が垣間見られます。
しかしこの時代についてはあまり頁を割かれておらず残念です。

戦時中は慰問をしたりできちんと退団手続きをしないままに退団。
戦後、「駒ひかるとミリオンショウ」というグループ(ダンサー数人と)で
各地をドサ回りしているうちに家付き娘で10歳下の絹子の母に入り婿した
(絹子が帰って来る時は遅くともずっと待っていた優しい)父親の急逝。
その後、ドサ周り中に出会った無名の(若き日の)落語家桂米朝こと中川清との出会い、
それがいつの間にやら交際…。この部分だけでも朝ドラになるお話です。

桂米朝は実家は姫路の九所御霊天神社の神主の家系で旧制姫路中学後、
大東文化学院へと進んでいたが敗戦で大学を中退、会社員になり落語や上方文化を研究、
が、正岡容に上方落語の危機を訴えられて、落語家になる。
昭和29年に出会い、4年後に結婚。両人とも33歳と当時としてはかなりの晩婚。
新婚当初から、内弟子として1人目、奇人の桂枝雀、2人目、野人の朝丸(現、ざこば)と同居。
枝雀の死去(自殺)については記載が少なく、10何人かの弟子について今はこうしてる
ああしてるなどが書かれてるくらいで、枝雀で落語を知った私としては、すごく淋しい。
長男は桂小米朝(今の米團治)として落語家に、双子の次男三男は兵庫県庁に勤務の公務員と堅気の職。
幼少時の写真、婚礼の写真が掲載されていますが、本当に3人とも男前ですね。

脳梗塞になられて以来、(転倒して骨折、再度の脳梗塞などで)入退院の報道を聞くたび
大丈夫かなと思ってましたが…とうとう…。
2014年にパーキンソン病を患われていた奥様が心不全でお亡くなりになり、
車椅子姿で見送られた米朝さん、2015年3月19日に89歳でお亡くなりになられました。

ラジオ大阪で「ありがとう米朝さん 落語特選」を4月10日(金)午後7時~5月15日(金)午後8時に放送。
10日は、犬の目、骨つり
17日は、つぼ算、池田の猪買い
25日は、鹿政談、皿屋敷
1日は、宿屋仇 
8日は、桃太郎、阿弥陀池、除夜の雪
15日は、風の神送り、天狗さばき
 
声が若い!
私が桂米朝と聞いて、思い浮かべるのは「味の招待席」ABCテレビ(TV朝日系列)
1980年~1992年まで放送されていたミニ番組。
サントリーの提供番組で、(日本料理のお高い)お店を紹介して、
ささっとできる態でお料理のレシピを上品な上方言葉でしゃべってましたっけ…。
スーツと思ってましたが、タキシード(wiki参照)でしたか!
上品なだんさんでした…(´;ω;`)
ご冥福をお祈り申し上げます。