ご近所のおばあさまが亡くなりました。
今夜はお通夜
近所の人たちとMさんの車に乗り合わせて戸塚のお寺の斎場まで
故人の娘さんであり喪主のIさんは15年ほど前にこの地に越してこられました。
我が家の地域ではあの阪神淡路大震災以来、ご近所のつながりの必要性を感じた自治会が、
隣組同志で年に一度懇親会を開くことを義務付けました。
そのおかげで、みなさんの近況がわかったり、ひととなりがわかったりで
とても有意義な集まりです。
それから15年、Iさんはちょうどそのころ越してこられたのでしょう。
お二人で仲良く出席していました。
お話を聞くと、おばあさまは私の母親と同じ明治43年生まれ
それから、なぜか親近感がわいて
母が亡くなった時も、母の分まで長生きしてほしいと心から願いました。
でも、やはりお年です。
それまでは自分のことはできてたみたいですけど、いつからか寝たきりになってしまい
娘さんのIさんがお世話をしていました。
娘さんといってもおばあさまがすでに90歳過ぎていましたから、それなりのお年なんですけど
その献身的な姿は本当に娘の鏡そのものでした。
ここ数年は介護施設からお迎えが来てデイサービスに行ったり、自宅にもヘルパーさんが
来てくれてなにかと面倒を見てくれていたようですが、夜は二人きりですから
たいへんなこともたくさんあったのではないかと思います。
たまにばったり会った時には、生意気にも励ましの言葉をかけたりしていましたが
2か月前くらいに救急車がきて運ばれて行きました。
それからは毎日バスを乗り継いで病院に通ってらっしゃいました。
1週間ほど前、家の前で偶然お会いしたので「お母さんの具合はいかがですか?」と聞いたら
「口から食べられなくなったから心配で」
<ああ、これはまずいな 時間の問題かもしれない>不謹慎にも、内心思ってしまいました。
そして一昨日、訃報が掲示板に張り出されていました。
年齢は101歳となっていましたが、実際は100歳ちょうどです。
そして今夜、お通夜でした。
出席者はそれほど多くはなかったけど、あたたかい葬儀でした。
なによりIさんの、やりきった という満足げな表情が印象的でした。
帰ろうとしたら「顔見てやってください、とても100歳とは思えないでしょう」と
本当に安らかなお顔でした。最後まで娘さんと一緒で幸せな一生だったのではと
お顔を見ながらつい微笑んでしまいました。
帰りの車の中で「Iさんも一人きりになっちゃったわね」
やはりお母さんを亡くされて、今はおひとりで暮らしているMさんの実感こもった言葉が
心に染みました。
私なんかにはとても理解できない、思いやることのできない深い気持ちがこもっているように
感じました。
Iさんもしばらくはバタバタと忙しい日々でしょうが、そのあとですね。
これからの人生、ようやく自分だけのために使える時間を楽しんでもらいたい
一人になってからの生き方が、その人の真価かもしれないな、と、考えさせられた夜でした。
今夜はお通夜
近所の人たちとMさんの車に乗り合わせて戸塚のお寺の斎場まで
故人の娘さんであり喪主のIさんは15年ほど前にこの地に越してこられました。
我が家の地域ではあの阪神淡路大震災以来、ご近所のつながりの必要性を感じた自治会が、
隣組同志で年に一度懇親会を開くことを義務付けました。
そのおかげで、みなさんの近況がわかったり、ひととなりがわかったりで
とても有意義な集まりです。
それから15年、Iさんはちょうどそのころ越してこられたのでしょう。
お二人で仲良く出席していました。
お話を聞くと、おばあさまは私の母親と同じ明治43年生まれ
それから、なぜか親近感がわいて
母が亡くなった時も、母の分まで長生きしてほしいと心から願いました。
でも、やはりお年です。
それまでは自分のことはできてたみたいですけど、いつからか寝たきりになってしまい
娘さんのIさんがお世話をしていました。
娘さんといってもおばあさまがすでに90歳過ぎていましたから、それなりのお年なんですけど
その献身的な姿は本当に娘の鏡そのものでした。
ここ数年は介護施設からお迎えが来てデイサービスに行ったり、自宅にもヘルパーさんが
来てくれてなにかと面倒を見てくれていたようですが、夜は二人きりですから
たいへんなこともたくさんあったのではないかと思います。
たまにばったり会った時には、生意気にも励ましの言葉をかけたりしていましたが
2か月前くらいに救急車がきて運ばれて行きました。
それからは毎日バスを乗り継いで病院に通ってらっしゃいました。
1週間ほど前、家の前で偶然お会いしたので「お母さんの具合はいかがですか?」と聞いたら
「口から食べられなくなったから心配で」
<ああ、これはまずいな 時間の問題かもしれない>不謹慎にも、内心思ってしまいました。
そして一昨日、訃報が掲示板に張り出されていました。
年齢は101歳となっていましたが、実際は100歳ちょうどです。
そして今夜、お通夜でした。
出席者はそれほど多くはなかったけど、あたたかい葬儀でした。
なによりIさんの、やりきった という満足げな表情が印象的でした。
帰ろうとしたら「顔見てやってください、とても100歳とは思えないでしょう」と
本当に安らかなお顔でした。最後まで娘さんと一緒で幸せな一生だったのではと
お顔を見ながらつい微笑んでしまいました。
帰りの車の中で「Iさんも一人きりになっちゃったわね」
やはりお母さんを亡くされて、今はおひとりで暮らしているMさんの実感こもった言葉が
心に染みました。
私なんかにはとても理解できない、思いやることのできない深い気持ちがこもっているように
感じました。
Iさんもしばらくはバタバタと忙しい日々でしょうが、そのあとですね。
これからの人生、ようやく自分だけのために使える時間を楽しんでもらいたい
一人になってからの生き方が、その人の真価かもしれないな、と、考えさせられた夜でした。