パソコン修理中の出来事です。
お彼岸休日の真ん中の平日、静岡に行ってきました。
用事は2件、まずは来年成人式を迎える孫のために、姪の着物を借りることと、その確認
確認と言うことは、本人が必要、
「新幹線に乗るの何年振りかなあ?」
どこに行くのも車の親でしたから、中学校の修学旅行以来?
ばーばはあなたと一緒はあれ以来ですよ・・・小学校卒業時の記念旅行・・☆
もう6年半も経ってしまったのね。
まだぎりぎり私の方が背高かったけど、今では見下げられています(笑)
実家に行くのも5年ぶりくらい、
いきなり「大きくなったねえ」って、もしもし、もう大学2年生なんですけど
実家の義姉が用意してくれてあった振袖、
実際見る前には「クリーム系?それって変色してそんな色になっちゃたんじゃないよね」
なんて、ふざけたことを言っていましたが
実物を掛けてもらって
「思ってたのと全然違う、すごく気に入った」そうでしたか、それはよかった
今年56歳になった姪が20歳の時に作った振袖です。
今は亡き母の見立てです。
手描き友禅です。刺繍とかきらびやかさはないけど、上品で優しい色遣いの花柄は
とても36年経っているとは思えません。
実はこの振袖のこともあって、着物の整理、タンスの買い替えとなったわけです。
足袋以外はすべて揃っています。よかったね、成人式が楽しみです。
そして、もう一つの目的、入院中の姉の見舞いです。
入院もすでに3か月が過ぎました。
一時は、これ以上延命治療は、本人も望んではいないし、苦しい思いをさせるくらいなら
静かに幕を引かせてあげたほうが・・と、姪から悲壮な電話がありました。
私たちも覚悟しました。
ところが・・なんという生命力か、無理かもしれないという治療が成功し、その先に進むことができて
最悪から脱出できたのです。
ちょうどリオオリンピックと高校野球が始まった頃の事
個室でしたが、集中治療室でしたからテレビは無い
すると
「オリンピックと高校野球が見たいからテレビを運んでほしい」と看護師さんにお願いしたそうです。
そのころからめきめき症状がよくなってきたとのこと
もう驚くばかりでした。
しかし、そうはいっても年齢的に厳しいことには変わりはなく、ずっと寝たきりだったこともあって
車いすにも30分~1時間くらいしか座っていられないとか
心配だったので、実家の義姉と、今回は孫も連れて病院に向かいました。
足は細くなってしまったけど、顔色もよく、頭の方はしっかりしているので
よく話します。が、入れ歯が入っていないので、時々聞き取れないこともあり
姪の通訳が必要だったり
でも、うちの孫のことはよく分かってくれました。
「まだまだこれからだからね、頑張るよ」と、さすがです。
こんなところ、亡き母に似ているな、と少し安心して
体調がよくなり次第リハビリ病棟に移動するそうです。
お姉ちゃん、頑張ってね、午前中お墓参りに行って<まだ迎えに来ないでね>って
両親と祖母に頼んできましたから
特に祖母は、初孫だった姉を可愛がっていましたから、もう少し待っててあげてね。と
念を押してきました。
慌ただしい帰省でしたが、中身は充実していました。
なにより、最近ではめったにできない、孫と二人きりでのお出かけが実現できたこと
いい思い出になりました。
お彼岸休日の真ん中の平日、静岡に行ってきました。
用事は2件、まずは来年成人式を迎える孫のために、姪の着物を借りることと、その確認
確認と言うことは、本人が必要、
「新幹線に乗るの何年振りかなあ?」
どこに行くのも車の親でしたから、中学校の修学旅行以来?
ばーばはあなたと一緒はあれ以来ですよ・・・小学校卒業時の記念旅行・・☆
もう6年半も経ってしまったのね。
まだぎりぎり私の方が背高かったけど、今では見下げられています(笑)
実家に行くのも5年ぶりくらい、
いきなり「大きくなったねえ」って、もしもし、もう大学2年生なんですけど
実家の義姉が用意してくれてあった振袖、
実際見る前には「クリーム系?それって変色してそんな色になっちゃたんじゃないよね」
なんて、ふざけたことを言っていましたが
実物を掛けてもらって
「思ってたのと全然違う、すごく気に入った」そうでしたか、それはよかった
今年56歳になった姪が20歳の時に作った振袖です。
今は亡き母の見立てです。
手描き友禅です。刺繍とかきらびやかさはないけど、上品で優しい色遣いの花柄は
とても36年経っているとは思えません。
実はこの振袖のこともあって、着物の整理、タンスの買い替えとなったわけです。
足袋以外はすべて揃っています。よかったね、成人式が楽しみです。
そして、もう一つの目的、入院中の姉の見舞いです。
入院もすでに3か月が過ぎました。
一時は、これ以上延命治療は、本人も望んではいないし、苦しい思いをさせるくらいなら
静かに幕を引かせてあげたほうが・・と、姪から悲壮な電話がありました。
私たちも覚悟しました。
ところが・・なんという生命力か、無理かもしれないという治療が成功し、その先に進むことができて
最悪から脱出できたのです。
ちょうどリオオリンピックと高校野球が始まった頃の事
個室でしたが、集中治療室でしたからテレビは無い
すると
「オリンピックと高校野球が見たいからテレビを運んでほしい」と看護師さんにお願いしたそうです。
そのころからめきめき症状がよくなってきたとのこと
もう驚くばかりでした。
しかし、そうはいっても年齢的に厳しいことには変わりはなく、ずっと寝たきりだったこともあって
車いすにも30分~1時間くらいしか座っていられないとか
心配だったので、実家の義姉と、今回は孫も連れて病院に向かいました。
足は細くなってしまったけど、顔色もよく、頭の方はしっかりしているので
よく話します。が、入れ歯が入っていないので、時々聞き取れないこともあり
姪の通訳が必要だったり
でも、うちの孫のことはよく分かってくれました。
「まだまだこれからだからね、頑張るよ」と、さすがです。
こんなところ、亡き母に似ているな、と少し安心して
体調がよくなり次第リハビリ病棟に移動するそうです。
お姉ちゃん、頑張ってね、午前中お墓参りに行って<まだ迎えに来ないでね>って
両親と祖母に頼んできましたから
特に祖母は、初孫だった姉を可愛がっていましたから、もう少し待っててあげてね。と
念を押してきました。
慌ただしい帰省でしたが、中身は充実していました。
なにより、最近ではめったにできない、孫と二人きりでのお出かけが実現できたこと
いい思い出になりました。