すみちゃんは静岡の中、高時代の同級生
彼女は町田市、私は横浜市と、それほど遠くない距離に住んでいることもあって
ほんとにたまにだけど会って近況を伝えている。
ご多分に漏れず、コロナ騒ぎでなかなか会えなかったけど、昨日、やっと再会できました。
ランチに選んだ店は、私も前から1度行ってみたかった町田市のはずれ?
”霜月亭”
最寄り駅は小田急鶴川駅です。
手前は玉川学園、一駅先は柿生ですから、町田市と川崎市の境目
そう、東京都と神奈川県の境目がここにもありました。
駅からは少し離れているので、すみちゃんの車がお出迎え、ありがたや
初めて来た人は絶対わかりづらい場所にこの建物がありました。
まわりはこんな竹藪うっそう
室内はこんな感じ、素敵です。
古民家か蔵を改造したのかと思ったら、レストランとして建てたのだそうです。
個室もあり、吹き抜けになっている分開放的なのに、落ち着きもあります。
ランチコース
昼酒はこの日もやめておきました。
すみちゃん車だったし、私だけ飲むのもね
料理が来ました。
肉苦手な私ですが、今回はヒレステーキと聞いたので、二人とも肉にしました。
柔らかくておいしかったあ!
栗ご飯の後ろにある、小鉢に入った漬物、いろんな野菜が入って絶品でした。
デザートは、ほうじ茶のムース
以上です。
先週は和食、今回はフレンチ、スープとデザート以外はお箸でいただきました。
肩がこらなくてよかった(笑)
すみちゃんありがとう!また会いましょう。
帰りは町田駅まで送ってもらったおかげで、電車のつながりもよく
日没前までには帰宅できました。
さて、やはり一言
あの会見、見るつもりはなかったけど、夕方のニュースはどこもこればかり
正直びっくりで、そのあと恐怖心が・・
まさかあんな怖いお姫様だとは思いませんでした。
もしかして愛する彼のために私が全部被るわよ・・なんてことじゃないでしょうね。
なんて書くと、これも誹謗中傷になってしまうのでしょうか。
日本人として当たり前のことを言っているつもりなんだけど
尊敬してやまなかった皇室が・・本当に残念でなりません。
でも一途なんですね。
この一途さに宮内庁もA家両親も根負けしちゃったんでしょうね。
その場にいたわけじゃないからよくわかりませんが
よくわからないことをやたらに言ってはいけませんが
これからも皇室と言えば・・と、末代まで語り草になるのでしょうか。
いつか、あの頃の国民の声は余計なお世話だったね、と、言えるように
頑張って頂きたいと思います。
彼女は町田市、私は横浜市と、それほど遠くない距離に住んでいることもあって
ほんとにたまにだけど会って近況を伝えている。
ご多分に漏れず、コロナ騒ぎでなかなか会えなかったけど、昨日、やっと再会できました。
ランチに選んだ店は、私も前から1度行ってみたかった町田市のはずれ?
”霜月亭”
最寄り駅は小田急鶴川駅です。
手前は玉川学園、一駅先は柿生ですから、町田市と川崎市の境目
そう、東京都と神奈川県の境目がここにもありました。
駅からは少し離れているので、すみちゃんの車がお出迎え、ありがたや
初めて来た人は絶対わかりづらい場所にこの建物がありました。
まわりはこんな竹藪うっそう
室内はこんな感じ、素敵です。
古民家か蔵を改造したのかと思ったら、レストランとして建てたのだそうです。
個室もあり、吹き抜けになっている分開放的なのに、落ち着きもあります。
ランチコース
昼酒はこの日もやめておきました。
すみちゃん車だったし、私だけ飲むのもね
料理が来ました。
肉苦手な私ですが、今回はヒレステーキと聞いたので、二人とも肉にしました。
柔らかくておいしかったあ!
栗ご飯の後ろにある、小鉢に入った漬物、いろんな野菜が入って絶品でした。
デザートは、ほうじ茶のムース
以上です。
先週は和食、今回はフレンチ、スープとデザート以外はお箸でいただきました。
肩がこらなくてよかった(笑)
すみちゃんありがとう!また会いましょう。
帰りは町田駅まで送ってもらったおかげで、電車のつながりもよく
日没前までには帰宅できました。
さて、やはり一言
あの会見、見るつもりはなかったけど、夕方のニュースはどこもこればかり
正直びっくりで、そのあと恐怖心が・・
まさかあんな怖いお姫様だとは思いませんでした。
もしかして愛する彼のために私が全部被るわよ・・なんてことじゃないでしょうね。
なんて書くと、これも誹謗中傷になってしまうのでしょうか。
日本人として当たり前のことを言っているつもりなんだけど
尊敬してやまなかった皇室が・・本当に残念でなりません。
でも一途なんですね。
この一途さに宮内庁もA家両親も根負けしちゃったんでしょうね。
その場にいたわけじゃないからよくわかりませんが
よくわからないことをやたらに言ってはいけませんが
これからも皇室と言えば・・と、末代まで語り草になるのでしょうか。
いつか、あの頃の国民の声は余計なお世話だったね、と、言えるように
頑張って頂きたいと思います。