日本語の「は」と「が」について。

象は鼻が長い=∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長z)}。
とりあえず「三上文法」を「批判」します。

(900)「象の鼻が長い・鼻は象が長い」の「述語論理」(Ⅱ)。

2021-05-25 15:05:49 | 象は鼻が長い、述語論理。

 ―「令和03年05月24日の記事」を、補足します。―
(01)
①{象の鼻、兎の鼻、馬の鼻}
といふ「集合」であれば、
①{象の鼻}は長い。
①{兎の鼻}は長くない。
①{馬の鼻}は長くない。
従って、
(01)により、
(02)
①{象の鼻、兎の鼻、馬の鼻}
といふ「集合」であれば、
① 象の鼻は長く、象以外(兎と馬)の鼻は長くない。
然るに、
(03)
①{兎の耳、象の耳、馬の耳}
②{象の鼻、兎の鼻、馬の鼻}
③{馬の顔、象の顔、兎の顔}
といふ「集合集合」の場合は、
最初に、
②{鼻は}で、
②{象の鼻、兎の鼻、馬の鼻}
といふ「集合」が「選択」されて、 次に、
②{象の鼻}は長い。
②{兎の鼻}は長くない。
②{馬の鼻}は長くない。
従って、
(03)により、
(04)
①{兎の耳、象の耳、馬の耳}
②{象の鼻、兎の鼻、馬の鼻}
③{馬の顔、象の顔、兎の顔}
といふ「集合の集合」であれば、
② 鼻は、象の鼻は長く、象以外(兎と馬)の鼻は長くない。
然るに、
(05)
② 象以外の鼻は長くない。
といふことは、
② 象以外の動物のある部分が長いとすれば、鼻以外が長い。
といふ、ことである。
従って、
(04)(05)により、
(06)
①{兎の耳、象の耳、馬の耳}
②{象の鼻、兎の鼻、馬の鼻}
③{馬の顔、象の顔、兎の顔}
といふ「集合の集合」であれば、
② 鼻は、象の鼻は長く、象以外の動物のある部分が長いとすれば、鼻以外が長い。
然るに、
(07)
Q:象の鼻、兎の鼻、馬の鼻。どれ長いか。
A:象の鼻長い。
従って、
(02)(06)(07)により、
(08)
象の長い≡象の鼻は長く、象以外の鼻は長くない
鼻は長い≡鼻ならば、象の鼻は長く、象以外で長いとすれば、鼻ではない
といふ「等式」が、成立する。
然るに、
(09)
① 象の鼻は長く、象以外の鼻は長くない。
② 鼻ならば、象の鼻は長く、象以外で長いとすれば、鼻ではない。
といふ「日本語」は、
① ∀x∃y{(象x&鼻yx→長y)&(~象x&鼻yx→~長y)}
② ∀x∃y{(鼻xy&象y→長x)&(~象y&長x→~鼻xy)}
といふ「述語論理式」に、相当する。
従って、
(08)(09)により、
(10)
① 象の鼻が長い≡∀x∃y{(象x&鼻yx→長y)&(~象x&鼻yx→~長y)}。
② 鼻は象が長い≡∀x∃y{(鼻xy&象y→長x)&(~象y&長x→~鼻xy)}。
といふ「等式」が、成立する。
従って、
(08)(09)(10)により、
(11)
① 象の鼻が長い。
② 鼻は象が長い。
といふ「日本語」を「分析」した「結果」が、
① 象の鼻は長く、象以外の鼻は長くない。
② 鼻ならば、象の鼻は長く、象以外で長いとすれば、鼻ではない。
といふ「日本語」であって、
① 象の鼻は長く、象以外の鼻は長くない。
② 鼻ならば、象の鼻は長く、象以外で長いとすれば、鼻ではない。
といふ「日本語」を、「述語論理式」に「翻訳」した「結果」、
① ∀x∃y{(象x&鼻yx→長y)&(~象x&鼻yx→~長y)}
② ∀x∃y{(鼻xy&象y→長x)&(~象y&長x→~鼻xy)}
といふ、「述語論理式」になる。
従って、
(11)により、
(12)
① 象の鼻が長い≡∀x∃y{(象x&鼻yx→長y)&(~象x&鼻yx→~長y)}。
② 鼻は象が長い≡∀x∃y{(鼻xy&象y→長x)&(~象y&長x→~鼻xy)}。
といふ「等式」が「書ける」やうになるためには、「その前に」、
① 象の鼻が長い≡象の鼻は長く、象以外の鼻は長くない。
② 鼻は象が長い≡鼻ならば、象の鼻は長く、象以外で長いとすれば、鼻ではない。
といふ「等式」が「書けなければ、ならない。」
然るに、
(13)
① 象の鼻が長い。
② 鼻は象が長い。
といふ「日本語」を、例へば、「英語」に「翻訳」する際に、
① 象の鼻が長い≡象の鼻は長く、象以外の鼻は長くない。
② 鼻は象が長い≡鼻ならば、象の鼻は長く、象以外で長いとすれば、鼻ではない。
といふ「分析」を行ふ「人間」は、「殆ど、ゐない」はずであって、それ故、
「和文・述語論理」と、「和文・英訳」とは、本質的に、「同じ」ではない。
然るに、
(14)
象の長い≡象の鼻は長く、象以外の鼻は長くない
鼻は長い≡鼻ならば、象の鼻は長く、象以外で長いとすれば、鼻ではない
といふ「分析」を行ふためには、
一般にあたまが柔軟であることが必要である(Flexibility of mind is generally required)。
(E.J.レモン 著、武生治一郎・浅野楢英 訳、論理学初歩、1973年、130頁改)
然るに、
(15)
① 象の鼻が長い≡∀x∃y{(象x&鼻yx→長y)&(~象x&鼻yx→~長y)}。
② 鼻は象が長い≡∀x∃y{(鼻xy&象y→長x)&(~象y&長x→~鼻xy)}。
といふ「翻訳」を行ふためには、
なんら確定的な規則があるわけでなく、量記号に十分に馴れるまでには、練習を積むことが必要である(No firm rules can be given, and practice is needed before full familiarity with quantifiers is reached)。
(E.J.レモン 著、武生治一郎・浅野楢英 訳、論理学初歩、1973年、130頁改)



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1 コメント

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昨日記させていただいた我がコメントへの反論と受け止めました。 (原左都子)
2021-05-25 18:51:34
onomameusさんがおっしゃるところの。
「和文・述語論理」と、「和文・英訳」とは、本質的に「同じ」ではない。
とのご理論には一応同意申し上げます。
というよりも、私にとって「漢文」に接しましたのは高校後半期の短期間みだった記憶があります。
ただ、こと私の経験からは、日本文を英訳するにあたり、onomameus先生が書かれている
① 象の鼻が長い≡象の鼻は長く、象以外の鼻は長くない。
② 鼻は象が長い≡鼻ならば、象の鼻は長く、象以外で長いとすれば、鼻ではない。
といふ「分析」を行ふ「人間」は、「殆ど、ゐない」はず、とのご考察を超越する部分もあると言えるからです。
翻訳作業とはまさに自分の体験の集大成であり、それらを振り絞りつつの闘いと捉える部分もあります。
その割には例えば海外実践時など、こちらに大した力量はなく、あちら(外国人の皆様)の聞き取り力にこそ依存する実態であるのが正直なところですが…
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