前回に続き、1887年6月21日に横浜で行われたヴィクトリア女王即位50年(クイーンズ・ジュビリー)祝賀行事の模様を伝える『ジャパン・ウィークリー・メイル』紙の記事を紹介する。
和訳及びカッコ書きの注は筆者による。
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その日、港には国籍の異なる19隻の船が停泊していたが、正午を合図にそれらが一斉に礼砲を放った。
この海域ではかつて聞いたこともないほどのものである。
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ロシアの軍艦は一隻のみであった。
ロシア軍の提督はヴィクトリア女王の帝国とロシア皇帝の間の友好関係を実際に証明すべく麾下の艦隊を参加させるべきところ、止む無く果たすことができず非常に遺憾であると東京の代表部を通して伝えてきたという。
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その後1時間ばかりは気温がやや高かったものの、昼過ぎからはたいてい日に雲がかかって屋外でのスポーツにはもってこいの天候となり、心地よい風にも恵まれた。
クリケット場(現在の横浜公園)にはこれまでにないほど大勢の人が集まり、子供たちは元気いっぱい大いに楽しんでいた。
東京からも多くの人が訪れ、フランシス・プランケット卿(駐日英国公使)夫妻と令嬢の姿がスポーツの祭典に花を添えた。
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プログラムは男子児童による競走、女子児童によるスキップ競走、船員による武器演習と綱引きである。
これらに並行して花火、ジャパニーズショー、アーント・サリー(パイプ落としゲーム)が繰り広げられた。
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男子児童の競走は12歳以下による第一レースからスタートした。
1位 L. イートン(11歳)、2位 G.オールコック(10歳)、3位 A.ショウ(10歳)
第二レース(12〜14歳男子).
1位 G.ブレイクウェイ(13歳)、2位 G.フード(13歳)、3位 A.ワッツ(14歳).
第三レース 二人三脚走(軍艦乗組員)
1位 軍艦エセックス(フォール、シンネ)、2位 軍艦オーダシアス(プライマー、ニール)
第四レース(7歳以下男子)
1位 J.イートン、2位 W.ヴィンセント
第五レース スキップ競走(13歳以下女子)
1位 N. スミス、2位 N. タウンリー、3位 M. ワトソン
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第六レース 綱引き(入港中の軍艦乗組員)
綱引戦では、英国優勝チームと米国優勝チーム、そして全体優勝チームに賞が与えられることになっていた。
最初の試合、ブルックリン号対エセックス号戦では後者が引き抜かれ、続くブルックリン号対オマハ号戦でも提督の船員らが再び勝利を手にして、米国艦戦で優勝し、最終戦に残ることとなった。
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英国艦隊からは、リアンダー号チームがオーデイシャス号チームと対戦して旗艦の船乗りたちが勝利し、次にコンスタンス号チームと対戦して後者が敗北したためオーデイシャス号乗組員らが英国側の優勝者となり、ブルックリン号と決勝戦を戦うこととなった。
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旗艦同士の対戦結果は米国に軍配が上がったが、英国側はすぐさま親善試合を申し込んだ。
これはその日最も白熱した試合となった。
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スタートは米国側が有利で、赤いマークを自陣の方向に数フィート引き寄せたが、英国側はヒルのように吸い付いて離れず、すぐにマークを元の位置に戻し、力を抜くことなくじりじりと相手を引き寄せ、力強い大声援に敵方までもが寛大にも声を合わせるなか、ついに失った栄冠を再び取り戻したのである。
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昼花火
天候状態は昼花火にはおあつらえ向きだった。
打ち上げられた花火はしばらく視界に留まり、日本人娘の人形が四方八方に漂いながら優雅に下降し、会場の内外に集まった大勢の日本人を喜ばせた。
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ジャパニーズショーは多くの観客を魅了した。
優れた芸人たちが次から次へと登場してジャグリングやバランス芸、そしてアクロバットなどを披露し人々を楽しませた。
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プラットとラッセルが担当した「アーント・サリー」は、若者たちに好評で、彼らは気前よく小銭を出し合って、30ドルを恒久基金(クイーンズ・ジュビリーを記念して設けられた、横浜にパブリックスクールを設立するための基金)に寄付した。
レーン・クロフォード商会、レズリー&カーティス、カーノー商会、ケリー&ウォルシュ、ノース&ライ、ベリックブラザーズ、E・ベイタス、エイトン&プラットが気前よく賞品を提供した。
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英国艦隊乗組員による武器演習ではシングルスティック戦、カトラス(刃が湾曲した剣)対ライフル戦、銃剣戦が行われ、大いに盛り上がった。
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受賞者にはプランケット嬢から賞品が授与された。
彼女が受賞者一人一人に優しく言葉がかけながら手渡すと、A・T・ワトソン氏が彼女に美しい花束を手渡しつつ「ミス・プランケットに声援を」と呼びかけた。
その声に皆が和やかに応えたところで楽しいセレモニーは幕となった。
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C.D.モス氏とA.T.ワトソン氏によるスポーツのプログラムも大成功を収めた。
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一方、当日は早々と居留地のほぼすべての建物で旗が掲揚された。
直接英国に関係する機関のみならず、友好の絆だけで英国と結びついている多くの機関の建物にも旗があげられていた。
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しかしコミュニティの装飾が最もその威力を発揮したのが夜景であったことは疑いの余地がない。
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日本の提灯によって効果的な演出ができることは容易に察せられた一方、旗を掲げることは、その持ち主の国籍を示す以上の意味はない。
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とはいえメイン・ストリートなど大きな通りには日暮れまで旗が掲げられていた。
午後になってそこに観光客が押し寄せてきたことは、この光景が賞賛に値するものだったことを十分に物語っている。
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この祝いのために数々の横断幕が掲げられていたが、ひとつひとつ説明することは控えておこう。
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中でも際立っていたのは英国領事館の飾りつけである。
英国旗はためく旗頭から地面のあいだにさまざまな色彩のランタンの列が優雅に長く伸び、その柔らかい線が光景の美しさをことさらに引き立て、一筋の鮮やかな光がカーブを描きつつ旗竿の先から領事館の建物まで延々と続いていた。
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その見事な光景を際立たせるかのように、領事館の周りに提灯の列が並び、正面玄関の上には、白地に英国の国章、その下にV.R.の文字が描かれ、それを囲むようにたくさんの灯りがともされていた。
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クラブには特大の旗が4棹も掲揚され、クラブ・ホテルやジャーディン・マセソン商会とドッズ氏の邸宅、P&O汽船の社屋ほかメイン・ストリートの多くの場所でおびただしい数の横断幕がはためいていた。
なかでもJ. W. ホール商会、レーン・クロフォード商会、ジャパン・ベール社、カーノー商会は特筆に値するものであった。
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日暮れととともに居留地中は、さまざまなデザインのイルミネーションで明るく照らされた。
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その中でも特に目を引いたのは、コッキング氏(イギリス人貿易商 現「江の島サムエル・コッキング苑」創設者)による電飾で、コッキング商会の建物の上に組まれた足場から光が放たれた。
コッキング社の社屋やドッズ氏の館をはじめとする建物の正面にはV.R.の文字と星があしらわれており、演出効果満点であった。
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ラウダー氏とウィーラー氏のデザインも注目を集めたが、前者は最も効果的であったにもかかわらず、居留地からはほとんど見えなかった。
後者は、V.R.の文字をオークと月桂樹の花輪で囲み、竪琴を模したもので、居留地の全員の目に入った。
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日中の催しもよかったが、この記念日の精神が本領を発揮したのは日暮れの頃からである。
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横浜の主だった英国人居留民全員が、東京から訪れた日本人、米国人、欧州人の友人たちに自宅を開放した。
極めて豪華に準備を整えてもてなそうとして、居留地の仕出し屋たちの資源を最大限に利用したのである。
牛肉やパンは高値で取引され、ごちそうの付け合わせに至っては、実質的に入手不可能であった。
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このような記念行事はめったにないことなので、この規模の祝賀会の参加者を収容できるような広い建物など横浜にぞんざいしないことは言うまでもない。
そのため、参加者を半々に分けて、一方をパブリック・ホールに、もう一方をイギリス海軍補給所(堀川の山手側の海岸に接した場所)に振り分けることになった。
この取り決めが発表された時に起こったざわめきのことは、いったんヴェールに包んでおこう。
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とはいえ、その時不満を鳴らした人々も当日を迎えるまでにはもはや自分が腹を立てていたことを悔いていたに違いない。
なぜなら火曜日の夕方にそこここに見られたのは喜びに満ちた顔ばかりだったのだから。
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パブリック・ホールでは芝居が上演されることになっていた。
このような時にシェイクスピアが欠かせないことは言うまでもない。
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選ばれた演目は『キャサリンとペトルーキオ(じゃじゃ馬ならし)』である。
誰かに指示されたのではなかったにしろ、ヴェローナの紳士がバプティスタの娘に対して演じたような役柄を複数の国に対して果たすことが、少なくともヴィクトリア朝時代の英国の使命であったという考えに沿った選択だったのかもしれない。
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ペトルーキオ役はベイン氏、キャサリン役はライス夫人、バプティスタ役はブリュワー氏、そしてグルミオ役はリード氏であった。
これらの役者はみな横浜の演劇ファンによく知られているので、その長所についてあれこれ述べる必要はないだろう。
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ライス夫人の女優としての実力は本物である。
身勝手なじゃじゃ馬娘が、やがて従順で愛情深い妻に変貌していく様は、アマチュアのレベルをはるかに超えており、彼女の声がこのような役に求められる水準に達していたら、完成度の高い演技になっただろう。
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ベイン氏ももちろん素晴らしかった。
彼の弁舌は間然とするところなく、ペトルーキオの向こう見ずで激しやすい気性を極めて完璧かつ徹底的に演じたため、演技とは思えないほどであった。
グルミオ役のリード氏は、おそらくシェイクスピアが意図した以上の喝采を浴び、ニール・ブリューワーはバプティスタを見事に演じきった。
他のわき役については、アイロン氏がビオンデッロの役柄をよく理解した上ではつらつとして演じていたことを除いては、特筆する必要はないだろう。
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第二の演目はシェリダンの笑劇「聖パトリックの日」であった。
それ自体はばかばかしいが、演じ方によっては救われないものでもない作品である。
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主な登場人物を演じたのはジェームズ夫人(ブリジット・クレデュラス夫人)、ベイン夫人(ローレッタ)、ベイン氏(フラスティス・クレデュラス)、リード氏(ロージー医師)、ケニー氏(トラウンス軍曹)、G・ロビンソン氏(オコナー中尉)。
この出演陣の手にかかれば芝居はもちろん成功である。
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ブリジット夫人とローレッタの言い争いは魅力的で、当時の人々らしからぬほど感情をあらわにしており、シェリダンらしいひねくったシチュエーションに強い現実味を感じさせた。
ユースティスとドクターもおなじように良い感じで、トラウンス軍曹のミレトス風の訛りは荒々しい行進曲をロマンチックな調べへ変えてしまった。
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観客は大喜びである。
歓声が何度も繰り返されたことは言うまでもない。
最後のカーテンコールの幕が上がると、女優と俳優の全員が舞台の前に進み、観客・バンドと一体となって「ゴッド・セイブ・ザ・クイーン」を大合唱した。
これ以降、その晩はこの歌声が絶え間なく繰り返されることとなった。
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帝国海軍軍楽隊が大挙して押し寄せた。
楽隊は有能な指揮者エッケルト氏(ドイツ人音楽家 1879年海軍軍楽隊教師として来日)がこの日のために見事にアレンジした曲を演奏した。
どの曲もごく自然に英国国歌に続くように編曲されており、そのたびに何百人もの声が上がって女王への忠実さがにじむ合唱となった。
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有栖川宮、北白川宮両殿下、威仁親王、三条宮両殿下、伊藤総理大臣、井上外務大臣夫妻、松方大蔵大臣、山田司法大臣、鍋島侯爵夫妻、蜂須賀侯爵夫妻、プランケット閣下夫妻に加えてドイツ、ハワイ、中国各公使、オーストリア・ハンガリー、ポルトガル、フランスの各代理大使、そしてハミルトン提督、チャンドラー提督、ラリル提督をはじめとする港に停泊中の各艦隊の将校多数が出席した。(続く)
図版:THE GRAPHIC, Aug. 20,1887 表紙
イラストは英国海軍主計少佐C. W. Coleのスケッチを基にしたエングレーヴィング
以下は各コマとそれに添えられたコメント
「不可解な問題、ドレスとは!」
左)「様々な夜会服」
(西洋夫人の真似をしてドレスを着ている日本人女性や風変わりな夜会服姿の日本人男性を揶揄)
「行き過ぎたサーチライト」
(英国軍人と日本人女性の親密な様子がサーチライトのせいで露わに)
左)「音楽の魅力」
右)「背中に英国旗」
左)「電灯のもとでは提灯は余計」
右)「プロによる批評。日本のアスリート(相撲取り)がスポーツ観戦」
参考文献:
・The Japan Weekly Mail, June 25, 1887.
・武内博『来日西洋人名事典』(日外アソシエーツ、1995)
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