シスターみみっくのなんだかわからない堂

日常のよしなしごとをつづります。正教会のお祈り、読んだ本、ハマリものなどなど。

聖枝週間水曜日

2013-04-24 23:49:03 | 正教会及び宗教全般
大斎の意味より。
三歌斎経は、「歴史的叙述」の性格をこの週間の祈祷に与え、その性格は受難週間には一層濃厚に反映される。我々はハリストスにつき従い、ハリストスと共におり、エルサレムに近づき、ラザリの復活のためにベタニヤに着き、枝の主日に聖なる都に入城し、日々刻々受難の日に迫って行く。毎日の奉事は動的に展開し劇的なリアリズムによって記憶される。日毎、我々は、ハリストスのこの世での業の最後の時に起こった出来事を、できるだけ正確に対応させて記憶していく。
このすべては、遠い過去に起こった出来事の単なる記念としてのみ考えられるべきではない。そうではなく、奉神礼的儀礼を通して、我々は「瞑想」によってこれらに与かり、これらの出来事を「再体験」するのである。我々は、時計やカレンダーで計るこの世の時間のレベルから、「奉神礼的な」もしくは「聖なる」時間のレベルへ揚げられる。すなわち我々は、永遠の垂直的次元が直線的時間へ割り込む所に移行される。この過去から現在への、記憶から現実への転換は、奉神礼書の中の、とりわけ「今日」という言葉によって表現されている。

そうそ、何つーか大斎もたけなわになってくると刻々追体験、あ、再体験て書いてあるか、してる気分になるよね。
それでちと思い出したんだけど、とある人がロシアで聖体礼儀に与って、今何やってんだかわかんなくて(みんな立ってるし後ろの方だと見えないもんね)隣のおばあさんに聞いたら「お黙り!今福音が来ているんだよ!」って言われたっていう。
この話結構インパクトありました。
「今福音書読んでるとこ」だともう全然違う。
「今、ここに、福音が来てる」んだという感覚ね。
あーこの話、前に書いたな。
でも好きなので。

土曜日のラザリのスボタに向けてラザリ大フィーチャーですな。
でも詠んでたらどーもラザリはラザリでも金持ちとラザリの喩えも混じってる?

我滅えざる火の中に我が苦しめる舌を湿す指を求めて~とか、我を太祖アウラアムの懐に納れ給へとか。

そいや「我等信者はマルファ及びマリヤに倣ひて…」と、マルファとマリヤがちゃんとどっちも信者のお手本になってるので救われます。
まあねえ、誰かがメシの支度しなきゃなんないからねえ。

金曜の先備ないので、今年は今日で例の黒い本とお別れだと思うと胸熱
受難週は引き続き三歌斎経と、受難週奉事式略の登場でございます。