時空を超えて Beyond Time and Space

人生の断片から Fragmentary Notes in My Life 
   桑原靖夫のブログ

ガリレイの生涯(2)

2009年08月08日 | 書棚の片隅から

  前回に続き、ベルトルト・ブレヒト「『ガリレイの生涯』の覚え書」から、印象に残るいくつかのフレーズを記してみたい:( )内は執筆年、数字は引用ページ

 朝のイメージも夜のイメージも誤りを招きやすい。幸福な時代というものは、ぐっすりと眠った夜のあとに朝がやってくるというような具合に簡単にはやってこないのだ。(1939年) 208

新時代の粉飾しない実像
アメリカ版への序文
 私が亡命時代の初期にデンマークで戯曲『ガリレイの生涯』を書いていた時、プトレマイオスの世界像を再構成する仕事を手伝ってくれたのは、ニールス・ボーアの助手たちであり、かれらは当時原子を破壊するという問題にとりくんでいた。わたしの意図は何よりもまず。新時代の粉飾しない実像を示すことだった―これは骨の折れる企てであった。208

 われわれが改作の仕事にかかっているまっさいちゅうに、ヒロシマで「原子時代」がデビューした。一夜にして、新しい物理学の創始者であるガリレイの伝記は違った読み方をされるようになった。巨大な原爆の地獄さながらの効果は、ガリレイと彼の時代の権力当局との葛藤にも、新たな、もっと鋭い照射をくわえることになった。われわれは、全体の構成は全く変えずに、ほんのわずかの変更を加えさえすればよかった。すでに原作(初稿)のなかでも、教会は世俗的権力として描かれており、教会のイデオロギーは他のいろいろな権力のイデオロギーと取り換えても、基本的には変わらないものに描いてあった。作品を書き始めたときからガリレイという巨大な人物のキーポイントとして、ガリレイの、民衆と結びついた科学という考え方が利用されていた。 208

 だいたい『学者』デア・ゲレルーデネという言葉には何となく滑稽な感じがつきまとう。何か「調教されたもの」というような受動的な感じがあるのだ。バイエルン地方では、人々がよく「ニュールンベルグの漏斗」ということを話の種にするが、これは一種の脳に注入する浣腸器みたいなもので、頭の弱い人間に、多少とも強制的に大量の知識を流しこむことを言う。知識を注入されても、この連中は賢くはならない。[中略]   

 「学者」は、不能で、血が通わず、つむじ曲がりの人間タイプで、「うぬぼれて」いるが、たいして生活能力のない人間だった。(1946年)

アメリカにおける上演の背景
 
知っておいてもらわなければならないのは、われわれの上演が行われた国、行われた時期が、原爆を製造してそれを軍事的に利用したばかりのところであり、、今や原子物理学が厚い秘密のヴェールに包まれてしまうという状況だったということである。原爆投下の日を合衆国で体験したすべての人にとって、この日は忘れ難い日になるだろう。[中略]

 この台本の作者は、バスの運転手や青果市場の女売子たちが、恐ろしいことだとしか話していないのを耳にした。それは勝利ではあったが、敗北のもつような恥辱をともなっていた。そのあと、軍部と政治家によって、この巨大なエネルギー源のことは極秘にされるようになり、そのことが知識人たちを怒らせた。[後略] (1947年) 210

~続く~

Reference
「渡辺謙アメリカを行く 星条旗の下で生きたヒバクシャたち」NHK 2009年8月7日

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