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   桑原靖夫のブログ

クロード・ロラン:ロレーヌ生まれの画家

2009年04月25日 | 絵のある部屋

クロード・ロラン《クリュセイスを父親のもとに返すオデュッセウス》 1644年頃、油彩、カンヴァス
Claude Cellée, dit Le Lorrain (Chamagne, vers 1602-Rome 1682)
Ulysse remettant Chryséis a son pere
vere 1944 Huite sur toile, 119x150cm,
inv 1718
Musée du Louvre
  

 東京、上野の国立西洋美術館で開催中の『ルーブル美術展 17世紀ヨーロッパ絵画』*に、クロード・ロランClaude Lorrain (Claude Gellée or Le Lorraine: Lorraine, c.1600-Rome 1682)の上掲の作品が展示されている。ジョルジュ・ド・ラ・トゥールと同時代のロレーヌ生まれの画家である。古典風景画の巨匠とされながらもラ・トゥール以上に、日本での知名度は低いのではないか。

 実はこの画家については、いくつかの点で注目してきた。先ず、ラ・トゥールとほぼ同時期のロレーヌ出身の画家であることに加えて、当時としては明らかに長寿といってよい80年近い人生を過ごしたことである。結果として、17世紀の大部分を生きたことになる。しかも、ロランはその生涯のほとんどをイタリアで過ごし、各地を旅し、カラヴァジェスキを始めとして、ヨーロッパの画壇主流の作品に触れたはずであった。その結果として、ロランが何を選んだか、興味を誘われた。

 ロランは1600年、当時はロレーヌ公国であったヴォージュのシャマーニュの町に生まれた。兄弟は5人だった。名前はクロード・ジェレが正しいが、生まれた地域ロレーヌにちなみ、愛称でロランと呼ばれていたらしい。生家は貧困で12歳の時に両親をなくし孤児となり、木版画家の兄のジャン・ジェレとフライブルグへ行った。その後、クロードは仕事を求めて1613年頃にローマへ、そしてナポリへ移った。ナポリでは1619-1621年の2年間、ワルス Goffredo(Gottfried) Wals の下で徒弟修業をしたようだ。そして、1625年4月にはローマへ戻り、かつて自分を傭ってくれた風景画家兼フレスコ画家のタッシ Augustin Tassi(ca1580-1644)の下でさらに修業した。

 ロランは、1626年には少年時代まで過ごしたロレーヌの文化の中心ナンシーで、1年近く宮廷画家クロード・デルエの工房で修業もした。カルメル会派の教会フレスコ画などを制作したとみられるが、現存していない。記録はないが、ラ・トゥールとも交流があった可能性もないわけではない。ラ・トゥールが数歳年上である。ロランは2年ほどして再びローマへ戻り、ロレーヌに戻ることはなかった。ローマの吸引力がいかに大きかったかを思わせる。

 ロランについてさらに興味深いことは、1635年頃からの制作記録が残っていることにある。贋作を防ぐために、作品制作後、自らの作品のデッサンを『真実の書』として一種の備忘録を残した。これ以前の時期については不明だが、この頃からの作品には、裏面に作品の購入者の名前も記されているらしい(通常の展覧会では作品の裏面を見る機会はまずない)。ロランは政情が安定していたローマで制作活動をしたこともあって、現存する作品も多い。画家歴約50年の間に、ほぼ200点近い制作をしたようだ。  
 

 ロランは生まれ故郷であるロレーヌを含めてイタリア、フランス、ドイツなどへ旅行した。いくつかの逸話も残っている。こうしたことから、ロランは当時のヨーロッパ画壇の主要な風を体験していたとみてよいだろう。  

 1637年頃からロランは、風景あるいは海港の景色の画家としての評判を確立した。教皇ウルバヌス8世やスペイン王フェリペ4世などの注文を受けていたことが明らかであり、著名な画家となっていた。さらに、あのニコラ・プッサンの友人となり、一緒にローマ近郊のカンパーニャを題材に古典的風景画を残した。一見すると、二人の作品にはかなり近似するものがあることを感じる。二人とも、カラヴァッジォの影響はほとんど受けていない。

 ロランとプッサンの間には、近似する要素が多いとはいえ、相違点もあった。プッサンにとっては、描かれる人物が主であり、風景は背景にすぎない。他方、ロランにとっては風景が主で、人物は副次的な扱いである。人物は自分の風景画を買ってくれた人への「おまけ」だったともいわれている。ロランは太陽の光の効果を風景画において、いかに精緻に描き出すかということを目指していたようだ。しかし、画題からも明らかなように、描かれた光景は現実の風景ではない。画家の心象風景として構築された風景なのだ。こうした制作態度から生まれたロランの作品は、古典風景画の典型として、その後の風景画家に多くの影響を与えた。今回の『ルーブル美術展』に出展されている作品も、主たる関心事は海港をあるがままに描くことを目指したものではないことが直ちに分かる。

 ちなみに、上掲作品の場面は、ホメロスの「イリアス」に基づいている。アガムメノンがクリュセイスを父親クリュセースのもとへ返すために港で見送る光景である。アガムメノンがその使命を託した男はオデュッセイスである。  

 ロラン、プッサンともに、古代ギリシャ、ローマへの憧憬が強い。そのため鑑賞する側に古典についての十分な蓄積がないと、作品主題の含意、精神性を理解することがきわめて難しい。プッサンについても同様だが、ルーブルで初めてロランの作品に接した時、作品そして画題を見ても直ちに画家が作品に込めたものを理解するに困難を感じた。今回、出展された作品についても同様であり、解題を読んだ後でも十分理解したとは言い切れない(この点については、いずれ記す機会があるかもしれない)。

 さらに、ロランについては、自らが創り出した画風の範囲がかなり限られており、生涯そのスタイルからほとんど逸脱することがなかった。しかし、その作品は古典風景画の典型として、その後の風景画家に多くの影響を残した。日本人にとっては、時に理解が難しい画題が多いが、見慣れてくるにつれて、17世紀ローマを中心とするイタリア美術界の風土、とりわけその精神世界について、新たな想像の次元が広がってくるような気がしている。



Reference
『ルーブル美術展 17世紀ヨーロッパ絵画』公式カタログ、2009年2月28日-6月14日、国立西洋美術館

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