時空を超えて Beyond Time and Space

人生の断片から Fragmentary Notes in My Life 
   桑原靖夫のブログ

あらゆる障害を乗り越えて:マルクスとエンゲルスの妻たち

2018年06月12日 | 書棚の片隅から

 

トリーア、ポルタ・ネグラ


映画『マルクス・エンゲルス』を観る。今年はマルクス生誕200年に当たり、この世界に突出して大きな衝撃を与えた人物と思想を回顧するさまざまな試みがなされている。関連した出版物も多い。マルクスは1818年5月5日、ドイツ(プロイセン)のトリーアでユダヤ人家庭に生まれている。映画の原題は、The Young Karl Marx 。監督のラウル・ペック Raoul Peck については、ブログ筆者は知らなかったが、今回の作品は失われていた記憶を少し取り戻す効果はあった。2017年、フランス、ドイツ、ベルギーの合作である。日本語版タイトルは『若き日のカール・マルクス』とした方が原題と内容に近かったのではないか。

実は、マルクス、エンゲルスの生涯を通しての人物像、時代回顧が観たかった。例えば、マルクスの晩年はいかなるものだったか。エンド・クレジットに20世紀の劇的出来事と人物像が流れるが、全体に詰め込み過ぎで忙しい印象だった。映画というメディアの限界かもしれない。

確かめたかった問題
最近のThe Economist誌「マルクス再考」'Reconsidering Marx' と題した短いエッセイに、マルクスに関する伝記は数多いが、アイザイア・バーリン Isaiah Berlin(1929-1987)のKarl Marx(1939)が、依然としてベストだと記されている。実はこの哲学者、思想家についての研究者であるカナダ人の友人に推薦され、若い頃に読んだことはあった。小著の部類に入るが、マルクスという型破りの人物を自分なりに理解できたと思った。

1840年代、怪獣ビヒモスにたとえられる産業革命(ブログで一部連載中)が、発祥の地イギリスからヨーロッパ大陸へも拡大、本格的展開を始めた頃が舞台となっている。社会体制が大きく揺らぎ、それまでの貧困とは質を異にする資本主義の巨大な波が生み出した新たな貧困と差別が蔓延するようになった時代である。

映画は、若い時代のマルクスと妻のイェニー、そして終生の友となったエンゲルスとの出会いと交友関係が中心となっている。世界を揺るがせた人物だけに、今ではその人物像などもかなり明らかになっている。しかし、映画は字幕スーパーなので、ある程度の時代背景、人物についての予備知識がないと速度が早すぎ、分かりにくいところがある。映像を止めて見たい箇所がいくつかあった。

振幅の大きな人間
マルクスの生涯は彼が生きた時代環境も影響してか、かなり破天荒なところがあった。1949年トリーアを出て以降、無国籍者として放浪の人生だった。性格もかなり粗暴で自己中心的でもあり、飲酒、喫煙にふけり、家計も生涯を通してほとんど貧窮状態に近かった。盟友エンゲルスの多大な援助、妻イェニーの母の遺産相続などで、窮地を救われたりしていたらしい。それでも一時期家政婦との間に非嫡出子をつくるなど、放埓な生活を過ごしていた。こうしたひどい生活を送りながらも、主たる活動の場となったロンドンでは貧困地域のソーホーに住みながら、大英博物館図書館に日参する側面があったことも、興味深い点だ。

新たな知見もいくつかあった。そのひとつは、1836年トリーア時代に4歳年上のイェニー(イェニー・フォン・ヴェストファーレン)と婚約し、1843年に結婚したことだ。妻イェニーは名前から推定できるように貴族の娘であった。かつてトリーアのマルクスの生家を訪れた時、説明を読んだはずだが記憶になかった。最近のように中国人を中心に観光客がひしめく時代ではなかったから、マルクス・ハウスの展示も簡素であった。マルクスは弁護士だった父親の考えもあって、1836年ボン大学からベルリン大学へ転学している。乱脈な息子に危惧を感じたのだろう。その後、パリ、ブラッセル、ロンドンなど転々とする人生だった。

妻イェーニの存在
貧困な家庭のマルクスと貴族階級の娘という取り合わせは、経済的にも思想的にも正反対だが、結果としてはイェニーはマルクスを助け、歴史に残る人物を支え切った。マルクスは経済学者でもありながら、家計の管理能力は全くなく、生活は貧困を極め、一時は離婚の危機もあったようだ。マルクスがなんとか波乱の多かった生涯を全うしえたのは、妻イェニーの絶大な忍耐、献身と盟友エンゲルスからの経済的支援があったからではないだろうか。イェニー自身はその出自からも、家計の管理能力などはあまりなかったらしい。しかし、彼女は家庭の貧困や夫の人格的欠陥を補い、3人の娘を残し、1883年に世を去っている。「マルクスの妻」というテーマで映画化もできるかもしれない。

エンゲルスの妻は
他方、死後のマルクスの遺稿整理まで深く関わった盟友フリードリッヒ・エンゲルスは、マンチェスターの大紡績工場主の父の下で、裕福な家庭に生まれた。しかし、労働者としてエンゲルス(父親)の工場で働いていたリッジー(メアリー)・バーンズと出会い、相互に愛し合う関係になる。エンゲルスが彼女のいかなる点に惹かれたのかよく分からない。彼女は極貧のアイルランド系で教育もほとんど受けていなかった。彼女の人生については、これまでもほとんど知られていない。彼女がエンゲルス(父親)の工場を解雇された後は同棲生活に入った。イェニーについてはこれまでかなりのことが語られてきたが、メアリー・バーンズについては映画では比重が他の3人より一段低いのはこうした点にあるのかもしれない。エンゲルスはメアリーと生活をともにしながらも、他方では大紡績工場の経営者の嫡男ということもあって、女性関係はかなり乱脈でいい加減だったようだ。

しかし、1863年エンゲルスがマンチェスター近くのサルフォードへ工場経営のため移った年、20年近く連れ添った事実婚の伴侶リッジー・バーンズが亡くなった。それまでリッジーは、移住後のロンドンにおけるヴィクトリア社会に慣れることだけでも大変な苦労だったはずだ。それでも、国籍、階級、教育、宗教の違いにもかかわらず、二人の関係は続いた。興味深いことは、遊び人のエンゲルスにとって、リッジーは他の女性関係とは一線を画す存在であり、その死は大きな衝撃だったようだ。マルクスにもそのことを知らせている。これに対し、なんというべきか、マルクスは彼女の死を悼むことより、返信で金の無心をした。エンゲルスが激怒したことはいうまでもない。マルクスにはエンゲルスの悲しみもなかなか通じなかったようだ。マルクスの人間性を疑いたくなる一面だ。しかし、エンゲルスは最後まで人間として欠陥だらけのマルクスを支援した。マルクスは、資産家で脇の甘いエンゲルスにたかって('sponge off': The Economist) 生きてきたともいえる。マルクス、エンゲルスともに、当時の社会規範から見ても、放縦で逸脱した人間だった。その二人をつなぎとめていたのは、その判断の正否は別として、人間世界の悲惨な現実と将来への正義感であったといえるだろうか。

最近は、リッジー・バーンズについてもわずかに残る史料を手がかりに小説も生まれ、その輪郭が語られるようになった。リッジーは夫エンゲルスを助け、きわめつきの悪筆だったマルクスが残した断片的資料などを整理し、マルクスの思想体系をひとまず完結するに影の力となったと思われる。労働者としてまともな教育すら受けられなかったリッジーについても、もう少し知りたかった。エンゲルスは彼女の仕事にもかかわらず、妹のリディアと結婚した。

岩波ホールを出ると、そこは映画の世界から200年経った夕闇迫る世界だった。一時は足繁く通った界隈だが、最近は1年に数回になった。馴染みの店も大きく変わってしまった。


References

’Second time, farce’、The Economist May 5th 2018
ハンス ユルゲン クリスマンスキ(猪股 和夫訳)『マルクス最後の旅』太田出版社、2016年
 Gavin McCrea, Mrs. ENGELS: A Novel, Catapult, 2015

大繊維企業の経営者であったエンゲルスは、ロンドン市内にこうした住宅を複数所有していた。

 

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