興浜(おきのはま)で候 

興(こう)ちゃんの手掘り郷土史

橋で候8 真砂大橋(まなごおおはし)親柱

2010年09月22日 | 橋梁
 林田川が揖保川と合流する手前の真砂橋(まなごばし)の下流側に新たに架かった真砂大橋(まなごおおはし)の親柱の施工がやっと終わったので、橋の親柱について簡単に書いてみる。

 『
橋で候6 境橋』 で書いているが、境橋は江戸時代に網干の丸亀藩興浜村龍野藩新在家村の境に架けられたので境橋と名付けられた。

 この真砂大橋は現在の行政区では東側の太子町吉福と西側のたつの市揖保町真砂の境に架けられた。

 親柱の銘板の配置については、兵庫県の共通仕様書に従い施工されたのであるが、この親柱の文字の揮毫(きごう)について触れておきたい。

 江戸時代の境橋の親柱の文字は、興浜側と新在家側とは異なっている事が4月30日に投稿した『
橋で候6 境橋』から解る。もちろん夫々の村の者が書いたのであろうと推測される。

 今回の真砂大橋についても同じである。
太子町長とたつの市長にそれぞれ依頼して書いて頂いている。

 橋名板の下に御影石で造られた橋飾板(きょうしょくばん)は、道路起点側である太子町側は聖徳太子ゆかりの斑鳩寺の三重塔にちなみ三重塔が刻まれている。道路終点側であるたつの市側は童謡赤とんぼの作詩者である三木露風の出身地にちなみ赤とんぼが刻まれている。


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