4月26日に網干公民館主催の歴史ウォーク(浜田)において興ちゃんが義徳院と林松寺跡の案内させて頂いた事は既に記事にしています。
このたび6月1日発行の網干公民館だよりの中で歴史ウォーク通信として掲載して頂いた事を書いてみます。
歴史ウォークでの興ちゃんが考えた案内の虎の巻は
義徳院
山号仁弘山(にんこうざん)、寺号義徳院(ぎとくいん)は、盤珪禅師の生誕地です。
盤珪は徳川幕府が開かれてから約20年後の1622年に徳島から流れてきた儒医菅原道節の三男として生れました。
11歳の時に父を失い兄に育てられました。
その後日本各地できびしい修行をし、「不生禅」を説き、龍門寺を開祖したという事です。
という内容ですが、公民館だよりの原稿はちょっと違った視線から書かせてもらおうと思い下記のような文章になりました。
山号仁弘山(にんこうざん)、寺号義徳院(ぎとくいん)は、盤珪国師の生誕地です。境内には約260年前に建立された「盤珪国師誕生之地」の石碑と、産湯に使った井戸である「盤珪国師初湯之井」があります。日本各地できびしい修行をし、「不生禅」を説き、龍門寺を開祖しました。生誕地である網干ならではの事はないだろうかと古文書学習会で皆さんに尋ねたら網干小学校の古い校歌を教えて頂きました。古い校歌の一番の歌詞の中に「♪御法 ゆかしき 龍門寺 国師 盤珪 名はかほる」とあります。さてこの校歌を歌われたのはいつごろまでだったのでしょうか。
という内容でしたが、先輩方よりこの校歌は終戦までで、終戦後に現在の「♪歴史の都・・・」に1番と2番の歌詞が変わったと教えて頂きました。3番と4番はもとからあった歌詞のようです。
昭和10年3月8日校歌制定兵庫県知事採用
文部省図書監修官 井上 赳 作詞
東京音楽学校講師 梁田 貞 作曲
姫路市立網干小学校の古い校歌の一番
♪玉垣 浄き 津の宮の
御稜威は 千代に いや崇く
御法 ゆかしき 龍門寺
国師 盤珪 名はかほる
いざや 我等は誓も固く
皇国に 捧げん まことの心