日々精進生活

日々、自己反省をしながら、思うことを綴る日記。

無知の知

2006-07-04 12:49:44 | 普段の生活より
この春から通信制の大学(放送大学)の学生となった私は、今学期は3科目の勉強をしている。
そのうちの1つが「哲学入門」
タイトルの「無知の知」は言わずと知れた「ソクラテス」の有名な言葉。
ソクラテスは、自分を知ることに努めると、賢者ならぬ無知なる自己が知られてくる、と感じたそうだ。
そして、自己への無知を弁えることのできる知、すなわち無知の知、これこそが真理へと身を開くための第一歩なのであるということ。とテキスト?!に書いてある。

時代は違っても「真理」を追究する者は、同じことに気づくのだなとしみじみ思う。
(スピリチュアリズムも、日本語では霊的真理と言われている)

スピチュアリズムにおいても、今の自分の理解力に見合った分だけの知識しか得ることができないと言われている。
自分が進化・向上すれば、またその分だけ理解力が増し、その分だけ知識を得ることができるそうだ。

まだまだ、知らないことがたくさんある。

そして、「今の自分」についても知っていく必要があると思う。
自分を追及していくと、嫌な自分が見えてくるだろう。
でも、そういう未熟な部分があるからこそ、この世に生まれてきているのだから、それを自己否定する必要はないはず。
この世に生まれてきている人間、皆誰しも未熟なのだから。自分だけが未熟なのではないのだから。

未熟で良い。

でも、前にも書いたけれど、未熟であることに開き直るのではなく、未熟な自分をありのまま受け入れながら、では、この未熟な部分をどうやったら、超えることができるのか・・・。
そう考えなければ、前に進むことはできないと思う。何も改善されないと思う。

ソクラテスも、「人間の自己理解」をすることが哲学の中心主題であるとしたそうだ。
人間による人間自身への根底的反省を魂への配慮と名づけ、魂を徳のある善いものにしようと気遣うことが魂への配慮であると言っている。

哲学に、スピリチュアリズムに通じる精神があったのかと思うと嬉しくなる。

今、得ている知識で満足することなく、安心することなく、いつでも、自分は無知であることを忘れないよう、自戒の意味を込めて、今日の日記を書いてみた。