ヨーロッパとアジアの近代における邂逅、というテーマは昔からあるが、中国語文献のみならず、ヨーロッパの文書館史料を使った研究はここ数年、日本で増えてきている。アジアにおける「西洋の衝撃」を問い直し、「衝撃」とまではいかないが欧州にも強い反作用が起きていたのを指摘するのが、共通する。
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(承前)当時のロシア側の呼び方に倣うと「満洲」、と呼ばれる地域を1900年に占領し、あげくアジアの一国家である日本と戦って敗れ、その最中に首都で革命まで起きて専制から立憲帝政に移行した、という点で、ロシアは「東洋の衝撃」をどこよりも正面から受け止めた国、と言うこともできるだろう。
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それはその通り。そして日露戦争に清朝がどう対応し、中国東北がどのように変容したのか、という研究は、日本で始まったばかりなのです。RT @co_cocaでも、そうすると、戦場になったり支配されたりする満洲が置き去りになってしまうなあと感じるわけです。
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(承前)詳しくは、①川島真「日露戦争における中国外交 ― 満州における局外中立―」『日露戦争と東アジア世界』(ゆまに書房、2008年)。②鈴木智夫「日露戦争後半期におけるロシア駐在中国公使胡惟徳の和平構想」『東アジア近代史』10号(2007)が詳しいところ。 @co_coca
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【拡散】 RT @toshio1234: 中国側の映像ですが小川和久氏の説明もあり、興味深い。:【世事関心】世紀の激戦 東シナ海をめぐる日中の攻略(上)―尖閣諸島をめぐる火花 新唐人テレビ日本: youtu.be/2jsFFPEWQps @youtubeさんから
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