さるとびっき/再話:武田 正 画:梶山 俊夫/福音館書店/1982年
「びっき」?とおもったらカエルのことです。
サルから田んぼを作ろうともちかけられたカエル。土を掘り返しはじめるとサルはすぐに肩が凝ったと作業をやめ、カエルはうまいもんだとほめ殺し。
そのあとは何を言ってもうそをついて、作業をしないサル。
田植えも、草取りも、稲刈りもカエルがひとりでやって。
やがて刈り上げのもちつき。今度はサルも杵を振り上げ餅つき。
サルは餅の入った臼を山の上から転がして、先に餅をひろったものが食うことにすべえと持ち掛けます・・・。
梶山さんの絵は鳥獣戯画風で、最後のところをのぞけば、黒が基調です。
サルがでてくる場面
がっさがっさと やってきて
カエルが田を耕す場面
べったらべったら
カエルがサルを追いかけていく場面
へこたん へこたん おっかけて
カエルが山からおりていく場面
ぺたんと はねては へこへこ
ぺたんと はねては へこへこ
なんともリズム感がある言葉が続きますから、語りやすいようです。
サルのほっぺたと尻が赤いわけもでてきますよ。
しらさぎちょうじゃ/かくのぶゆき・文 おのき がく・絵/ポプラ社/1970年
毎日ねてばかりいて、たてのものをよこにもしないようななまけもののジラーが、ある日、突然しらさぎをかいたいといいだします。
しらさぎをかわいがっていたねむりむしのジラーは、月もないまくっくらな夜に、しらさぎをふところにいれて、長者の屋敷の庭に忍び込んで、カジュマルの木によじ登ります。そして・・・。
沖縄の昔話ですが、ジラーは長者の家の一人娘オトヅルとともだち。
つまりは、ジラーがオトヅルのお婿になるのですが・・・。
なまけものですが、知恵の勝利をどういうふうに受け止めたらいいか。
ほっこりする絵がなんともいえない味です。
ジラーがしらさぎをかいたいというと、いろいろやりくりしてしらさぎをさがす両親ですが、子を思う親の気持ちはどこでも同じのようです。
マーシャとババヤガーのおおきなとり/宮川やすえ・作 太田 大八・絵/ひさかたチャイルド/2007年
ババヤガーはロシアの昔話にはかかせないキャラクターですが、ここではババヤガーがかっているおおきな鳥が主人公です。
両親から弟ワニューシカのおもりしてくれるようたのまれたマーシャ。
ところが友だちと夢中であそんでいるとき、ババヤガーのかっている鳥が、ワニューシカをさらってしまいます。
なんとか妹を探し出そうとするマーシャでしたが、鳥の群れをおいかけているとき、ペチカが「火が消えそうなんだ。ペチカに細く割った木をほうりこんでおくれ」とお願いされ、そのとおりにすると、鳥の飛んで行った方向を教えてくれます。
次はリンゴがいっぱいなっている木から、ゆすってリンゴを落としてくれといわれ、さらにミルクの流れている川から、石をのぞいて流れるようにしてくれとたのまれます。
後半は弟を連れて逃げ出すマーシャを、川、リンゴの木、ペチカが助けてくれるという、お馴染みのパターンです。
また、ババヤガーの家は、もちろん鳥の足です。
原題は「グーシ・レーペジ」(がちょうのような、白鳥のような大きな鳥)といいます。
内田莉莎子さん再話、佐藤 忠良さん絵の「ババヤガーのしろいとり」も同時にみると楽しいかもしれません。
鬼の首引き/岩城範枝・文 井上 洋介・絵/福音館書店/2006年
力持ちの若者が、都にのぼろうと旅をしていると、あたりがきゅうに暗くなって、あらわれたのはおおきな鬼。
若者は「自分に食われたいか、姫に食われるれたいか」と問われて、「どうせ食われるなら、お姫さまに食われたい」とこたえます。
ととさまから、お食い初めといわれ「手から食おうか、足から食おうか、それとも、がぶりと頭から?」とせまるあたりは、おそろしいのですが、姫はなんとも甘えん坊。
若者が扇で姫をぽんとたたくと、姫は「いたいいたい」、若者が大声をだすと「こわいこわい」と父鬼に言いつける始末。
若者が「悪いこともしないのに、ただ食われるのは嫌だ。力比べをして、私が負けたら、おとなしく食われよう」とまっとうな主張をすると、こんどは力比べ。
姫が腕相撲、足相撲に負けて泣き出し、父鬼は大勢の仲間をあつめて、首引きの勝負。
若者と大勢の鬼。鬼は数えてみると十人。鬼もたよりない。
踏ん張った後、若者が首の紐をはずすと鬼たちは転げてしまうというのも愛嬌です。
もとになっているのが狂言といいますが、若者と鬼、姫のかけあいが楽しめるものになっています。
仙人のおしえ/おざわ としお・再話 かないだえつこ・絵/くもん出版/2014年
東欧や北欧に類似の話がありますが、再話のもとになったのは、どこの地域のものかは不明です。
ひとりの若者が、母の眼を治すため仙人をさがしにでかけます。
途中長者から、三年三か月病気でねている娘がどうしたら治るか、お百姓から、なぜみかんの木が三年も実がならないのか、大蛇からは海に千年、川に千年、山に千年修行してもどうしても天にのぼれないのは、なぜかをきいてくるよう頼まれます。
やがて若者は仙人のところにいって、教えをこうと、三つだけと念を押されます。
母親の眼のこと、旅の途中で頼まれたことが三つですから、どれかはあきらめなければならないのですが・・・。
あまり悩まず、母親のことを断念する若者。
もちろんすべてがうまくいき、母親の眼も治るのですが・・・。
仙人の家は天竺にちかいところにありますが、どこまでも伸びる円柱のてっぺん。おまけに池があり、船まで。
語りと違って、絵本では、仙人のいる風景が一目瞭然です。
仙人の髭のながさ、母親と息子をのぞきこむにわとり、麦をたべているねずみ、若者が母親の眼が治るようにお祈りするときにお供えするサツマイモなど、絵本ならではの楽しもあります。
ハンツと子牛の頭/L・ベッヒシュタイン・文 川上越子・絵 ビショップ幸子・訳/架空社/1992年
ベッヒシュタインは、グリムと並んで、子どもや大人の間で愛読されているいいます。
この話も昔話のパターンで、三人の兄弟がでてきます。上の二人が旅に出て成功してくるとリュックにパンとベーコンをつめ、10ターラをもってでかけます。
末のハンツも二人の同行しますが、途中キラキラ光るガラスやこがねむしに興味を持つハンツをおいて、二人はいってでかけしまいます。
森の中で一夜をすごそうとしたハンツは、すぐ近くにあかりを発見します。
その家にいってみると、ドアは全部あいていて、おまけに部屋のテーブルにはぶどう酒やオーストビーフ、パンケーキ、バター、チーズが用意され、ゆりかごには子牛の頭がおかれていました。
そこで、ハンツは子牛の頭から、世の中のことをきかせてくれるよう頼まれます。
はじめ戸惑ったハンツでしたが、家族のことや家のこと、畑にさいている花のこと、牧師さんや村長のこと、小川や、野山のこと、さらにはおばあさんやお母さんから聞いた物語などを次々と語ります。
子牛の頭は、熱心に聞いていて、ときには涙をながし、ためいきをついています。
どのくらいこの家にすごしたでしょうか。
自分の育った故郷が恋しくなり、家に帰ろうとしたハンツに、仔牛の頭は、お金や魔法の笛、りっぱな服や、銃剣と鉄砲、旅に欠かせない白馬を用意します。そしてハンツは、再びもどってくることを約束してでかけます。
このあと上の二人の兄弟のことなどが、でてきますが、ハンツが子牛の頭のところにもどると、意外な展開がまっています。
子牛の頭には、太いへびの体がまきついていて、斧で切り取るようにハンツに頼みます。ゾーとしたハンツが斧を振り下ろすと・・・・。
信じられないほど美しい娘がゆりかごのなかからでてきます。魔法をかけられていたお姫さまでした。
びっくりさせて最後には、幸せな結末がまっています。
お姫さまがどんな経過で魔法をかけられたのかはいっさいでてきません。そしてなぜハンツなのかも。
お姫さまのお願いでやったことといえば、話をしたことだけです。
途中いろいろあっても結末が重要なのが昔話でしょうか。
それにしても子牛の頭がゆりかごにはいっているというのも・・・・。
トーキナ・ト/津島佑子・文 宇梶静江・刺繍 構成: 杉浦 康平・構成/福音館書店/2008年
各ページ、トーキナ・トではじまるのですが、この意味は不明のようで、いわば昔話のはじまりのようです。
にんげんの村を守るふくろうのかみさまの妹が、ひょろひょろぼうずというまものに、魔王のところに、さらわれるのですが、人間の年若い英雄アイヌラックルに助けられます。
すべてが刺繍でえがかれているのですが、すごく素敵でおもわず、感嘆します。
一定のリズムでうたわれると、どんな感じになるか聞いてみたい思いました。
かみさまの妹が、魔物のところに連れられて行く場面
トーキナ・ト
たくさんの よる
たくさんの ひる
とおくに とおくに
ふねは すすむ
ここは
とりの はねのうみ
ふわふわ ひらひら もくもく
一例ですが、こうした場面が次々に展開します。
まさしく<うた>の世界のようです。
マリアとコンドル ペルーの民話/ハイメ・ロサン・ヘオルヘーナ・デ・サロン 稲村哲也・再話/福音館書店/1990年こどものとも発行
おんなのこマリアが、ひろいアンデスの草原でリャマやアルパカの番をしていると、黒い服と白いマフラーの若者が現れて、いっしょに遊ぼうといいます。若者の背中につかまって目を閉じると、マリアはいつのまにか高い高い崖の上に運ばれていて、若者はコンドルになっていました。
コンドルはマリアにおよめになれといいます。
マリアは、コンドルからなんとか逃げようと、服をあらいたいから、川までおろしてくれるようにいいます。隙をみて逃げ出そうとしたのです。
コンドルは長い縄にマリアをしばって、かわまでおろします。
コンドルは油断なく、なんどもなんども「もう おわったか」とといかけるので。マリアはにげだせません。
しかし、アヒルの子とかえるが、縄に石を結んで、逃げ出すようにいいます。
川に沿って逃げ出したマリアをコンドルがおいかけます。
そのときハチドリがあらわれ・・・・・・。
南米の昔話には、コンドルとハチドリがよくあらわれるようです。
この話ではコンドルが悪役で登場しますが、コンドルはどんな位置づけでしょうか。
マリアが川で洗濯しているとき、コンドルが何度も問いかけるところが昔話らしいところです。
「もう おわったか」 「まだよ」
「もう おわったか」 「まだよ」
「もう おわったか」 「まだよ」
絵は、アンデスの岩山や草原、人物の雰囲気をよくあらわしています。
ハチドリがマリアを救い出してくれますが、小さな小さなハチドリは、あっというまに大きくなります。
マリアの弟?がハチドリと一緒にいるところがでてきます。
うさぎのいえ/作:内田 莉莎子・再話 丸木 俊・絵/福音館書店/1969年
しろうさぎは、森のもみの木の下に小屋をたててすんでいました。屋根ももみの木で屋根にはしらかばでつくったおんどりの飾り。
ある日、きつねがやってきて、濡れた尻尾を乾かくまでちょっとお邪魔させてくださいというと、うさぎはこころよくうけいれます。
ところが小屋に入り込んだきつねは、そのまま居座って、翌日には、うさぎを小屋から追い出してしまいます。
きつねは年とった犬、羊に相談しますが、犬も羊も、きつねに脅されて、すごすご引き下がってしまいます。
そこへおんどりがやってきて、まかせてくれといいますが、うさぎは疑心暗鬼。
おんどりがとった方法は?
おんどりの知恵できつねは逃げ出します。
繰り返しが昔話の一つの特徴ですが、繰り返しが多からず少なからずでしょうか。
屋根におんどりのかざり、きつねを撃退するのもおんどりです。
きつねが小屋に居座る丸木さんの絵は、きつねの存在感が抜群です。
カンガルーには、なぜふくろがあるのか/ジェームズ・ヴァンス・マーシャル・再話 フランシス・ファイアブレイス・絵 百々佑利子・訳 岩波書店/2011年
10の話がおさめられています。各ページの動物、植物、人間がカラフルで絵を見ているだけでも楽しくなります。
・虹色の大へびが大地をつくったはなし
・カンガルーには、なぜふくろがあるのか
・カエルは、なぜぐわっぐわっとなくだけか
・ブロガエルは、なぜおどるのか
・カモノハシは、なぜとくべつな生きものか
・山のバラ
・2ひきのガと、山のはなざかり
・クロコダイルは、なぜウロコをもつようになったか
・トカゲ男と、ウルルの誕生
・ちょうちょうと、死ぬことのなぞ
<カンガルーには、なぜふくろがあるのか>
子育てに忙しい母親のカンガルーが、目が不自由なウオンバットをつれて、池の水を飲んでいると、狩人がやってきます。
ブーメランで狙われ、ジューイぼうやとウオンバットを助けようと一人で狩人をおびき出し、無事にウオンバットを助け出しますが、もとのところへ、もどってみると二人のすがたがみあたりません。
やっとのこと、坊やをみつけますが、ウオンバットはいません。じつは、ウオンバットはいのちのつくりぬしで、やさしい心をもったものをさがしだし、ほうびをやろうと地上におりたったのです。
つくりぬしは、食料をいれる手提げ袋をおいていきますが、カンガルーは、その使い方がわかりません。そこでふくろを腰に結び付けると、いのちのつくりぬしは、カンガルーのおなかのふくろにかえます。
カンガルーのふくろは、やさしい母親のために、安心して子育てができるようにと、命の作り主の贈り物だったんですね。、
<カモノハシは、なぜとくべつな生きものか>
カモノハシというのはみたことがありません。
ドリームタイム(夢の時代)に、いのちのつくりぬしが哺乳動物、魚、鳥をつくったのこりもので作ったというカモノハシ。
哺乳動物、魚、鳥がだれが一番上等か争いをはじめたとき、それぞれの特徴をもつ、カモノハシを見方にひきいれようとしますが、カモノハシの答えは、よくかんがえさせてくれというもの。
答えは
「とくべつというのは、ほかのものよりよいと意味にはなりません。だれも、ほかの仲間より、よいとかわるいということはない。ただちがっているだけ。ですからちがっているのをよいことだと思って、争ったりせずに、一緒にいきていくべきなのです。」
うーん、カモノハシは哲学者でもあるようです。
カモノハシの話を聞いたアポリジニナルの人はカモノハシをつかまえたり、ころさないという。
アポリジナルのこと、オーストラリアの動物、植物やアポリジナルの絵に使われる記号の解説もあって盛りだくさんです。
(アポリジニナルと訳されていましたので、そのままの表記です)